解雇一転自立で得た生きる喜び

ピラティス・インストラクター

小林香代さん

 現在、マンハッタンのアッパーウエストにあるEQUINOXでセレブリティー相手にピラティスを教えている小林香代さんはこの夏まで、ニューヨークの日系大手総合商社で働いていた。9月30日の朝、小林さんが出社するとデスクの上の電話が鳴った。「会議室に来てくれますか」。上司に呼ばれていくと、日本人の上司と米国人の人事担当者がいた。「今日でカヨの仕事は終わりだからもう、今から帰っていいですよ」。6年間務めた会社で人員削減の現実に直面した瞬間だった。実にあっけなかった。同僚にグッドバイも言う機会もなかった。ショックだったが自分でも意外なくらい冷静だった。

 それより、小林さんの生活と人生を支えることになったのは、自分の余暇を使って講習を受けてピラティスの講師の米国での資格認定を受けていたことだ。解雇の当日にジムに事情を告げるとすぐに仕事の時間を増やしてくれた。手に職を持っていると身を助けるとは聞いていたが、経済的な面だけでなく仕事を通じて社会との関わりを維持できたことが何より心の安定になった。

 「受講して下さる方は、さまざまです。普段では会わない分野の方、怪我から立ち直り、健康に目をむけている方、出産前、出産後の方、姿勢を直したい方、他にも色々な目的を持ってピラティス を受講してくださっています。一番嬉しいことは、受講して下さっている方々が、少しづつ状態が良くなり、毎回丁寧にお礼を言ってくださることです。コロナ禍の状況で、多くの人が大切な人を失い、仕事を失い、途方に暮れ、精神的にダメージを受けている状況で、身体を動かすことが、どんなに精神的、身体的にサポートするかを実感しました。そして受講して下さる方々から生きているエネルギーを頂き、心から感謝しています」と話す。

 もともとは、ダンサーとしてブロードウエーの舞台に立ちたいと夢を抱いてニューヨークにやってきた。千葉県市川市で生まれ、3歳の時からローカルのバレエ教室に通い、東京の橘バレエ学校に入学、フリーランスでバレエの道に進みその後、ヘルニアとなりバレエ界から演劇界への道に進むことに。テレビドラマや舞台の仕事もしたが安定した仕事ではないと思い、大手食品メーカーの海外営業部でOLとして勤務。5年という区切りで会社を辞め、以前からの夢、海外に行って、違う文化で色々な経験をしたいと思いニューヨークの地に。そして心の底には、ブロードウエーの舞台に、NYで踊りたいという野望が滞在1年の予定を16年にした。オーディションを受けミス・サイゴンのオフオフブロードウエーのステージにもアンサンブルのダンサーとして舞台にも立った。抽選永住権に当選、グリーンカードを取得したこともプラスだった。

 NPO 団体のジャパン・パフォーミングアーツのソーシャル・アーツ・マネージャーとして数年前からボランティア活動もしている。これからの目標は、多くの人にピラティスの良さ広めることもそうだが、日本の若いダンサーたちの海外進出のアドバイザーとしても、培った経験を活かして、日本とNYの両方の拠点で仕事ができるようにする事だという。

 「ニューヨークはとても精神を鍛えられる街です。悔しいという思いと立ち上がる気概が、ここまでの私に背中を押してくれました。クリエイティブにこれからのジャーニーを歩みます」と笑顔を見せた。(三浦良一記者、写真も)