沖縄県民間大使
てい子・与那覇・トゥーシーさん
沖縄を伝えたい。「鉄の嵐」と呼ばれた激戦を4歳で体験したてい子・与那覇・トゥーシーさんの講演会が4日、マンハッタンで開かれた。
戦時の記憶は、鮮明に焼き付いている。初めて覚えたアルファベットは、空から爆弾を落とすB29のB。壕の中で命を奪ってまでも泣く子を黙らせようとする怖かった日本兵。男の子の格好をさせられて壕を出た日。生々しい体験談が、ほとばしり出た。
沖縄の米字新聞社に勤務、米国軍人と結婚して1964年に渡米、77年からニュージャージー州に住み、3人の子供に恵まれた。しかし、ベトナム戦争に従軍して戻った直後から内臓の慢性的な痛みに苦しんだ夫に先立たれ、医療にかかった借金を残された。他人のトラウマに取り組むことで自分のトラウマを乗り越えようと、沖縄の空手と心理学を学んだ。同州の精神保健センターで精神障害に苦しむ児童・青少年対象のケースマネジャーとしてキャリアを積んだ。
辛さをふっきったユーモアあふれる語り口が聴衆を魅きつける。しかし、てい子さんが今なによりも訴えたいのは、過去ではなく沖縄の現状だ。2月の県民投票でも改めて明らかにされた辺野古への新基地建設に反対する沖縄の民意。それが、またしても踏みにじられ美しい辺野古の海で埋立工事が止まらない。戦後、ひもじい思いをした時、タコや魚を捕って生き延びた、命の海だ。独自の文化、ことば、魂をもつ沖縄人としての誇り、そんな沖縄の声に耳をふさぐ日米両政府への怒りを語る時の口調は力強く厳しい。「これは人権問題」。
講演会では、辺野古での基地反対運動を描いた大矢英代監督の短編記録映画の上映や非暴力の市民の抵抗、歌や踊りにあふれる辺野古の座り込みや海上行動の現場報告の後、米シニア市民グループ「レイジング・グラニー」が作った反基地ソングやてい子さんの空手踊りが披露され、会場は大いに沸いた。
ニューヨーク沖縄県人会会長を10年務め、現在は同会名誉顧問。2006年には沖縄県知事から民間大使に任命された。子供たちは女手ひとつで育ててくれた78歳になる母がワシントンDCはじめ各地に抗議行動に出かけるのを心配するが、「孫たちは、おばあちゃんクールって言ってくれる」。17年前に孫が「ヒットラーが部下に市民が無知なのは有利なことだと言った。日本もそうだったね」と話したことで「休火山」が動き始めたと言い、「そろそろ爆発するかな」と笑う。正義感の強さは名護市婦人会会長や女性初の名護市老人会会長になった母親譲り。最近会った幼馴染みが言った。「あなた全然変わらないね」。(大竹秀子、小味かおる、写真も)