旦 英夫(ニューヨーク州弁護士)
本誌に米語Watchが連載されて10年。そのコラムはPHP社から、5年前に「日本からは見えないアメリカの真実」として、そして昨年「米語 ウォッチ・アメリカの今を読み解くキーワード131」として出版された。著者の旦英夫さんに、新著が目指す意図とともに、2024年を振り返ってもらった。
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前書では、アメリカ人が会話で使う米語表現を説明することに重点を置きましたが、新著では、アメリカの「今」を反映するキーワードの説明に注力しました。この国は間断なく政治的、社会的変貌を遂げています。パンデミックが社会へ与えた影響は、人々の生活や働き方に大きな変化をもたらしました。「分断」は形を変えながらアメリカ社会・人間関係に大きな影を落としています。新年には、政治の変容がまた新しい米語を生み出すでしょう。
昨年2024年は大統領選挙の報道で忙殺された1年でした。両陣営が、政策の違いよりもName-calling(個人的攻撃)をぶつけ合った印象があります。トランプ陣営が使った例が、ハリス氏をDEI Hire (“多様性” 採用)と呼ぶものでした。Diversity, Equity and Inclusion( 多様性、公平性、包括性)は様々な個性を尊重することを意味します。つまり、DEI Hireと呼ぶことでハリス氏が実力ではなく、女性で人種少数派であるゆえに大統領候補になったと、彼女を侮辱したのです。最終盤にはハリス氏に対し、Crazy Radicalや Low IQなどとんでもない悪口を投げつけました。それに対してハリス陣営はConvicted Felon (重罪犯)、Just Plain Weird (奇妙そのもの)などとトランプ氏を形容して対抗しましたが、かないませんでした。
経済問題が最終の結果をもたらしたと言われるこの選挙で、トランプ陣営は、同氏を大学卒業という学歴を持たない人々が支持する現象 (Diploma Divideとも呼ばれる)に焦点を合わせ奏功しました。 トランプ氏が主張した論点(移民制限、犯罪対策、外国製品への関税、国内増産によるエネルギー・コストの低下)が、物価高、失業などの影響をもっとも受けやすい、大卒ではない白人、黒人、ヒスパニック男性の票(Bro Vote)に繋がったのです。彼らはまた、女性が国の指導者、とりわけ軍の最高執行官になることに大きな不安を感じたとも言われています。対抗して、ハリス氏がGender Gap(男女差)に訴えた女性の中絶の権利Reproductive Rights の主張は、多数票を獲得するには力強さを欠きました。
新しいトランプ政権の下、アメリカは大きな変貌を遂げるでしょう。すでに、トランプ氏は不法移民(Undocumented Immigrants)を大量に国外追放する方針(Mass Deportation)を大統領就任と同時に行うと宣言しています。そのためには国家非常事態を宣言し、軍隊の力を使うとまで言っています。また、トランプ氏はこれまで自分を訴追してきた司法省の役人や政敵に対して報復(Retribution)を目的とする刑事訴追を試みるのではと、懸念が広がっています。
実際、あらゆる物価の高騰が国民の生活を苦しめています。所得格差は前にも増して広がっています。住宅事情についても、高いローン金利と高い家賃の中で国民の多くが適切な家に住めず、それはホームレスの人々の増加につながっています。 株価や黄金の価値の上昇により資産の多い人がますます豊かになり、貧富の差が増大するのがこの国の現実です。一般庶民にとっての住宅事情の悪化は Tiny House Movement(狭小家屋推進運動)、Boommate(シニア世代ルームメイト)、House Poor (家にお金がかかり、生活は貧しい・・・)という言葉を生み出しました。アメリカでは、普通の家賃の支払いが困難だとする人たちは、一千万人に上るという最近の報告もあります。低家賃の住宅を供給するため、Tiny House Movementは、狭小家屋の建設を妨げていた制度を見直し、Micro-apartmentなどの建造を促進する動きです。 Boommateは家賃を節約するために家や部屋を共有するシニアの人々を指します。これは、Babyboomer(ベビーブーマー)とRoommateを組み合わせた言葉です。実際、アメリカでは老後の貯蓄も年金も十分でない人々が多く、百万人にものぼるシニアがBoommateとして他人と一緒に暮らしているそうです。
国民の経済の悪化は、Retail Apocalypse(小売店が陥っている大困難 )の原因のベースになっています。アメリカでは、Shoplifting (万引き)や Flash Mob Robbery (突発的集団強盗)が横行し、多くの小売店が店じまいする事態となっています。州によっては、一定金額以内の万引きを重罪として訴追しないこともこの問題を大きくしています。加えて、Refund Fraud (返品詐欺) が小売業界に大きい損害をもたらしていることも無視できません。その手口は様々ですが、新しく買った商品の代わりに盗品や中古品を返し、代金を払い戻してもらうのが典型です。業界団体の調査によると、2023年に返品されたもののうち13%以上が詐欺的行為だと言われます。金額にして一千億ドル(15兆円) を越すというのですから、天文学的な数字です。
アメリカにおける結婚や男女の関係にも大きな変化が見られます。男女の関係をその場しのぎで考える若者が増え、 結婚や家族の在り方にも影響を与えています。アメリカの若者たちが使う Situationshipは、 付き合ってはいるものの将来への約束はしていないという、「とりあえず」の関係を意味します。Relationship(人間関係)ではなく、Situation(その時々の状況)に任せる関係だというニュアンスです。Breadcrumbingという言葉もよく耳にします。直訳するとパンくずをまくことですが、流行語としては、男が相手の女性に意味ありげに気を持たせておくだけで、明確な態度を示さないことです。
若者たちの結婚観も変わってきたのでしょう。DINKWADという言葉が流行りました。これはDouble Income、 No Kids With a Dogの頭文字です。 長く使われてきたDINKSに「犬と共に」の意を追加して作られた言葉で、現在の多くの若者の心を捉えています。DINKWADを選択する夫婦は、子供の養育の苦労と費用という現実的負担を考えると、ペットと過ごす人生が自分たちに合っていると考えます。実際、各種の調査によると、ミレニアル世代やZ世代の半数に近い人たちは、子育ては経済的に不可能と判断しているのです。関連して、アメリカの若い人の間で注目されている言葉がAnti-bride Weddingです。これは伝統的な結婚式・披露宴の様式から離れて、自分たち流の結婚式を行うということです。準備と緊張とお金がかかる結婚式を避けて、簡素でも個性的な祝典にしたいのでしょう。
技術の観点でアメリカを見渡すと、 Chat GPT というGenerative AI(生成AI)が2年前に出現して以来、 工業、財務・経済、教育、医療そしてエネルギーなどあらゆる産業界に革命的な変革をもたらしました。AIによるDeep Learning(深層学習という自己学習能力) やScraping (ネット上から情報を自動的に集める技術) は、近い将来年$8 trillion にものぼる経済価値を生み出すと言われます。しかし、AIは既に職場に衝撃を与えています。法律界では、過去の判例の調査や分析という仕事がAIに奪われ、職を失った若い弁護士が多くいます。また、会計、医療、翻訳など多くの専門的分野の一部だけでなく、画面クリエーターの仕事でさえもAIに置き換えられています。その一方、AIは未だ初期発達状態であり、Hallucinate(AIが嘘をばら撒くという)という言葉が、AIへの頼り過ぎに警鐘を鳴らしていることは特記されるべきです。そしてその延長上に、AIの進歩は本当に人間を幸せにするのかという根源的疑問が、人々の頭を掠めているのです。
新年2025年はアメリカそして世界が大いに揺れ動くことになるでしょう。皆様のご多幸を祈るのみです。
ニューヨーク紀伊國屋書店ベストセラー!
第2弾が発売
本紙に連載中のコラム「米語Watch」の単行本第2弾。著者旦氏は、40年以上に渡り在米し、ニューヨーク州弁護士として活動。本書では、「文化・生活」「社会」「経済・ビジネス・技術」「政治・法律」の4つの分野から、アメリカの旬の言葉を紹介している。現地で生活する筆者が見つめるアメリカの「今」を解説。超大国アメリカで飛び交う「米語」から米社会を見直し、再発見できる一冊だ。全編カラー版でキーワードの解説と例文を見開きにし、とても読みやすくできている。米国紀伊國屋書店NY本店(アベニュー・オブ・ジ・アメリカス1073番地)で発売中。本体価格19ドル99セント。