内山綾子さん死去

日本人ダンサーの草分け

 ニューヨークでダンサーとして活躍した日本人の草分け、内山綾子さんが6月24日、療養先のイザベラ・ハウスで亡くなった。享年95歳。

 内山さんは1925年3月30日、北海道札幌市生まれ。6歳からモダンダンスを習った。北星女学校4年生の時、太平洋戦争勃発、慰問団に加わり道内の部隊を巡回した。戦後、ドイツ帰りのダンサー、クニ・マサミの公演を見て、踊りで生きようと決心、反対する両親を説得して上京した。3年間モダンバレエを修めた後、札幌に帰り生徒に創作舞踊の指導をしながら、アイヌの伝統的儀式である熊踊り「イヨマンテ」などを現代風にアレンジして道内や東京で公演。55年、その創作力が高く評価され北海道庁教育委員会から女性で始めての文化奨励賞を受賞した。

北海道ゆかりの会新年会で記念撮影する内山さん(中央、2015年2月)

 56年のマーサ・グラハムの初来日公演に感動、57年、マーサの招聴で渡米。彼女のダンス・スクールに入学した。睡眠時間も惜しいと思うほど全てをダンスにかけた3年間、マーサから技術的な面だけでなく、創作舞踊の精神、妥協を許さない芸術への情熱も学んだ。

 一旦帰国、北海道で教えたり、東京で実験的な催しをする傍ら、宝生流仕舞を修め、64年、グラハムスクールとジャパンソサエティーをスポンサーに再渡米。モダンダンスだけでなく日本の舞踊も修めていた内山さんは、ジャパン・ソサエティーとNY日本総領事館の企画で日本文化を紹介するため、一柳慧、新藤梅子、オノ・ヨーコらと全米を公演して回った。その後、23年間にわたって、日本舞踊に、能や狂言、歌舞伎、人形浄瑠璃など日本の伝統文化のレクチャーを併せた公演・講義を、カナダを含む全米の大学を中心に400回以上行い、各地で大変な賞賛を受けた。まさに民間の文化大使とも言える役割を果たすこととなった。

 95年、踊り一筋に生きてきた内山さんを長年支えてきたアルバート・ウェザリーさんと結婚。「私が40年前に蒔いた一粒の種が実り、今日、熊川哲也ら世界に通用するダンサーたちを育てたことを誇りに思っています」と内山さんは語った。(1999年NY日系人会JAA広報誌「日系人会の顔 (20)」で当時74歳だった内山さんをインタビュー。文・野田美知代JAA事務局長)

(写真)ソーラン節を踊る内山さん(2015年2月12日、北海道ゆかりの会新年会で、写真・本紙撮影の動画から)