新生レストラン日本を背負って

レストラン日本CEO最高経営責任者

木下 直樹さん

 ニューヨークの老舗、創業59年の「レストラン日本」の現オーナー、古屋昭代さんからの再度の復帰要請を受け、CEOとしてこのほど5年ぶりに戻ってきた。レストラン日本のかつての「名声」を取り戻し、「名店復活」の任を託されての再登板だ。創業者、故倉岡伸欣前社長の教えを継承する「新生レストラン日本」のスタートは、踏襲ではなく「第二の創業」だ。

 倉岡氏は、慶應義塾大学体育会剣道部主将だったが、木下さんは同じ慶大の体育会バレーボール部出身。主将を務めた身長1メートル85のジャンボサイズだ。「我々の時代は、大学卒業後は大半が大企業に就職。年功序列で昇進、昇給が保証され、定年まで勤めあげれば安定した生活が保証される。でもそれは本当に自分が求めている人生か」と自問した。出した結論は「安定を求めず、やりたい事にチャレンジしよう」だった。大学の先輩だった故松平康隆氏(日本バレーボール会元会長、ミュンヘンオリンピック全日本男子バレー金メダル監督)の推薦によりイラク・バクダッドで世界バレーボール連盟国際コーチ講習会に参加、公認コーチのライセンスを取得。1978年、大学卒業と同時に国際交流基金よりパキスタンに1年間派遣された。コーチ生活終了後、松平氏から慶應同窓のレストラン日本社長、倉岡氏を紹介され、ニューヨークへ。レストラン日本を運営するワコーインターナショナルコープに入社し社会人のスタートを切った。

 同期が日本で普通の企業に就職し、駐在員としてNYに赴任しても決して経験できない、政財界、スポーツ界、芸能界のトップと身近に接する機会を得て多くを学べたという。倉岡氏からは「常に一歩下がった態度でお客様に接し、謙虚でなければならない」、しかしだからと言って「決して卑屈になってはいけない。プライドを持て」と教えられた。

 「新生レストラン日本」が目指す方向性は、老舗の名前にあぐらをかくのではなく、常に新しいものを目指す挑戦者たれだ。それは、時代の流れ、お客様のニーズを先取りし、それを料理に反映させること。お馴染みの伝統的江戸前に加え、地球に優しく、食物アレルギーのある人にも配慮した健康食「美味しいビーガン料理」の導入だ。ビーガン対応メニューの導入により、新しくビーガン客を呼び込み、客層の間口を広げる。「日本食には世界に冠たる精進料理の長い歴史があります。アメリカ人客への啓蒙にも努めたい」と意気込みを見せる。「お客様が帰り際に、笑顔で『サンキュー、美味しかったよ、また来るね!』と言ってもらえる店を目指します」と笑顔を見せる。天国から倉岡氏の「頼んだよ、ジャンボ。いいね!」という声が聞こえる。

(三浦良一記者、写真も)