子どものリュックを背負った男

ニューヨークの魔法 ⑲
岡田光世

 通りを歩いていると、信号の手前で体格のいい白人の中年男性が、両腕をバタバタさせて、何やら情けない顔であわてている。身動きできないようだ。よく見ると、キャラクターが描かれた、小さなピンクのリュックを背負っている。

 四、五歳の女の子がすぐそばに立ち、ぽかんと口を開け、男を見上げている。 女の子のリュックをふざけて背負い、取れなくなっちゃったよ、とその子をからかっているのだろう。

 二十代くらいの黒人の女性が、ふたりに近づくと、一体全体、どうしてそんなふうになっちゃったのよ、と言いながら、大声で笑っている。どうやら、ふざけているのではなく、本当に腕が抜けなくなってしまったようだ。 

 Let me show you a little trick.

 ちょっとしたトリックをお見せしましょう。 

 黒人の女性は女の子にそう声をかけると、男性の腕の下に手をやって、ストラップを引っ張り、リュックをするりと男の人の肩から外した。 

 ああ、よかった。助かったよ。一生、リュックを背負ったままかと思ったよ。

 自由の身になった男の人は、そう言って笑い、ほっとした表情で大きく肩を回す。

 白人と黒人の夫婦なのだろうか。女の子は白人のようだけれど。 

 そう思って見ていると、彼らはゲラゲラ笑いながら別れを告げ、女の人だけ私のほうへ向かって歩いてきた。 

 今、何をやっていたの?

 そう声をかけると、女の人が楽しそうに笑った。

 あの人、子ども用のリュックを背負ったら、外せなくなっちゃって、もがいていたのよ。だから、魔法をといてあげたの。ストラップを引っ張って、伸ばしただけよ。

 あなたたち、知り合いなのかと思ったわ。

 違うわ。赤の他人よ。そもそもどうやって、リュックに腕を通せたわけ? って思わず、聞いちゃったわよ。 

 あとで六十代の友人ロブにこの話をすると、彼が真顔でつぶやいた。

 その男はたぶん、子どものときにリュックを背負ったまま、大人になっちゃったんだろう。 

 そう話すロブも、リュックの男も、きっとそうに違いない。

 子どものときにリュックを背負ったまま、大人になった男たちーー。

 そんな大人が、ときにとても魅力的に見える。

このエッセイは、文春文庫「ニューヨークの魔法」シリーズ第8弾『ニューヨークの魔法のかかり方』に収録されています。

https://books.bunshun.jp/list/search-g?q=岡田光世