ニューヨーカー街角の声
ジョージ・フロイドさん死亡事件から1年半、新型コロナウイルスの武漢での最初の発症から2年が過ぎた。これらの事件を背景に始まった抗議活動のブラック・ライブス・マター(BLM)や、ストップ・アジアン・ヘイトの影響から、世の中における差別や偏見に対しての注目度は以前よりも増している。人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない中立的な表現や用語を用いることを指すポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC、ポリコレ)を意識せざるを得なく、例えば、私たち日本人が割と普通に話している身長や体型、肌の色などに関しての言及も、人の外見を馬鹿にしたり批判するという「ボディ・シェイミング」に繋がる可能性があるのだ。このようなことから、私たちは、それぞれの違いや傾向、すなわち多様性(ダイバーシティ)を理解して受け入れ合い、日常生活上の言動においても日々気を配る必要があるのだが、企業はここぞとばかりに広告を通じて、多様性への理解を示すようなアピールをしている。
一昔前は白人モデル起用が多く見受けられたファッションブランドのアバクロンビー&フィッチ、バナナ・リパブリックやブルックス・ブラザーズなどの広告を見ていても、最近は、黒人、アジア人、プラスサイズ(平均より大きい身長や体重)のモデル起用のオンパレードだ。セクシーな下着に身を包んだ細身のモデルたちによる派手なショーを行っていた女性ファッションブランドのヴィクトリアズ・シークレットでも、時代にそぐわないとして、プラスサイズモデルを起用するなど、広告業界は多様性に対して柔軟な姿勢を見せることに躍起になっている。そのような街中の広告を見て、ニューヨーカーはどう感じるのか、聞いてみた。
企業は心の底から問題解決に取り組もうなんて思ってはいないと思う。お金になるからやっているだけだ。(50代・リタイヤ・ヒスパニック系アメリカ人)
自身の会社でも多様性のコマーシャルを制作している。正直強制されているように感じるときもあったが、対応していかなくてはならない時代だし、それが当たり前の時代になっていくと思う。(40代・会社員・白人系アメリカ人)
多様性が認められるようになってきて、そのような広告が増えてきたことは全体的に考えればいいことだと思う。広告のモデルに自分を投影して自信がもてるようになるから。でも、本来は投影しなくとも、ありのままの自分で自信がもてるのがベストなはず。「誰でもヒーローになれるし、みんなが主役だ」というのは良いことだが、企業がこぞってやっているのは安易にみえる。今後は、白人主催のビッグカンパニーがリードするのではなく、マイノリティ自身らが作品を創り出していく側になり始めたらいいと思う。(20代・俳優・日系アメリカ人)
(佐久間千明)