私はプロレスに向いていた デストロイヤー イチバーン!

白覆面の下は教師の顔

 元プロレス世界チャンピオンのザ・デストロイヤーこと本名、リチャード(ディック)・ベイヤーさんが7日、故郷ニューヨーク州バッファロー郊外アクロンの自宅で亡くなった。88歳だった。ベイヤーさんは、アクロンの高校男女水泳チームのコーチとして毎年2月に開催される米東部高校水泳大会に出場する部員たちを引率し、ロングアイランドのナッソー郡まで遠征に来ていた。1997年まで同校の体育教師だったが、定年退職後は、水泳部コーチに専念、30年余りコーチを務めた。
 1953年にシラキュース大学大学院で教育学修士号を取得したが教壇には立たずプロレスの世界に。63年(昭和38年)に力道山と繰り広げた世界タイトルマッチは高度経済成長時代の「昭和の日本」を大いにわかせ、また、70年代には日本で放送された「うわさのチャンネル」(NTV)でもお茶の間のタレントとして人気者となった。
 日本へは毎年7月に東京都港区で開催される全日本子供レスリング大会に訪日して指導するなど日米青少年の育成に最後まで現役で活躍した。2011年の東日本大震災の年には81歳で被災地を訪問して被災者を激励している。
 20年近く前、取材でアクロンの自宅を訪問したことがある。デストロイヤーは「いいものを見せてやろう」と言って手招きし、奥の部屋の洋服ダンスの引き出しを引いた。そこには綺麗に折りたたまれた白覆面がびっしり入っていた。母校シラキュース大カラーのオレンジや、赤、青のストライプの入った白覆面を眺めて彼は言った。「私はプロレスに向いていたし、プロレスもまた私に向いていた。死んでまた生まれ変わってもプロレスラーになるだろう」と。(三浦良一記者、写真も/評伝18面書評欄に)