イーストビレッジ溝上さん
長年イーストビレッジで焼き鳥店「焼鳥大将」を経営してきた社長の溝上健治さんが3日、入院先の市内病院で亡くなった。享年66歳。共同経営者の宇宮裕三子さんによると、10月31日に息が苦しいので救急車を呼んで欲しいと電話で連絡があり、緊急搬送され、心臓の血管が3本詰まっていることが分かりそのまま入院、翌週に心臓バイパス手術を受けた。
一時回復したが最期は多臓器不全で眠るように永眠したという。告別式は9日にコロナ禍での安全性を考慮し、近親者のみの家族葬を行なった。コロナが落ち着いた頃に「偲ぶ会」を催す。
溝上さんは熊本県出身。1984年に焼き鳥イーストのオープニングスタッフとして来米、96年に独立して現在のイーストビレッジに焼き鳥専門店「焼き鳥大将」を開店。良心的な値段と豊富なメニューで米国における焼き鳥ブームに火を付け、イーストビレッジの日本食街の看板店としてニューヨーカーに愛される店に育てた。コロナでレストランの部分再開後も入院する直前まで週に3日、カウンターに立った。宇宮さんは「一番厳しい時ですが、彼の遺志を継いでお店を守って続けていきたい」とコメントしている。
NY日本食レストラン協会ボン八木秀峰会長の話「焼鳥大将、ケンちゃんは、私の竹馬の友、若山和夫氏がイーストレストラン1号店をアッパーイーストサイドにオープンする為に博多の焼き鳥専門店「番屋」の経営者、伊丹さん(若山社長の大学時代の親友)から譲り受けた優秀な焼き鳥職人だった。何人か同時に日本から来たスタッフがいたが、彼は特にいつもみんなを笑わせてくれる朗らかな気持ちの優しい熊本の純粋な青年だった。彼の焼いた焼き鳥は食べたら幸せを呼ぶ一品だった。焼鳥大将なしでは今のニューヨークの焼き鳥ブームはあり得なかった。66年の太く短い人生だったが、どれだけの人々を幸せにしたかが大事。(焼鳥大将) 健ちゃんご苦労様でした」。