村上春樹がアメリカに来たとき、会えるならぜひ、会っておきなさい、と勧められた作家が、E・L・ドクトロウ(E. L.Doctorow)だったと、何かで読んだことがある。
ニューヨークの図書館で、彼の本を借りるためにカウンターに置くと、そばにいた見知らぬ利用者の女性が、うれしそうに叫んだ。
Another Doctorow fan!
ここにも、ドクトロウのファンがいたわ!
一番上には別の著者の本が置かれていたのに、その人はわざわざ横から彼の名前を見つけたのだ。
NYU(ニューヨーク大学)の大学院でクリエイティブ・ライティング(Creative Writing)を学んだとき、ドクトロウは私の論文の指導教授だった。
そう自慢げに話すと、まあ、あなたはなんてラッキーなの、と女性はうらやましがった。
クリエイティブ・ライティングは、小説や詩などのフィクションという意味だ。アメリカの高校や大学では、これが授業科目にあるところも多い。
大学院に進学したとき、教授陣にこの作家の名前を見つけ、驚いた。
日本の大学の米文学史の授業で、彼の名前が出てきたからだ。『ラグタイム』『紐育万国博覧会』『ビリー・バスゲイト』など、アメリカを舞台にした歴史小説を書き、作品は映画やブロードウェイ・ミュージカルにもなった。
大作家だが、私たち学生にとって、父親のような存在だった。ユーモアがあり、穏やかで、目がやさしかった。
在学中のある日、ドクトロウ先生が食事に誘ってくれた。私は最初こそ、やや緊張していたものの、だんだんリラックスし、身振り手振りを交えて話しているうちに、テーブルの上の水がたっぷり入ったグラスを倒してしまった。
先生は何も言わずに立ち上がり、びしょ濡れになった服をナプキンでふき始めた。
大先生になんてことを!
私は動揺し、本当に申し訳ありません、とひたすら謝った。
先生は席にすわり直すと、私を見つめて、ぼそっとつぶやいた。
I’ve just been baptized.
只今、洗礼を受けました。
洗礼はキリスト教徒になるための儀式で、全身を水に浸したり、頭に水を注いだりする。
大丈夫。気にしなくていいんだよ。
その気持ちを、先生はユーモアに変え、伝えてくれた。
さすが、大作家だ。言うことが違う。ユーモアは人間関係の潤滑油だ。
大先生に水を引っかけておきながら、私が言うのもナンですが。
しかし、せっかくかかった私のエンジンも、洗礼事件ですっかり調子が狂ってしまい、大先生がすかさず差してくれた油の効き目は、今ひとつだったと記憶している。
このエッセイは、シリーズ第7弾『ニューヨークの魔法の約束』に収録されています。