津田先生さようなら

NYで日本語学んだ教え子ら

最後のお別れに涙

 去る2月18日未明に亡くなった国連国際学校(UNIS)の元日本語教師で、米国北東部日本語教師会会長の津田和男さん(77)の葬儀が2月28日、グリニッジビレッジの葬儀社でしめやかに行われ、小島寛之国際交流基金ニューヨーク日本文化センター所長、マーヤン・バルカン・ハンターカレッジ日本語日本文化科長、ジョンズ・ホプキンズ国際研究所並びにエドウィン・ライシャワーセンターアジア研究所レクチャラーのカルダー淑子さんら日本語教育に携わる関係者や多くの教え子たちが集まり故人を偲んだ。また3日には、ニューヨーク日系人会(JAA)でお別れ会が開催された。

(写真上)津田先生に別れを告げる元教え子たち(2月28日、グリニッチビレッジ葬儀社で)

 津田さんは、2年前に退職するまで米国東海岸で日本語を学ぶ現地校の高校生を対象に国連国際学校を会場に開催してきた「春祭り」を29年間にわたって主催した。30年目に当たる今年は、NECTJ文化祭@ハンター大学と名称を改めて、会場もハンターカレッジに移し、津田さんは開会式でも生徒たちの前で元気な姿を見せて挨拶、日本語を学ぶ現地校の高校生と大学生が初めて交流する悲願の高校大学連携を達成したばかりだった。 

NY日系人会でお別れ会

お別れ会がしめやかに行われた(3月3日NY日系人会で)

 ニューヨーク日系人会で3日午後、津田先生のお別れ会が開催された。葬儀と同様に中垣顕實法師が読経し、喪主代理の田村賢哉さんが次のように挨拶した。

 「訃報を知ったのは、2月19日の朝、九州の自宅から東京へ向かう道中だった。何か窓口となれないかと21日にご遺族のご兄弟と面会し、私が連絡や調整を引き受ける形になりました。昨日ニューヨーク市検視官事務所より正式に連絡があり、津田先生の死因は高血圧性心血管疾患による自然死で、事件性はないという結論に至ったとご報告をいただきました。ご遺族も「皆さまにお伝えしても構わない」ということでしたので、あわせてご報告申し上げます。 出発前にはご兄弟のもとを訪ね、「和男もこんなに多くの方に慕われ、良いお別れの場を作っていただいて感謝している」とのお言葉をいただきました。その際、妹の眞美子さまが考案なさった法名「慈光院釋和道」も授けてくださいました。「慈光」とは「楽しみを与え、苦しみを取り除く光」であり、そこに“和”の精神をもって人々を導いてこられた津田先生の人生を象徴しているとのことです。先生が50年にわたって築いてこられた功績が、海を越えてご家族にも伝わり、私も胸が熱くなりました。日本に戻りましたら、ご遺族にしっかりお伝えしたいと思います。津田先生もきっと喜んでくださっていることでしょう。

 まだ悲しみは消えませんが、先生の遺志を大切にしながら、皆さまと力を合わせてまいりたいと思います」