パニックさえしなければ苦境は通り過ぎる 闘いの現場から2

  避けたいシナリオ

 「ついにやってしまった」「ばれたら投獄だ」「もうオレの人生は終わった」「もう取り返しがつかない」ついに犯罪に手を染めてしまったとき、人はそう思うだろう。

 理由は、何かのプレッシャーや困難だろうか。だが、その困難は実は乗り越えられるものではなかったか。少なくとも、それを理由に社会に糾弾されるものではなかった。なのに、何とかその困難から逃れたくて、犯罪という取り返しのつかないことをしてしまう。

  エリートの転落

 仕事柄、大手企業のエリート社員として長年真面目に仕事をしてきた人が、そのように社会的に許されない行為を犯してしまった、というケースに遭遇することも多い。ビジネスの困難や周りからの圧力、そんなことが理由かもしれない。粉飾や証拠隠滅など、「ここさえ乗り越えればなんとかなる」という気持ちから、ついやってしまう。しかし、「天網恢恢疎にして漏らさず」とよく言ったもので、どこかで捕まってしまう。

破滅を生むのは逆境ではなくパニック。

 「まずい」「ピンチだ」誰しもそう思うことがあるのではなかろうか。「大失態だ」「大損失を出してしまった」「ばれたら不祥事だ」そんなときだ。そして「出世はもうないだろう」「クビになるかもしれない」「家族には説明できない」などと悲観したりする。

 しかし、それは実は、他人から見たら十分に回復可能で恵まれた状況だったりする。それなのに、「もうダメだ」という絶望や「これまで築いたものを失いたくない」という執着などの感情に呑み込まれると、取り戻しのつかない犯罪という行為への一線を超えてしまう。

 人間から不安や恐怖などの感情を取り除くことは出来ないが、パニックになるような感情を感じたら、その感情的な自分を見守って、出来るだけしばしやり過ごしてみることも大切である。

 それは終わりではない

 つまり、ほとんどの逆境は終わりではない。出世の道を失うことも終わりではない。地位を失うことは終わりではない。大金を失うことも、豪邸を失うことも、終わりではない。プライドを失うことも終わりではない。人に嘲笑われても、侮辱されても、馬鹿にされるようになるにしても、終わりではない。家族に落胆されても、家族に苦労をかけても、それは終わりではない。

  夢をみて眠ればいい

 苦境に立たされたとき、人は孤独である。深夜遅く一人悩み、その孤立の中で間違った判断をしてしまうことも多い。そんなときは、ひとまず寝てしまうのも手である。

 「捲土重来(けんどちょうらい)」と言うように、失敗した者が土けむりを巻きおこすほどの勢いで再起することもある。「巌窟王」の昔から、大ピンチのどん底から這い上がってこそがヒーローである。いつも順調で平坦な人生などつまらない。辛酸をなめてこそ人間は成長し本当の喜びも得られるのではないか。

 そんな勇ましい夢を見ながら、故郷の森や山々を想って眠ればよいだろう。

(さいとう・やすひろ、米国訴訟弁護士)