ニューヨークの魔法 ⑱
岡田光世
My bonsai is dead!
私のボンサイが、死んでしまったじゃないの!
突然、サラに激しい口調で責め立てられ、私は言葉を失った。
ミッツィ(私のニックネーム)、ちゃんと水をあげてくれたの?
盆栽が「枯れた」ということなのだが、英語だから「死んだ」とサラは言っている。
つまり、殺したのは、私か。
その夏、サラとビルがニューヨークを離れて、避暑地で過ごす間、病気の猫の世話を頼まれ、ふたりのアパートメントに泊まっていた。猫に薬をやらなければならないので、 信頼できる人にいてほしいという。
盆栽があったこと、気づかなかったの?
リビングルームの棚に、和風の植物があることには気づいた。滞在して一週間ほどたった頃だろうか。
何、これ? 盆栽かな、と夫と話した記憶はある。
が、世話を頼まれていたわけでもなかったので、そのうち忘れてしまった。
さらに言い訳をさせてもらえば、棚には東洋風の食器も飾られていて、盆栽は部屋に見事に溶け込み、存在がまったく印象に残っていなかったのだ。
気づいたのに、放っておいたってわけ?
まあ、そう言えなくもない。
なぜ、水をやらなかったのよ。枯れることくらい、わかるでしょ。
日本に住んでいたときだって、私は盆栽など育てたことがない。
盆栽に水をあげていいわけ?
ミッツィ・・・・・。相手はため息をついている。
盆栽は何もしなくても、生きているイメージなのだ。少なくとも、私のなかでは。
あ、それはサボテンか。
いくつかある鉢植えの水やりは頼まれていたが、盆栽のことなどサラにはひと言も聞いていなかった。
盆栽の水やりなんか、頼まれなかったけど。
頼まなくたって、わかるでしょ!
しかし、水をあげすぎて、根腐れして枯れたらどうするのだ。
盆栽の手入れの仕方なんか、知らないもの。
ミッツィ! あなた、それでも日本人?
日本人だからといって、毎日、スシを食べているわけでもないし、皆がニンジャの格好をして手裏剣を投げているわけでもない。「サザエさん」の波平のように、老いも若きも庭で盆栽いじりをしているわけでもないのである。
日本人ですよ、ミッツィは。
たぶん。
ボンサイの手入れの仕方も知らない、ボンサイ(凡才)な日本人でございます。
このエッセイは、「ニューヨークの魔法」シリーズ(文春文庫)第8弾『ニューヨークの魔法の約束』に収録されています。