「冤罪の真相を知りたい」

NY砂田敬さん銃殺事件から30年

父親が検事と面会

 昨年8月24日、クイーンズの州最高裁判所のミシェル・A・ジョンソン判事が、1994年8月に市内クイーンズ区で発生した日本人男性、砂田敬さん(当時22歳)の銃殺事件で有罪となった元服役囚の男性2人の有罪判決を破棄した。無罪が確定したのは、アーモンド・マックロードさん(51)とレジナルド・キャメロンさん(50)。裁判官は、94年クイーンズの取調室でマックロードさん(当時20歳)とキャメロンさん(当時19歳)は捜査を担当したカルロス・ゴンザレス警部に強要されて罪をかぶったと判決理由を述べ、裁判官として異例の謝罪の言葉を口にした。福岡の自宅でNY検事局からその知らせを受けた被害者の父親、砂田向壱さん(78)は愕然とした。「では、真犯人は誰なんだ。いま、その犯人はどこにいるんだ」。

 事件から30年経って冤罪となった息子の殺害事件。「真相を知りたい」。砂田さんは、冤罪の知らせを伝えてきたクイーンズ区地方検事局有罪判決完全制ユニット部長に面会を求めた。

 先月、8月28日午後8時。NY市内ウエストゲートNYグランドセントラルホテルのカフェテリア。検事は日本語通訳を同伴していた。検事部長の名前と彼の発言をそのまま記事にしないという条件で本紙記者の同席が許された。面会時間は約1時間だった。

 「30年も経って、なぜいま冤罪判決なのか」。砂田さんは「ブラック・ライブズ・マター(BLM=黒人の命も大切だ)運動を契機に米国の社会情勢が変化したことも判決が急に翻った背景にあるのか」と聞いた。検事部長は「当時の取調べを担当した刑事が別の事件で容疑者に自白を強要した新しい証拠が出てきたことが原因であり、政治的な背景や社会情勢とは全く関係ない」ときっぱり否定した上で、当時は年間1600件もの殺人事件があり、その後警察官の増員、インターネットなどのSNSの拡充で昨年NY市内の殺人件数は380件にまで減少したことなどを説明した。そして犯罪捜査には何パーセントか分からないがエラーが起きる可能性があること、裁判で有罪となったマックロードさんは1月に釈放されるまで29年間服役し、キャメロンさんは殺人罪の棄却と引き換えに第一級強盗の罪を認め、2003年に仮釈放されるまで約9年間服役したが、この間にマックロードさんは14回無罪を訴えて再審請求を出していたという。

 遺族が国民訴追する権利もあるが、米国市民ではない砂田さんにその権利はなく、検事局が再捜査して冤罪を認めた以上、検事局自らが捜査を訴追することもない。検事部長は、当時の取調べ調書で容疑者2人が署名したコピーを含む厚さ10センチほどの記録を持参して説明した。当時押収した証拠物件のバッグなどもすでに廃棄処分されていて新たな証拠を得ることが困難であることも伝えた。

 砂田さんは「息子の気がおさまらないだろうからこうして今回面会したが、再捜査への希望が絶たれ、30年前と今回、悲劇に2度見舞われた思いだ」と述べて面会は終了した。ではずさんな捜査をした当時の警部は罪に問われないのかとの複雑な思いを胸に砂田さんは翌日、NY仏教会を訪ね、外に建つ親鸞象に手を合わせ帰国した。

 1989年以来、全米の冤罪総数3361件のうち約400件が虚偽の自白によるものであり、そのうちニューヨーク市では少なくとも230件の冤罪が証明されている。クイーンズ地区検事局が2020年に有罪判決完全性ユニットを立ち上げて以来、これまで102件の有罪判決が取り消され、そのうち86件は警察の不正行為に関連したものとされた。  

砂田さん事件 1994年8月4日午後11時半ごろ、マンハッタンの日本食レストラン中川での仕事を終えてクイーンズ区レフラックシティのアパートに帰宅した被害者、砂田敬さん(当時22歳)は、ロビーにいた男性2人(アフリカ系)を不審に思い、普段はボクシングのトレーニング代わりに17階まで非常階段を使ってランニングしながら部屋に行くのに、この時は、エレベーターに乗った。犯人2人が敬さんに続いてエレベーターに乗り込んだ。敬さんは4階で降り、エレベーター前で揉み合いになりそうになり、左側にあった非常階段へ逃げた。後を追った犯人が非常階段を駆け上る敬さんを振り返り際に発砲、弾丸は右目から後頭部に貫通し、敬さんは階段から崩れるように踊り場に倒れた。階段を4段上がった高さ1メートル70センチほどのところに直径約2センチほどの銃痕を埋めた跡が事件から30年経った今も残っている。