21世紀のニュー・ディール政策

麻生雍一郎

(ジャーナリスト、読売アメリカ社元社長・熱海市民大学講師

 「案の定」というか、「やはり」というか、「言わんこっちゃない」という声も聞こえそうだ。今月、大統領に就任するドナルド・トランプ氏が日本製鉄によるUSスチールの買収に「全面的に反対する」とSNSに投稿した。日鉄はなぜ、米国鉄鋼産業の象徴ともいえるUSスチール買収計画を2023年の年末に発表したのだろうか。

 1980年代までバブル景気に沸いていた日本は米国の企業や不動産を次々に買っていった。マンハッタンの五番街やシカゴの“魅惑の一マイル”通りではロックフェラー・センターなど多くのビルが日本企業の所有に変わったが、敢えて買収を控えたビルがある。マンハッタンのエンパイアステートビルやシカゴのシアーズタワーだ。これらは米国資本主義の繁栄と伝統を象徴するシンボルであり、おカネの力に物言わせて買い取ることは、取引の

原理を超えて、日米関係そのものを悪化させかねないとの判断があった。

 日鉄がこうした過去を知らなかったとは思えない。しかも、2023年12月といえば、大統領選が始まる直前だ。なぜ最悪のタイミングでUSスチール買収を公表したのか?「USスチールを本当に再建できるのか?」「2兆円もつぎこめば日鉄の屋台骨が揺らぎかねない」「米国の国民感情を逆なでする」「全米鉄鋼労組の反発を押し切れるのか?」などさまざまに指摘され、大統領選の論議の対象になることはわかっていた。計画の失敗はほぼ明らかになったが、880億円の違約金や経営陣の責任ぐらいではすまないだろう。

 大統領選を振り返ると、メディアの予測は民主党の代表がバイデン氏からハリス氏に変わると「ハリス優位」の記事が多くなり、世論調査では「5ポイントリード」の結果も出た。投票日が迫るにつれ「トランプ氏が追い上げ」に論調が変わったが、最後まで「接戦」

を報じたメディアが多かった。日本では開票が始まってからも「大接戦か、開票進む」(TBS)、「大接戦、激戦州」(テレビ朝日)など“大接戦”一本やり。米国の世論調査などを丸呑みにしたのだろうが結果は接戦州も含めてトランプ氏の勝利、結果が出るまで数日かかるとした報道もあったが、1日で決着がついた。

 大統領選でも、議会議員選でもハリス氏と民主党の敗北ということになったが、もっと大きな敗北者はメディアだったのかもしれない。もう国民はメディアの予想や世論調査を信用しなくなるだろう。今になってトランプ氏勝利やハリス氏敗北について書いているが、メディア自体がなぜ敗北したのか、についての徹底的な検証記事を私はまだ、目にしていない。

 選挙戦を通してのトランプ氏の話し方はシンプルで、わかりやすかった。新聞でいえば、見出しと前文だけで締めてしまうやり方で、本記は省略。どんな場所で、何をテーマに話しても「米国を再び偉大に(メイク・アメリカ・グレート・アゲイン)」を繰り返し、それを実現する手段は、①米国製造業の復活 ②移民の制限と不法移民の排除 ③外交は多国間での同盟より2国間で、の3点に要約できるのではないか。そしてこの語り口の簡潔さも、有権者の心をつかむ要因になったのではないかと思う。

 2国間で外交を行う際のやり方もわかりやすい。一言でいえばDeal(取り引き)だろう。日本のメディアでは、Dealについても外交の伝統と常道から外れた異端、といった論調を見かける。そうだろうか?私は米国の主な大統領の演説などを読み返し、外交上の重要な決断について調べてみた。私の結論は“Deal外交”は米国外交の伝統無視でも異端でもなく、逆に米国外交の本質なのではないか、というものだ。

 米国は1776年の独立宣言から来年で250年になる。独立宣言からわずか2世紀半という短い期間に世界最強の国を作り上げてしまったわけだ。米国で初の国勢調査が行われたのは1790年で、その時の人口は392万9214人だったと記録にある。当時の日本の人口(推定)のざっと4分の1だ。国土を構成したのは東海岸寄りの13州だった。現在の国土面積は

日本の26倍で、世界でもロシア、カナダに次ぐ第3位だ。これだけの国土拡張をなぜ実現できたのか。一言でいえば、Dealで実現したのだと私は思う。

 米国は1803年に214万4510平方キロのルイジアナをフランスから1500万ドルで購入した。現在の価値で3億4000万ドル(約510億円)。アーカンソー、コロラド、アイオワ、カンザスなど今日の15州にまたがる。ジェファーソン大統領はニューオーリンズだけを買い取るつもりで後に大統領となるジェームズ・モンローを特使として派遣したが、フランスの統領ナポレオンはルイジアナ領全部を売却すると申し出たのだった。

 続いて1819年には500万ドル、現在の価値では1億100万ドル(約151億円)をスペインに払って当時の西フロリダと東フロリダを買い取った。現在のアラバマ、ルイジアナ、ミシシッピとフロリダ北西部を占める地域だ。

 1848年にはカリフォルニア、ネバダ、ユタ州とアリゾナ、コロラド、ニューメキシコ、ワイオミング州にまたがる135万9744平方キロを1500万ドルの一括払いでメキシコから買った。現在の価値で4億8700万ドル(約730億円)。米国の国土はとうとう太平洋をのぞむ大陸の西海岸まで広がったのだ。

 1867年には今日の地政学に大きな影響を与えるビッグパーチェスをしている。日本の総面積の4倍、155万3993平方キロのアラスカをロシアから720万ドルで買ったのだ。現在の価値で約1億2500万ドル(約187億円)。ロシアのピョートル大帝はこれより50年も前にアラスカ探検に乗り出したが、永住植民者は400人以下にとどまった。植民を進める資金が不足したうえ1853〜56年のクリミア戦争で戦費がかさみ、アラスカ売却を申し出た。米国も1861年から65年まで南北戦争が続き、買収交渉は遅れたが、1867年にアンドリュー・ジョンソン大統領が条約に調印した。

 石油や天然ガスなどの鉱物資源、森林資源、水産資源に恵まれた広大な土地を格安のDealで買い取ったのだ。ロシアのプーチン大統領はウクライナに向けて射程900キロの中距離弾道ミサイルを撃ち込んだ。EU各国は射程に入るが、米国の主な州へは届かない。ジョンソン大統領がアラスカをDealで買わず、ロシアの領土のまま今日まできていたら、米国の国民は安心して眠ることのできない夜を過ごすことになっただろう。

 1898年のフィリピン買収は米西の戦争の結果だが、ここでも米国はDealの形式を取り、スペインに2000万ドル、現在価値で6億1800万ドル(927億円)を払っている。米国のDealは20世紀になっても続く。1917年にはカリブ海のバージン諸島に星条旗が掲げられた。デンマークに2500万ドル、現在価値で5億100万ドル(約751億円)を払ってセントクロイ島、セントジョン島、セントトーマス島など豊かな観光資源を持つ島々を米国領に組み込んだ。

 初代大統領のワシントンは退任に当たって国民宛てに「告別の辞」を書いたが、恒久的同盟は避け、孤立した立場の長所を選ぶよう勧めている。後のモンロー大統領などにも受け継がれた。同盟を避ける外交はワシントン以来の伝統で、トランプ氏の専売特許ではな

い。トランプ氏は1期目の大統領を務めていた時、「グリーンランドを買いたい」と発言したことがある。保有するデンマークは取り合わなかったが、実業界で長い経験を積んだだけに2期目でも同盟には重きをおかず、2国間では予想もしないDealが飛び出す可能性がある。ウクライナ戦争もDealで決着させようとするのではないか。日本も米国外交のやり方を独立宣言の源(みなもと)から研究しておくことが大切だ。

注:米国がDealで買い取った領土の当時の価格および現在の価値はニューヨークタイムズの「世界の話題」(2019.10.07)を参照しました。また、日本円表記は1USドル=150円で換算しました。


プロフィール:1942年東京都出身。早稲田大学第一政経学部政治学科卒、65年読売新聞社入社。78年シドニー支局長、87年シカゴ支局長。92‐97年読売アメリカ社社長。99年読売香港社社長。2006年読売新聞社退社、2012年まで法政大学、上智大学兼任講師ほか日刊マニラ新聞セブ支局長、南日本新聞客員論説委員などを兼務。第一回サザンクロス賞(日豪交流ジャーナリズム賞)受賞。著書に『オーストラリア未知未来の大陸』『オーストラリア歴史・地理紀行』など。