敵国、日本を訪ねて

ニューヨークのとけない魔法 ⑦
岡田光世

 反日感情を抱いていた元米国軍人ね。それは私ですよ。

 今からもう二十年前、日本の全国紙の日米姉妹都市についての特集で、そういう人がいると知って、調べていた。ケン・ウッドさんを探し当て、初めて電話で話したとき、彼は静かにそう語った。

 その七年前、姉妹都市提携の調印で高知県土佐清水に行くための費用を、マサチューセッツ州フェアヘーブンの町が出すことに、住民の会議で決まった。当時、都市行政委員だったウッドさんは、土佐清水行きのメンバーの候補に上がった。

 でも、第二次世界大戦中、ミッドウェーで戦い、たくさんの友人を亡くした彼は、日本に行くことを頑かたくなに拒んだ。

 フェアヘーブンでそういう思いを抱いている人は、彼だけではなかった。姉妹都市の活動でホームステイを引き受けるのはいい。でも、日本人だけはごめんだ、と言い張っていた人もいた。日本に対する憎しみから、日本車に乗らない人もいた。

 私は海軍で、祖国のために戦ったことが誇りです。多くの軍人のように、日本を憎んでいました。今でも真珠湾攻撃を忘れることができないし、そのことで日本人を許すことはできない。私はこれまでずっと、この憎しみを胸に抱いてきたのです。 

 同じように軍人だった父親が、ウッドさんを説得した。 

 お前の気持ちはよくわかる。だが、一度、日本に行って、その目で今の日本を見てきたらどうだ。

 ウッドさんはついに折れ、ほかの十四人とともに日本へ向かった。

 あの日本人など信用できるものか。そう思い続けていたんです。

 船が土佐清水の港に近づいた。こちらに向かって、日本人の老人たちが立っているのが見えた。片手に杖を持ち、もう一方の手で星条旗の小旗を振っている。自分たちの到着を、歓迎している。

 子どもたちも無邪気な笑顔で、星条旗と日の丸を振っていた。

 白い手袋をはめた消防隊員らが、自分たちを迎え入れてくれた。

 警察官たちは、すぐそばに付き添い、エスコートしてくれた。

 私の日本人への憎しみは、潮が引くように、すっと消えていきました。土佐清水で、老人に出会えば駆け寄ってその手を握り、子どもを見かけると抱き上げてほおずりをし、私は何度も涙ぐんでいました。

 目の前の日本人は、自分たちが戦った敵ではなかった。 

 滞在中、ウッドさんら一行は、土佐清水市の市長の自宅に招待された。

 市長は私のところにやってくると、頭を下げて謝ったのです。

 私は、第二次大戦で、戦闘機に乗っていたひとりです。本当に申し訳なかった、と。

 何を言っているんですか、とウッドさんは市長の肩に手をやった。

 It’s all over now.

 すべてもう、終わったことじゃないですか。

 市長は私を強く抱きしめました。彼の目からは、涙が流れていました。

 その後、フェアヘーブンの一行を乗せたバスが、星条旗と日の丸をはためかせて、高速道路を走っていたときのことだ。バスが近づくと、道路を工事していた工夫たちが、かぶっていた帽子を脱ぎ、拍手で彼らを歓迎してくれた。

 そのなかにひとりだけ、自分たちに背を向けた男がいた。ウッドさんと同年配だった。

 私はそれが気になって、バスガイドに頼んで、その人に理由をたずねてもらいました。

 その人はバスガイドに、自分は第二次大戦で兄弟を失くしたんです、と話しました。

 そして、私たちのバスの前にはためいていた星条旗を指さして、俺はあいつが嫌いなんだ、と言って、にらんだのです。

 日本人にも同じように、忘れられない辛い思い出があることを、私は初めて実感しました。 

 今、私は、大切な息子たちを失った日本人の母親ひとりひとりのほおに口づけをして、すまなかった、と謝りたいのです。

 別れの日、彼らを乗せて遠ざかっていく高速艇に向かって、いつまでも手を振り続けている土佐清水の人たちに、ウッドさんも見えなくなるまで手を振って応えた。

 このエッセイは、シリーズ第8弾『ニューヨークの魔法のかかり方』に収録されています。40万部突破の「ニューヨークの魔法」シリーズ(全9巻)は文春文庫から刊行されています。

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