日本は平成の時代が終わり、年号が令和となり令和天皇が誕生し、新しい時代の幕が明けた。そして今年は1860年に徳川幕府が日米修好通商条約の批准書交換のために米国ワシントンDCに派遣した万延元年遣米使節団(まんえんがんねんけんべいしせつだん)が米国の地を踏んでから、ちょうど160周年を迎える。異国の地から来た侍たちの上品で礼儀正しい立ち振る舞いに米国人たちは敬意を払い、どの地に行っても大歓迎を受けたと当時の新聞は伝えている。
ニューヨークのブロードウェーでは侍パレードも行われた。日本から最初に公式のミッションとして派遣された遣米使節たちの軌跡をニューヨーク公立図書館に残る貴重な資料をもとに辿ってみたい。
海を渡った 日本の武士
万延元年遣米使節団派遣から160年
侍一行80人米軍船で
品川沖から一路サンフランシスコへ
万延元年遣米使節団は幕末の幕臣・外国奉行の新見豊前守正興(しんみぶぜんのかみまさおき、40歳)=左写真中央=を正使に、副使の同じく外国奉行の村垣淡路守範正(むらがきあわじのかみのりまさ、48歳)=同左=と小栗豊後守忠順(おぐりぶんごのかみただまさ、32歳)=同右=を筆頭に約80人の侍が米国海軍の蒸気船ポーハタン号に乗り、1860年1月に品川沖を出発した。航海の途中、嵐に遭遇しホノルル港へ立ち寄り、当時のハワイ国国王カメハメハ4世にも拝謁している。3月8日にサンフランシスコ港に到着し大歓迎を受けた。サンフランシスコに9日間滞在した後、船でパナマとキューバを経由してワシントンDCに向かった。当時パナマ海峡はまだ運河はなく、汽車で横断して大西洋に出た。日本の使節団が汽車に乗ったのはこの時が初めてだった。
五番街42丁目のニューヨーク・パブリック・ライブラリーに160年前の当時を記した新聞があった。不用意に触ればぼろぼろと紙がこぼれる状態だった。