違和感だらけの東京都知事選

 アメリカ、とりわけニューヨークの視点から見ていると、今回の東京都知事選に関しては様々な違和感を感じざるを得ない。勿論、一方的に批判してみても意味はないわけだが、国が違うので仕方がないと突き放して終わるとも思えない。そのぐらいの違和感がある。

 まず、不思議なのは現職の小池都知事がスンナリと当選したことだ。何が不思議なのかというと、小池氏は既に2期8年都知事として在職しており、その間にはコロナ禍を経験している。世界の各国、各大都市が今でもコロナ禍の「後始末」で混乱を引きずっている中で、同じような混乱を経験した小池氏がアッサリ再選されたというのは驚きである。小池氏のコロナ禍対策がとりわけ適切であったということはないと思う。彼女は確かに司令塔の役割は果たしたが、「この1か月が勝負」「東京アラート発動」「我慢の三連休」「最後の緊急事態宣言」「最後のステイホーム」など奇怪な造語でイメージを作り出して、強めの感染対策を強いる手法は当時の都民には大きな負担であったはずだ。その一方で、予備費を取り崩してまでして、外食やサービス業への補填を行ったことへの検証も済んでいない。五輪の無観客開催も、秋まで待てば違う展開もあったかもしれない。

 都民が特に健忘症だとは思わないが、昔から言われる「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という傾向は明らかだ。例えば、コロナ禍対策で理解できないのが、テレワークだ。アメリカでは、テレワークを徹底した結果、「それでも仕事は回る」ことが明らかとなる一方で「ワーク・ライフ・バランス」を決定的に改善できることが証明された。その結果として、現在でも週5日のうち「3日出勤、2日テレワーク」という辺りで、労使が綱引きをしている。ところが東京では、ほぼ週5日出勤に戻っている。そもそも満員電車追放を公約としていた小池知事だが、この問題に関する提案はない。

 その他にも、防災減災の問題では荒川の決壊対策が議論されても良いと思うのだが、誰も真剣に提案していなかった。実は、2019年の台風19号の際には、東京23区のうち東部の10区が実際に「広域避難」を検討している。この時は、条件が揃わずに広域避難は断念され結果的には水位が危険レベルのギリギリで踏みとどまって事なきを得た。だが実際に荒川が決壊したら下手をすると数千単位での死者が出る可能性がある。都が進めている「首都圏における大規模水害広域避難検討会」では、これを防ぐには74万人を避難させなくてはならないとしているが、具体策の目処は立っていない。こうした重要な問題が争点にならないのもおかしい。

 何よりも奇妙なのが、「ふるさと納税」だ。都市に住んでいる人は、地方の衰退に加担していて申し訳ないので、地方税の一部を地方に回す。そうすると返礼品が来るというメカニズムは、どう考えても納得できない。都の各市や23区の税収は明らかに減ってしまうからだ。それでも行政が回るのなら減税するのが先だろうし、本当に地方自治体が破綻寸前なら返礼品など送る余裕もないはずだ。こんな意味不明な制度は、都知事選の争点にして国に対する姿勢を明確にすべきと思う。

 東京の少子化も問題だが、その主因は格差であろう。現役世代、子育て世代への分配が十分でないために、結婚や出産を断念する層がいるというのは問題だ。だが、この点に切り込むべき左派の蓮舫候補も結局は官公労の代表に過ぎず、都庁の非正規職員を正規雇用にする公約しかしていない。そうではなくて、民間にあふれる非正規雇用の若者をどうするのかが大事であり、この点も争点化されなかった。

 難民問題に治安問題、そして財政や都市経済の復興など、問題だらけのニューヨークと比較すると、結局のところ、東京は平和で安定しているということなのかもしれない。けれども、異常なまでの一極集中で全国を衰退させているのが東京であり、その東京は高齢単身世帯の急増によって財政の構造が劇的に変化する危険に直面している。水害の問題も格差の問題も深刻なはずだ。その一方で、都知事選の選挙全体はいつものようにイメージ先行となって、結局は政治ショーに終わっている。東京に残された時間はそれほどないという危機感は何としても必要ではないだろうか。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)