「ほぼトラ」回避の唯一の道

 2年前の安倍元首相暗殺事件のおぞましい記憶がよぎりました。しかしこちらは悲劇が回避されました。生還はそれこそ神様のおかげとばかりにキリスト教保守派などの支持層はさらに勢いづき、これで「トランプ返り咲きは固い」と株価は急上昇、イーロン・マスクは毎月4500万ドルを選挙資金として陣営側に提供すると公表しました。企業や富裕層への大型減税が継続し、気候変動の否定で企業活動へのさまざまな規制が緩和されると踏んでいるからです。

 星条旗と青空をバックに血飛沫顔で右腕を突き上げるトランプの写真。その彼の「ファイト! ファイト! ファイト!」の怒声に興奮する共和党に対して、民主党、老齢不安のバイデンは今のところ盛り返しの機運が全く見当たりません。おまけにバイデン支持と目されていた最大級の労組である全米トラック運転手組合(通称チームスター)が急に中立を言い出した。

 バイデンの2期目はないとかねてずっと言ってきた私ですが、現実には誰も現職の首に鈴をつけられずにズルズルとここに至りました。8月19日からの民主党全国大会で正式候補を決めるわけですが、その前にバイデン交代が実現するか否か、タイムラインとしては今月末がギリギリ。つまり共和党の全国大会が終わる今週末以降、大きな動きがあるはずです。

 そこでの注目点はトランプの副大統領候補に、オハイオ州選出の新人上院議員J・D・ヴァンスがピックされたことです。『ヒルビリー・エレジー』という回想本でラストベルトの白人労働者階級の悲哀を描いたこの人物は、8年前の大統領選ではトランプのことを「アメリカのヒトラー」「文化的ヘロイン」と呼び「自分は絶対にトランプを支持しない」と公言していたのに、いつの間にかトランパーになっていた。オハイオという激戦州の出で、さらに39歳の若さ。白人男性票を固めるための選択でしょうが、民主党としてはこの共和党が「白人男性」組であるという点が攻め所でもあります。

 バイデンが交代するとしても、巷間言われたニューソム・カリフォルニア州知事やウィトマー・ミシガン州知事らが台頭する時間的余裕はすでにありません。しかも56年前のシカゴでの全国党大会大騒乱の記憶を持つ民主党には、候補乱立で党内抗争をする余地はない。するとカマラ・ハリスしかいない。しかも6月までにバイデン陣営に集まった2億5000万ドルの選挙資金は、ハリスなら法的にも順当に引き継げる。共和党の「白人男性」組には、女性候補組をぶつけるしか民主党の勝機はないというのが現時点の私の読みです。

 実はトランプのバックでもある保守系シンクタンク「ヘリテージ財団」が「プロジェクト2025」という一大アジェンダを発表しています。執筆者の80%が第一次トランプ政権の関係者であるという布陣で、第二次トランプ政権では全米規模の妊娠中絶権の撤廃や大統領への権限集中、不法移民の巨大収容所設置や学校の銃武装、LGBTQの人権に代わる異性愛家族主義の尊重などを謳っています。トランプはこの極端なアジェンダから今は距離を置く姿勢を見せますが、ヴァンスもまたかつて米国の少子化問題を「カマラ・ハリスやオカシオ=コルテスら子どもを持たない猫好きの女たちが国を動かしているせいだ」と発言した人物。

 それでなくとも分断した米国で、白人男性vs非白人女性という人種とジェンダーの別の対立を持ち込むことになりそうですが、独裁と復讐に燃えるトランプの返り咲きを回避しリベラル民主党が勝利する道は、もうそれ以外に残っていないという状況であることは確かだと思われます。(武藤芳治、ジャーナリスト)