命のビザが生んだ友情
ビザ発給から80年
今尚世界に生存者たち
北出 明
本紙新年号の巻頭特集として、2021年11月12日に実施された「日米を結ぶ『命のビザ』オンライン会議」が取り上げられることを大変嬉しく思います。
さて、この会議の趣旨についてですが、次の2点に基づきます。先ず、一昨年2020年は日本の外交官、杉原千畝がユダヤ難民を救うために日本への通過ビザ(通称「命のビザ」)を発給してから80年を迎え、国内外の各地では80周年記念事業が催されました。
実は、私もリトアニアのカウナス、ロンドン、ワルシャワで実施されたウェビナーに招かれ、オンラインで講演を行いました。そのような一連の動きの中で、今回のオンライン会議でも紹介されたように、沼津市では「杉原千畝夫妻顕彰碑」の建立、敦賀市では「人道の港 敦賀ムゼウム」のリニューアルオープンといった事業が相次ぎました。
ただし、80周年ということになりますと、2021年もユダヤ難民が日本に逃れ来て80年目になります。杉原ビザを手にして日本に上陸したユダヤ難民の数は、1940年よりも1941年の方がむしろ上回っています。その意味から、「命のビザ」を話題にする際には、2021年という年も重要であることを認識する必要があるのではないかと思います。
一方、アメリカの経済社会においてはユダヤ人コミュニティが大きな影響力を有し、イスラエル外で最大のユダヤ人コミュニティがあるニューヨークでは在住邦人の皆さんもユダヤ系の方々と接する機会を多くお持ちだと思います。
実際のところ、ユダヤ人コミュニティーと日本人は歴史的に非常に深い関係がありますが、杉原千畝の「命のビザ」のエピソードはその代表的なものと言えるでしょう。そして、その80周年を機にユダヤ人コミュニティから改めて日本の人道的精神に高い関心が寄せられています。
日米結ぶ会議実現
このような状況に鑑み、在ニューヨークの日系メディアの方々がユダヤ人コミュニティを取材される際の予備知識または参考情報になればとの願いから本会議の企画を思いついた次第です。
そこで、これを実行するに当たっては、ニューヨーク日本総領事館の桜庭大輔領事から「折角の貴重なイベントなのだから、これに参加できなかったメディアや他の日本の関係者にも後から見てもらえる方法を考えてはどうだろうか」とのアドバイスをいただきました。
そのため、かねてから交流のあった「IBC国際ビジネスマンクラブ」に協力をお願いし、当日のZOOM会議の運営だけでなく録画の制作も引き受けていただくことができました。
続編の英語版今年刊行予定
これにより、私の思いつきが予想外の広がりを見せ、最終的には本紙の特集にまで進展したことは何よりの幸いでした。
ところで、私は2010年から「命のビザ」に関連したテーマで調査・執筆・講演活動を行っており、2012年に前著『命のビザ、遥かなる旅路〜杉原千畝を陰で支えた日本人たち〜』を上梓しました。当時から杉原千畝の名声は広く知れ渡っており、新聞、テレビ、映画、演劇などで取り上げられ、さながら「命のビザ」は彼の代名詞のようになっていました。
それから10年余りが過ぎた現在、国内外における杉原研究はさらに進み、彼に対する見方は徐々に変化してきていることも事実です。私についてもその傾向は否めず、ここ数年は「命のビザは杉原千畝一人ではない、ユダヤ人を救った外交官は他にもいるのだ」との観点から調査・研究を行ってきた結果、一昨年11月に『続 命のビザ、遥かなる旅路〜7枚の写真とユダヤ人救出の外交官たち〜』を出すに至りました。
この拙著については、本紙の2021年2月27日号で取り上げられ、編集後記でも詳しい解説がなされましたので、ご記憶の方もおられることと思います。同書では、上述のように杉原千畝以外の5人の外交官が果たした役割を紹介しています。
そのことから、海外でも広く読まれるようにと英語版を出版することになり、現在アメリカの出版社で2022年5月刊行を目指して準備が進められているところです。在野の一介のフリーランス・ライターに過ぎませんが、私のささやかな努力が世界のユダヤ人コミュニティと日本人との友情の進展の一助になれば望外の幸せです。