自己のファインアートを見つめて

アーティスト
菊池あをみさん

 菊池あをみさんは、今年の春、美術学校プラットインスティチュートの大学院を修了した。2年前、大学から全額返済不要の奨学金三万ドルを受けて入学。日本人の若者の留学離れが加速するなか、まったく海外留学経験のない56歳の女性が子育て後に挑戦したアート留学だった。プラットの大学院はおろか4年制の課程にも日本人を見かけることはほぼ無かった。若い人にも子育てを終えた人にも、挑戦する気持ちを持ち続けてほしいと彼女は語る。
 三重県伊賀市出身。県内有数の県立上野高校普通科に進学したが、経済的理由から、学費全学免除の国立看護助産学校に進学。ある日病院の中庭で、病室から飛ばされた紙飛行機を拾い、中に書かれた子供の絶望を吐露する内容に、医療では命を永らえることはできても、人間には胸をときめかす喜びや発見、美しいものを愛でる感情があり、生きる希望を持つことの大切さを思った。
 看護の世界を後にして、ものつくりを自分のライフワークにしようと決め、21歳で東京のバンタンデザイン研究所に入学。1年後、当時全盛であったデザイナーズブランドのビギグループ傘下のキャトルセゾンにデザイナーとして入社。バンタンのオーナーでもあり理事長だった菊池織部氏と結婚し、3人の子に恵まれたが2010年に死別、子供たちがそれぞれ大学を卒業して自立したのを機に渡米してプラットに入学した。大学院に通いながらも植物素材の染色作家としてニューヨーク日本総領事館広報センターギャラリーでの展示ほか海外の国際展や京都知恩院での個展など積極的に活動した。
 プラットでの教授の「アートには美も技術もいらない」という考え方に大きな衝撃を受けた。それは彼女にとっては日本のアートの全否定にも聞こえた。なぜなら「日本語でアートは『美術』、『芸術』と訳され、アートとは『美と術』、『芸と術』であると理解されているからだ」と。両極端なアートに対する考え方を自分の中に受け入れてみた時に、本当のアートとは何かを今再び問い直している。
 日本の友禅染めなどの染色技術などで培ってきた技法というものに今一度自身の中で光を当てたいと思っている。(三浦良一記者、写真は本人提供)