常盤新平 ニューヨーカー三昧 I LOVE NEW YORKER 1
「ニューヨーク物語」(NHK・BS)をときどき見ている。先日は建設現場で働く女性たちを取り上げていた。彼女たちが力のいる難しい作業を懸命にこなす姿が立派で、胸をうたれた。「女性が経営する古本屋の番組を以前に見たことがある。その古本屋に見おぼえがあった。東59丁目のアーゴシー・ブックスであろうか。
女性の古本屋といえば、東43丁目にあったフランセス・ステロフのゴサム・ブック・マートが有名だ。私がここを訪ねたとき、彼女はまだ健在だった。たしか眼鏡をかけた、ほっそりしたひとだったように記憶している。その後、彼女は亡くなり、店も1、2ブロック北か南に移ったと聞いている。
アーゴシー・ブックスではジェイムズ・サーバーの『ロスとの歳月』を買った。『ニューヨーカー』を創刊したハロルド・ロスの思い出を語ったハードカバーである。20代の終わりごろ、この本をペーパーバックで読んで、この週刊誌を購読するようになった。『ニューヨーカー』のおかげで、私はニューヨークや作家たちを知ることができた。
いまでもよく辞書を引いて読んでいるが、辞書を引くのは苦にならない。いいかげんにおぼえてもよさそうなものだが、同じ単語をなんども引いている。
『ニューヨーカー』は創刊号から昨年までの号がDVDになって、それが発売され、私もそれを所持しているが、そのDVDの利用のしかたがいまだにわからない。
親切な人にそのDVDから、私が読みたかったものをプリントしてもらった。そのひとつが1945年8月4日号に載ったジョゼフ・ミッチェルの『ミスター・フラッドのパーティ』である。
ミッチェルの読物の面白さを知ったのは、ずいぶん昔のことだ。1970年代の終わりごろ、彼の『マクソーリーズの素敵な酒場』という短編を翻訳した。当時の私はダウンタウンもグリニッチ・ヴィレッジもただ歩いてみたというだけで、マクソーリーズについてはもちろん知らなかった。
つぎにニューヨークへ行く機会があれば、ぜひこのサルーンを訪ねてみたかった。ニューヨーク最古の酒場といわれながら、店ははやっていなかったのだが、ミッチェルの文章によって、にわかにニューヨーカーが集まってきた。
ミッチェルはダウンタウンの名もない人たちに惹かれて、本人は酒を飲まないのだが、酒場に出入りして、バーテンダーや客の話に耳を傾けた。彼には、『聞き上手』という著書があって、ミッチェル自身聞き上手だったようだ。
1908年、ノース・カロライナ州の農村に生まれたミッチェルは、1929年、ニューヨークにやってきた。21歳で新聞記者になり、いくつかの新聞社に勤めたあと、『ニューヨーカー』に作品を発表しはじめた。
寡作の人である。96年に亡くなったが、生前に全作品が700ページほどの一冊にまとまっている。夫人のテレーズは写真家で、80年に死去した。ミッチェルの作品を私は『マクソーリーズ』のほかにもうひとつ翻訳している。『オールド・ミスター・フラッド』という、パール・ストリートの古いホテルにひとり暮らしをする93歳のご隠居を描いたもので、『マクソーリーズ』といっしょに本にしてもらったが、初刷で終わって評判にもならなかった。『ミスター・フラッド』の原書はニューヨークの古本屋で手に入れた。1948年発行の初版である。久しく絶版になっていて、05年に復刻版がペーパーバックで出て、その紹介文によると、この本はニューヨーク公立図書館でも「紛失」して、幻の本だったという。稀こう本中の稀こう本だったようだ。
フルトン魚市場のすぐそばに住むフラッド老は115歳まで生きると決めている、すこぶる元気なスコッチ・アイリッシュだ。ミッチェルはフルトン魚河岸を訪れるたびにかならずフラッド老に会って、話を聞いた。
フラッド氏は魚介類が好物で、とりわけカキが大好きで、誰にでもシーフードを推奨した。1930年から50年代にかけて、ニューヨーカーのなかではそういう魚好きは珍しかっただろう。冬の時期だったが、私は早朝の魚河岸を見物するつもりで出かけたところ、もう商売が終わったあとで、市場はごみひとつなく、きれいに片づいていた。私は三番街まで歩いて、コーヒーショップでトーストにベーコンエッグ、ボルシチ、コーヒーの朝食をとった。そのあたりはウクライナ人の町らしかった。
ある日は下町を歩きまわって疲れはて、マクソーリーズでひと休みした。色の濃いのと薄いのと二種類のエールが小ジョッキョに出てきて、味はたいして変わらなかった。
最近、翻訳の出たピート・ハミルの『マンハッタンを歩く』(雨沢泰訳、集英社)は生粋のニューヨーカーである著者がダウンタウンを歩いて、その歴史をまじえた楽しい本で、マクソーリーズには「特別な魅力を感じたことはなかった」と書いている。
しかし、ハミル氏は店を訪れて、この酒場の光景を描いた画家のジョン・スローンとミッチェルという「尊敬する二人のアーティストにいっそう親近感を持った」とも書いている。でもハミル氏は、エールの味は好きになれなかった。
そのエールを飲みながら、私は連れといっしょにハンバーガーを食べた。これは8年前の晩秋のころである。
そのとき宿泊したのが、タイムズ・スクエアのすぐ北にできたばかりのカサブランカというプチホテルだった。コンシェルジェが話好きで、彼はコソヴォから逃げてきたとのことだった。ハンガリー内戦の余韻がニューヨークにも伝わっているように感じられた。
復刻版の『オールド・ミスター・フラッド』にはソフトをかぶり眼鏡をかけたレインコート姿のミッチェルが魚河岸を背景にして写っている。大きなズックの袋を肩にかけて、粋なスタイルだ。(2007年10月6日号掲載)
(写真)McSorley’s Old Ale House (写真・村松覚)
■常盤新平(ときわしんぺい、1931年〜2013年)=作家、翻訳家。岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。早稲田大学文学部英文科卒。同大学院修了。早川書房に入社し、『ハヤカワ・ミステリ・マガジン』の編集長を経てフリーの文筆生活に入る。アメリカの現代文学やニュージャーナリズムの作品を翻訳して日本に紹介する翻訳家、エッセイスト、作家。86年に初の自伝的小説『遠いアメリカ』で第96回直木賞受賞。本紙「週刊NMY生活」に2007年から210年まで約3年余りコラム「ニューヨーカー三昧」に24作品を書き下ろし連載。13年『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』(幻戯書房)に収録された。