日本では10月31日の投開票で総選挙が終わり、アメリカでも、11月2日に一部の地方選が行われた。これで両国とも政局が安定したかというと、残念ながらそうは行かない。日本の場合は、岸田政権への信任がされたかに見えるが、総理としては来年2022年夏の参院選に勝たねば政権基盤は固まらない。一方で、アメリカのバイデン政権の場合は2022年11月の中間選挙まで1年を切る中で、政局運営は益々厳しくなっている。
まず、そのアメリカだが、多くのメディアはバージニア州知事選における民主党の敗北を大きく取り上げている。LGBTQの権利や人種問題などでリベラルな政策を強めすぎる教育政策への反発、あるいは共和党のトランプと距離を置いた選挙戦が成功したというような解説とともに、民主党退潮かという危機感を煽るものが多い。だが、同時にニュージャージー州の知事選でも苦戦していることを考えると、民主党の抱える問題は別と思われる。
ニュージャージーでは、コロナ対策にリーダーシップを発揮した現職のマーフィー氏が事前の世論調査では圧勝という予想がされていた。だが、フタを開けてみると、トランプ的な言動を繰り返してきた共和党のチャタレリ候補が猛追。現職としては意外な辛勝となった。私は投票日当日に、左右両派にスイングすることで有名な町を通る機会があったが、チャタレリ候補のファーストネームである「JACK」という看板が林立しており驚かされた。しかし、ここはニュージャージーである。ストレートなトランプ派の数は多くはないわけで、民主党州政への反発はイデオロギー的なものとは思えない。つまり、一連のコロナ禍における「不自由」への反発と考えるべきだろう。この町の場合、確かに地元に根ざした巨大スーパーでは、マスク着用率は終始低く「コロナ禍へのストレス」が感じられたからだ。ということは、バージニアで起きたことも、イデオロギーというよりもコロナ疲れという深層心理と見た方が良さそうだ。
問題は、このコロナ疲れというのが、中道から右の世論には相当に根深いということだ。マスクを強制された恨み、職を失ったというよりもレストラン、バー、ジムを閉鎖させられた恨みというのは根深く、そして簡単には水に流せるものではない。これにワクチン接種を強制されることへの本能的な反発がある。アメリカ保守の抱える、独特の自己決定権信仰は、簡単に修正できるものではなく、ロックダウンもワクチンも、「2度と経験したくないという怨念」として残りそうだ。
ここにバイデン政権の最大の困難がある。アメリカのワクチン接種率は、いつの間にか日本に抜かれ、今では全人口に占める「接種完了者」では14%も離されている。その差が、何乗にもなって感染率の大きな差となっている。だが、これ以上「接種義務化」を進めることには政治的なリスクが伴う。それでも、バイデン氏は官民の職域における義務化を進める構えだが、その先には、予定通り実施できるかという問題と、その結果として日本のような感染の抑え込みができるかという問題が問われることになる。だからこそ、審議に難航したとはいえ巨額のインフラ予算を通して景気の維持に努めるなど、とにかく前へ進むしかない。これからの1年、バイデン政権の道のりは非常に厳しいと言えよう。
一方で、自公政権が信任を受けた形となった日本の政局は遙かに安定しているように見える。だが、日本には別の困難がある。1つはアジアの軍拡競争の問題だ。総裁選と総選挙を通じて日本では「敵基地攻撃能力」についての論戦が盛んとなった。日本人は「いつもの保守アピール」という「内向きの話」と思っていたようだが、実は近隣国の世論を刺激しており、放置しておくと東アジアにおける軍拡競争が加速する危険がある。一方で、円安がズルズルと危険水域に入ってきた中では、計算として軍拡競争へ回すキャッシュフローは限られる。つまり「円安+緊張拡大」を求心力としてきた安倍路線が成立しなくなっているのだ。では、岸田氏に「円高+緊張緩和」へと国策を転じるだけの決意があるかというと疑問が残るわけで、日本が直面する潜在的な危機はアメリカの比ではない。
とりあえず選挙の季節は終わったが、日米ともに政局が「一寸先は闇」であることに変わりはない。
(れいぜい・あきひこ/作家/プリンストン在住)