審査員席からのコンペティション(2)田村麻子

磨かれた神秘の波動

 私のオペラ原体験は17歳の頃、一流のオペラ歌手によるオペラを初めて観た時でした。人間の声とはこんなにも素晴らしい楽器になり得るのか、こんな世界があったのか! と雷に打たれるようなショックを受け、若くて感動しやすかった私は、どんな辛い事があろうとも、こんな感動を人に与えられる様なオペラ歌手になりたい!と強く思ったものです。そうして年月は流れ、その強烈な原体験が礎となったのか、本当に声楽家としてこれまで歩んで来れたわけですが、今もなお、オペラの魅力の半分以上は声だと信じています。実際多くの声楽家やオペラファンは、1に声、2に声、3・4がなくて5に声…と言うほど、声楽では特に声の力を重視します。昔マリオ・デル・モナコと言う往年のテノール歌手が1960年代に来日し、ヴェルディのオペラ”オテロ”の登場の第一声を発した際、聴衆の中にいた私の恩師は、身体中の細胞が狂ってめちゃくちゃになったと言っていました(笑)。その後も彼は、感動を通り越して、細胞だけでなく脳も破壊されそうになり、ただただこの神様のような人が同時代に生きている事実に感謝したよと何度もその時の事を仰っていました。

 実は声楽界では、その時の公演は伝説となっており、恩師からだけでなく他にも、あちこちから同じ様な事を聞いたり、その聴衆の中からは後年、何人ものオペラ歌手が誕生したとも聞きました。この話からしても、人の声が与えるインパクトと言うのはものすごいものがあり、それこそ時には人生を変える力があります。それは一体何なのでしょうか?私も演奏家として、人に感動を与える声
(音)とは何なのかを、ずっと考え続けてきましたが、私が今思う声の力とは、生命体を揺さぶる波動です。正しく長年訓練された声の持つ、神秘の波動です。音楽の魅力とは、全てこの波動によるものと言っても良いと思いますが、声楽の場合は、人の身体という100%天然の楽器の波動に、言葉の力も相まって、時に多大なインパクトを与えます。が、仮に言葉が無かったとしても、訓練された筋肉の繊細かつ複雑な動きで奏でられる音(声)は、アルファ波やベータ波の様に、ずっと聴いていたい様な限りなく心地よく、心の底から感動したり、ゾクゾクと興奮するような、人が好ましく感じる波動となるのです。

 先月の国際コンクールで、管楽器の審査員の先生より興味深い事を聞きました。トランペットやクラリネットなど、各管楽器の一番美しい音を、ある一定の音程で録音し、それぞれ編集して繋げていくと、どの音の波動も非常に似ていて、耳で聴くと何の楽器なのかほぼ見分けがつかない、と言う実験があったそうです。確かに美しい音色とは、どんな楽器でも似ていると感じますし、私はすべての幸せな家庭は似ており、不幸な家庭は、それぞれ異なる理由で不幸である、と言うトルストイの言葉なども思い出しました…とまた脱線しそうになってしまいました(笑)。
ではまた次回に!

田村麻子=ニューヨークタイムズからも「輝くソプラノ」として高い評価を受ける声楽家。NYを拠点にカーネギーホール、リンカーンセンター、ロイヤルアルバートホールなど世界一流のオペラ舞台で主役を歌う。W杯決勝戦前夜コンサートにて3大テノールと共演、ヤンキース試合前に国歌斉唱など活躍は多岐に渡る。2021年に公共放送網(PBS)にて全米放映デビュー。東京藝大、マネス音楽院卒業。京都城陽大使。