常盤新平 ニューヨーカー三昧 I LOVE NEW YORKER 6
2年ぶりにゲイ・タリーズの『作家の生活』を読みかえした。彼が人生を振り返った回想録だ。父親は長靴のようなイタリア半島の最南端の寒村に生まれて、若いころにパリで修業した後、ニューヨークにやってきて仕立屋(テイラー)をはじめた。
ゲイ・タリーズは父親の作った服を着て育っている。ノンフィクション・ライターになってからも父の作るスーツを着用した。
1960年代の初めごろ、私は「エスクァイア」という男性雑誌を読んでいた。メンズ・マガジンと言ってもヌードは載せなかった。読み物と小説が面白くて、アーノルド・ギングリッチという趣味のよい名編集者の名をおぼえた。
ニューヨークの名もない人たちのことを書いている新人がいて、私は興味を惹かれて読むようになった。地下鉄で見かける美女や、夜の裏街を徘徊する野良猫などを散文詩風に書いたエッセイだった。それらのエッセイには作者の「私」が登場していた。ゲイ・タリーズという作家だった。
それはやがて「ニュー・ジャーナリズム」と呼ばれるようになって、多くのジャーナリストがそれにならった。
この人はいずれ長編を書くのではないかと私は期待した。まもなくニューヨーク・タイムズの内幕を詳細に書いた「王国と権力」が出版されてベストセラーになった。
私は雑誌を読んで好きな作家を見つけてきた。そのひとりがゲイ・タリーズである。それから数年してマフィアのことを書いた本の一部がやはり「エスクァイア」に連載された。マフィアを内側から描いた実録だった。
マフィアについてはそれまでたくさんの事が書かれてきたが、いずれも外側からなぞったものにすぎなかった。
タリーズはニューヨーク・マフィアのボスの息子と親しくなって、その息子を主人公にして「汝の父を敬え」を書いたのである。この本と「王国と権力」とのあいだには似たところが数多くある。
タリーズはニューヨーク・タイムズ社長のサルッバーガー一族について書いたのと同じように、マフィアのボナンノ家の歴史を描いてみせた。
ニューヨーク5大ファミリーのひとつにタリーズが興味を持ったのは、マフィアの家族の女たちや子供たちであり、たとえば彼らが日曜日の午後にどんな話をするのか、どんな映画を見にいくのか、テレビはどんな番組を見るのかといったことだった。いわゆる暗黒街の抗争ではなく、マフィアの日常生活を書きたかったのだ。
「汝の父を敬え」の原作が出たのは1971年である。その2年前にプーゾの小説「ゴッドファーザー」が発売されて、何か月もベストセラーを続けて映画化された。
そのころ、わたしは出版社に勤務していて、趣味はマフィアの本を読むことだった。しかし、マフィアの本場であるイタリアに行こうなどとは思ってもいなかった。
1978年にブックフェアでボローニヤに行く機会があり、その帰りにシチリアに寄り道した。まるで夢のようだったのをよくおぼえている。同月のことでシチリアの都のパレルモは春らんまんだった。
観光バスでパレルモの街を見物したが、私が泊まった、ワグナーがオペラを作曲したというホテルは素晴らしくよかった。そのあと、パリ経由よりニューヨークへ向かったほうが航空運賃が安いとわかって、NYに行き、東44丁目のホテルに泊まった。フロントの女性がブラウスのあいだから胸毛が覗いている因業そうなおばあさんで、ぼられるのではと心配したが、宿泊料は安かった。
このときは結婚前の妻が同行していた。ホテルがあまりにおんぼろだったのは気の毒だったが、彼女はNYに来られたのをよろこんでいた。
これも何十年前のことだ。私が「汝の父を敬え」を翻訳してからはや27年になる。そのころの新聞にはNYマフィアの縄張り争いが雑誌にときどき載っていた。近ごろはマフィアの記事をとんと見ない。私の心からもマフィアは遠くなっていった。たぶん若かったから、マフィアなどという遠い遠い異国のものに関心を持ったのだろう。
その後NYを訪れたとき、「汝の父を敬え」に出てくるNYの下町通りを歩いてみた。現在マフィアがどうなっているのかということに興味がうすれている。ただ、そのボナンノ一家、あの若きボスのビルはどうしているかと思う。彼はもう80に近いはずだ。いまはマフィアより大きな事件がいくらでもある。(2008年9月6日掲載)
(写真)『エスクァイア』誌1954年2月号の表紙
■常盤新平(ときわしんぺい、1931年〜2013年)=作家、翻訳家。岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。早稲田大学文学部英文科卒。同大学院修了。早川書房に入社し、『ハヤカワ・ミステリ・マガジン』の編集長を経てフリーの文筆生活に入る。86年に初の自伝的小説『遠いアメリカ』で第96回直木賞受賞。本紙「週刊NY生活」に2007年から2010年まで約3年余りコラム「ニューヨーカー三昧」に24作品を書き下ろし連載。13年『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』(幻戯書房)に収録。本紙ではその中から12作品を復刻連載します。