膨大な量の有効な努力こそ

 米国の大学では、5月に卒業式が行われる事が多く、私がNYで大学院に在籍していた頃もやはりそうでした。卒業式前に何度も事務局から式への出欠を尋ねられ訝しげに思っていた所、なんと式当日に声楽学科のトップは私だと発表され、壇上でまさかの表彰を受ける事に。しつこい出欠確認の理由をやっと理解したのですが、そんな事も、もう20年以上前…という昔の自慢話ではありません(笑)、今月はここから始めさせて下さい。さて、思いがけずトップを頂いた私は意気揚々と、さぁ次は世界の壁に挑戦だ、案外たやすく超えられるかも!?と、一流歌劇場に立つ夢を見ながら、色々なオーディションを片っ端から受け始めました。が、これが見事に通らず、何一つ役を貰えないどころか、私が精魂込めて準備したオーディションでも、全く無関心な扱いをしばしば受け、傷つく事もしょっちゅうでした。完璧になれば通るだろうと、さらに歌や演技、ディクション(舞台発音)、語学レッスン等に励み、受け続けましたが、それでも全く成功せず、センミツ(千個オーディションを受けても3個しか通らない)、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)などの言葉を覚えたのもこの頃でした。ある時、いつも以上に良く歌え、審査員達も立ち上がり拍手をして、今回のベストは君だとまで言われたオーディションで、結局役がもらえなかった事があり、流石にこの時ばかりは大号泣して、もうオペラを辞めようと街を彷徨った事がありました。歌の上手さだけでは決まらないオーディションの複雑さは、時を経た今、私自身が審査をする側に経って分った事ですが、当時は、悔しさと悲しさと、納得できない思いで一杯でした。しかしそんな中、私を救ってくれたのは、国際コンクールの存在でした。

 芸術に点数をつけるのはおかしい…等の意見もある中、オーディションと違い人種、容姿、劇場の政治的な理由、などはほぼ関係なく、純粋に歌の質だけで勝負できるコンペティションはずっと公正に感じ、べらぼうに上手でも、やはりオーディションに入らず苦しんでいたアジアの友人歌手達が上位の賞を取っていた事実は、励みになりました。また入賞がきっかけで、オーディションでは取れなかったオペラやコンサートの仕事に繋がる事もあり、点数で競わされる事は、確かに気持ち良くはありませんでしたが、オーディションとはまた別のチャンスと思うようになって行きました。ところで人と競うと書きましたが、厳密には実はそうではありません。大切なのは、自分がベストを尽くせるのか、の闘いです。膨大な量の有効な努力こそがベストの演奏を生みますが、それが出来た時、演奏家は結果に拘らなくなり、決して人との競争ではないのだという事を真に理解します。(ただ大抵そういう場合、良い結果がついて来ますが)今月末にも、私が関わる大阪国際音楽コンクールの入賞者コンサートが、カーネギーで行われます。自身との闘いに勝った若者達が、次は世界の檜舞台にてベストの演奏が出来るよう私も祈っています。

田村麻子=ニューヨークタイムズからも「輝くソプラノ」として高い評価を受ける声楽家。NYを拠点にカーネギーホール、リンカーンセンター、ロイヤルアルバートホールなど世界一流のオペラ舞台で主役を歌う。W杯決勝戦前夜コンサートにて3大テノールと共演、ヤンキース試合前に国歌斉唱など活躍は多岐に渡る。2021年に公共放送網(PBS)にて全米放映デビュー。東京藝大、マネス音楽院卒業。京都城陽大使。