新ブロードウエー界隈 23 文・トシ・カプチーノ
いきなり手前味噌で恐縮ですが、100回目を迎えるキャバレーショーは「夜のちょっとスタジオ〜ザ昭和歌謡〜」と題して懐かしの昭和歌謡をテーマに据えてみた。これがお蔭様で大好評を頂戴し、改めてお客様のお馴染みの素材、ノスタルジーへの訴求力を実感した。ショーの規模には雲泥の差はあれど、ブロードウエーの舞台でも、この取っつきやすいという要素は重要。知名度や折り紙つきの楽曲への依存度は高く、ハリウッド映画の舞台化やセレブの起用がますます顕著なのはそのためだ。
そんななか、究極のモンスターがブロードウエーに降臨。最強+最凶+最恐の「キングコング」である。まー、エンパイアステートビルにしがみつくキングコングのイメージは一昔前まではマンハッタンの定番だったのだが、それにしても、蝶よ花よ、ロマンスの香りを得意とするミュージカルと相性がいいと言えない怪獣系。と言うのも、ミュージカルの中の怪獣と言えば、せいぜい由緒ある寺院の屋根裏や、オペラ座や、忘れられた古城にひっそりと身をやつしたモンスターさんくらい。それが巨大な類人猿がせせり出た大胸筋を拳でぶっ叩くだなんて、ブロードウエーで長年ミュージカルを制作してきた人なら有りえない発想だ。
そのモンスター、どこから来たかと言うと南半球オーストラリア。2013年にメルボルンで初演後、大改良してニューヨークに乗り込んできたわけだ。とはいえ、考えてみると所詮ショービジネスは見世物の側面も大いに重要で、お客様はきっと巨大キングコングの大暴れを観たいはず、というのは真っ当なアプローチなのかも知れない。やったもん勝ち。
物語の舞台は1930年代のニューヨーク。売れない女優アンは、ひょんなことから映画製作に携わるカールと出会い、お金欲しさから映画出演を承諾し撮影のためニューヨークから未知の離島へ航海する。そこで見たものは巨大ゴリラであった。強欲なカールは怪物を生け捕り、ニューヨークで見世物にしようと策略し連れて帰るのだが…。
主演は体長6メートル、重さは約1トン、屈強なガチむち系巨大パペットだ。キングコングがステージに現れた瞬間、あまりのデカさとサラウンドサウンドで体幹にまで響いてくる雄叫びに圧倒された観客から拍手喝采が起こるほどなのだ。ショー中盤にはその巨大パペットが観客席へせり出すのだが、やはり迫力満点! 金を賭けた「恐竜ショー」は格が違う。
もちろん、歌あり、踊りあり、芝居ありのミュージカルで、30人以上の生身のキャストも出演している。さらに脚本、演出、振付、音楽など、日本で言えば秋元康や三谷幸喜クラスの売れっ子。手堅い仕事をしてはいるのだが、紋切り型の脚本、騒音レベルの不味さで全く記憶に残らない音楽。まあそれらが良いとか悪いとかなんて関係なく、すべてがキングコング様有りき。それ以外は刺身のつま程度の添え物なのだ。
さらにロボット技術によって操作されている巨大パペットの目や口の動きなどお顔の表情が豊かで可愛らしいのだが、天井からパペットを吊る太いワイヤーは丸見え、パペットの周辺には常に25人の黒子さんたちがコング様の姿態の調整に奔走している。しまいにゃ最強のジャングルの大帝ではなく、まるで介護器具や介護職員さんたちにかしずかれている哀れな巨大ゴリラのように見えてきてしまうのだ。
ヒット間違いなしのコンテンツをブロードウエーのクリシェに落とし込んで、安直に興行利益を得るディズニーやアニメ系のミュージカルを毛嫌いし、ゼロから汗水と鼻水流して、七転八倒して練り上げてきた舞台芸術を重んじるニューヨークの演劇評論家の評価は厳しい。「キングコング」もしかり。映画の特殊効果を舞台化するのには無理があるのに、特段にブロードウエー的な手塩に掛けたって肝心の手心を加えることなしに、ただ元となる小説や映画をそのまま描くだけだなんて評価しづらい。つまり気難しい彼らは前頭葉に強烈な形而上学的インパクトを食らわしてくれる何かひねりが欲しいのだ。まあ、そんなうるさ型の厳しい目があるからこそブロードウエーが世界最高の演劇都市と言われるまで進化し続けてきたとも言えるのであるが…。
欠点ばかり連呼したが、私の予想に反してチケットの売り上げは絶好調。まあ、どう見ても作品に込められた創造的な力でなくて、キングコング様々の巨大機械仕掛けパペットと特殊効果見たさ。いっそのこと、「巨大怪獣ショー・プラスちょこっとだけミュージカル風味」ってタイトルにすればいい。チケットは49ドルから。
トシ・カプチーノ/舞台芸術評論家、プロデューサー、タレント。 NYのジャーナリストや演劇評論家130人で構成される ドラマ・デスク賞の審査員を務めている。 ワハハ本舗所属。