米国を代表する作家・ジャーナリストのピート・ハミルさんが5日、ブルックリンにあるニューヨーク・プレスビテリアン・ブルックリン・メソジスト病院で死去した。85歳だった。同じく作家・ジャーナリストである弟のデニス・ハミルさんによると、1日に転倒して右腰を骨折し入院中だった。腎臓と心臓に疾患があり、死因は腎不全とみられる。
ニューヨーク州のクオモ知事は「ピート・ハミルが亡くなったと聞いてとても悲しい。ピートは卓越したジャーナリスト、編集者、作家であるだけでなく、ニューヨークの代弁者だった。私たちは今日、かけがえのないニューヨーカーにさよならを言わなくてはならない。私は彼の遺産と仕事が生き続けることを知っている」と投稿した。
ニューヨークを書いたピート・ハミルさん逝く
今月5日、ブルックリンの病院で亡くなった作家でジャーナリストのピート・ハミルさんは1935年、ブルックリンのパークスロープで生まれた。両親は北アイルランドのベルファストからの移民で7人兄弟の長男だった。奨学金を得てカソリック系の名門レジス高校に通ったが経済的理由で中退。ブルックリンの海軍工廠で板金工として働いたのち海兵隊に入隊し高校教育を修了した。除隊後はコミックブック・アーティストになろうとメキシコシティーカレッジやプラット・インスティテュートで美術を学んだ。ギリシャ語新聞のアートディレクターをしていた1958年、23歳の時に投稿作がニューヨーク・ポストに掲載されるなどして編集者の目に留まり、1960年にポストに記者として採用された。
その後は、ニューヨークを拠点に殺人、火事などの事件から60年代の都市騒動や政治問題、さらにアート、ジャズから大リーグ・ワールドシリーズなどスポーツまで幅広い分野で書いた。媒体としてはポストのほかニューヨーク・デイリーニュース、ニューヨーク・ニューズデー、ザ・ビレッジボイス、ニューヨークマガジン、エスクワイア、ローリングストーンなどでコラムを書いた。編集者としても活躍し、90年代にはポストとデイリーニューズの両方で編集長になっている。
小説家としては、「Killing for Christ」(1968年)を皮切りに「Loving Women(邦訳:愛しい女)」(1989年)など10の小説を発表した。新聞に書いた短編は100を超える。短編集として「ニューヨーク・スケッチブック」(1980年)、「東京スケッチブック」(1991年)が書籍化されている。 シンガーソングライター、ボブ・ディランのアルバム「血の轍」のライナーノーツで1975年にはグラミー賞を受賞。ポスト紙に連載したコラム「ゴーイング・ホーム」は山田洋次監督の映画「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)の原作となった。
私生活では1962年に結婚したが70年に離婚。87年にジャーナリストの青木冨貴子さんと再婚。娘2人と孫一人がいる。
紀伊國屋書店元NY店長の市橋栄一さんの話「確か1997年だったと思います、デイリー・ニューズ編集長時代の彼をオフィスに訪ねたことを思い出していました。紀伊國屋書店創業70年記念式典会場で放映するビデオ制作のため、青木冨貴子さんとお二人のインタビューを撮影させて頂きました。常盤新平さん訳の『ブルックリン物語』(ちくま文庫)、再読しようと手にしました。青木さんとは、この5月半ばにピートさんのお体の調子も交信していました。ニューヨーカーにとても愛された作家(ジャーナリスト)、寂しく思います。青木さんには、お悔やみのメール送信しました。ピートさんのご冥福をお祈りいたしております」。