岩本蘭子さん逝く

女侍ジャーナリスト

 ニューヨーク在住のジャーナリスト、岩本蘭子さんが6月24日、リバーデールの自宅で亡くなった。享年90歳。岩本さんは1963年に米国広報会社のルーダー&フィン社に採用され、ジェトロ担当責任者として上席副社長の役職を最後に退職するまでの14年間、社員350人の陣頭に立ち、日本製品のPRを米国で後押しした。

 日本のメガネから洋食器、靴、自動車、造船、おもちゃ、スキーなど当時米国に輸出しようとしていたほとんどの企業の書類が岩本さんの机の上を通って米国市場に上陸して行った。74年に独立してランコ・インターナショナル社を設立、米国内での日本製品の普及に貢献した。

 数多い業績には、1週間に亘る米国テレビ番組トゥディズショーの日本からの初中継放送、米国200年祭での昭和天皇展、NHKによる日本国内での米国宇宙飛行士の特別番組などの企画・実施が含まれる。

 ジャーナリストとしては数え切れない量の記事を書き、近著として『ピュアリティ・アンド・パワー : ザ・スピリット・オブ・ア・フィーメル・サムライ』(2006年Xリブリス出版刊)がある。この本は、外貨制限で30ドルしか持ち出せなかった時代に渡米を決心してボストン大学に留学、卒業直後の帰国準備中に舞い込んだ64年東京オリンピックとNY世界博の仕事の選択で、「人生の予定は立たぬもの」という岐路に至ったところまでを記した「蘭子激動の人生」の前半をまとめたものだ。

 戦後、「これからの日本はアメリカを雄とする自由圏のメンバーとして生きて行くことになる」と意識し、日米コミュニケーションの難しさを察知して、「この問題を解く鍵は庶民レベルのアメリカ人を知り、理解することにあり」と確信して米留学した彼女の体験談だった。「日米の文化の違いを認識し、お互いの理解と尊敬の上に文化交流の橋を架けるのが私の役目」が口ぐせだった。戦後の東京で育ち、米国で女侍ジャーナリスと呼ばれた。「アメリカの会社で働いてみるのもきっとよい体験になるに違いない」という半世紀以上前の彼女の思いは現代の若者にも通じる。晩年はニューヨーク育英学園の理事として10年以上、同学園を献身的にサポートした。(三浦)