黒人初の元NY市長
デイビッド・ディンキンズ元ニューヨーク市長が23日ニューヨーク市内マンハッタンのアッパーイーストサイドの自宅で死去した。93歳だった。先月妻ジョイスさんが89歳で亡くなったばかりだった。黒人人権運動家のアル・シャウプトン氏は「彼はバラク・オバマの先を行く指導者だった。米国政治を前進させることに貢献した」とコメントしている。
1989年に4選を目指すニューヨーク市長のエドワード・コッチを批判して民主党予備選挙に出馬して現職市長を破って本戦に臨んだ。市長選挙では共和党のルドルフ・ジュリアーニを僅差で破って当選した。
再選をかけた93年の市長選挙ではジュリアーニと再び争ったが大差で負けた。初の黒人市長として人種間の緊張緩和に尽力し、低所得者向けの福祉施策や犯罪抑止政策を推進し、市職員の削減・ホームレス向けシェルター・教育機関の統廃合により、財政再建の道筋をつけた。ハワード大学で数学を、ブルックリン・ロー・スクールで法律を学ぶ。第二次世界大戦中はアメリカ海兵隊に従軍した。ニューヨーク州議会議員を経て85年にマンハッタン区長に当選。「人種の坩堝(るつぼ)」とされるニューヨークの表現を適切とせず、それぞれの人種がバラバラに固まっているだけの「人種のモザイク」が口癖だったところに初の黒人市長としての苦悩を垣間見せた。退任後はコロンビア大学公共政策大学院で都市政策の分野で教鞭を執っていた。