クリスティーズ落札で叶った恵まれない子供支援

アーティスト YUKAKO

 3月26日から4月4日まで競売オークション大手のクリスティーズで自分の描いた作品が競売にかけられて8000ドルで落札された。ハーレムの恵まれない子供達に芸術の機会を与える教育プログラム団体の助成企画オークションでクリスティーズからぜひあなたの作品を出して欲しいと持ちかけられたのが昨年の秋。落札された額は教育援助として寄付することをお願いされ二つ返事で承諾、自分の一番思い入れのある作品を寄付した。

 幅80インチ、高さ50インチのキャンバスに白地と黒を基調とした龍が舞っているようなアブストラクト作品「Spirit’s of Fight」(戦う精神)は、65色の色素から作り出した14色で描いた「生と死」を問いかけるアートで、人生の困難や快楽、喜びといった人の生き様と精神のあり方を一枚の無垢のキャンバスに想いを託した作品だ。

 絵を描くことは少女時代から好きだったが、アートを生業として生き始めたのは社会人になってからの遅咲きだ。子供の頃、アーティストになることを将来希望していたが、アートでは生活できないと親に反対され、安定した職業につける道を選び、仙台の4年制大学で英語の教員免許を取得して公立高校の英語教師になった。しかし1年後、自分の人生はやはりアートで生きることと奮起し、カリフォルニア州のUCバークレーに米国留学、その後サンフランシスコ市立大に転学しアートを専攻して卒業。ところが「その頃は、大学を出たら就職するものだというふうに思っていて」ベルギーに本社があるチョコレート原料を世界の有名チョコレート会社に卸す超優良企業に就職。アムステルダム、シンガポールと勤務する中で、最後はパリの社長とミラノの副社長から同時にポジションを用意されて板挟みとなり「きっとどちらかに行っていたら安定したレッドカーペットみたいな生活があったんでしょうけど、死ぬときにこれで私の人生はよかったのかと後悔すると思ったんですね」。引き止める会社を振り切って、2006年に徒手空拳ニューヨークの地に。ハーレムの小さなワインショップで絵を展示してもらったのがニューヨークデビューだった。絵を見た地元ハーレムで活躍するキュレーターたちの目に止まり、ワインショップから展示場所は、カフェになり、ローカルのギャラリーへとアーティストへの階段を着実に登り始めた。もともと教員でもあり教えるのは得意でアートスチューデントリーグでも教鞭をとるまでになった。ニューヨークで自分の画業を見守ってくれた恩師でアーティストの飯塚国男さん(2020年コロナで死去)が言った「これから将来に向かって頑張っていくアーティスト達を励ますためにも絵を描き続けなさい」と今では最期の遺言となってしまったその言葉が忘れられない。自分のためにがむしゃらに描き続けてきたアートに今、誰かのためになるという意味が加わったという。「ハーレムからドアを開けてもらい、育ててもらい、クリスティーズという舞台に立って世界に向けて出発できたことをとても光栄に思う」と笑顔を見せる。今年創立50周年を迎えるニューヨーク日本人美術家協会(JAANY)の理事を務めている。(三浦良一記者、写真は本人提供)