日系保険代理店で成功
戦後、企業派遣ではなく、交換留学生として来米し、米国の大学を卒業してビジネスで成功した日本人の草分け的存在とも言える森田繁美さんが16日、慢性腎臓病のため、ニューヨーク市内レノックスヒル病院で亡くなった。91歳だった。
森田さんは、京都出身で、1954年同志社大学文学部英文科在学中に交換留学生としてノースカロライナ州ユーロン大学に留学。ニューヨーク大学大学院へ進み、59年に損害および生命保険代理店、モリタ・アンド・カンパニーを設立。大手日系企業300社余りを顧客に持つ地場最大手の日系保険会社として営業したが、96年に保険部門を東京海上火災と三菱インターナショナル社へ売却。その後は石油会社役員としてテネシー州のオイル・天然ガスの開発に貢献し、同州知事から「Colonel」の称号を授与される。1985年からニューヨーク・ロータリークラブの募金委員長、名誉会長などを歴任。阪神淡路大震災の時にもロータリークラブで中心的役割を果たして日本への募金活動を行い、地震発生から1週間後には3万5000ドルの義援金をニューヨーク日本総領事館を通じて送っている。戦後に個人で渡米してアメリカ社会で成功した日本人ビジネスマンの草分け的存在として知られる。日本人として初めてニューヨーク・アスレチック・クラブの会員ともなった。葬儀は身内だけで執り行う。法子夫人は「人気者で、世話好きで、ベストドレッサーで、独特のユーモアで人を笑わせる愛嬌者でした」と語る。今年の夏に、偲ぶ会を行う予定。