ニューヨークのとけない魔法 ④
岡田光世
何がそんなにおかしいのか、Tシャツにジーンズ姿の若者四人が、体をねじって笑い転げながら、目の前を通り過ぎていく。ヘアバンドからスニーカーまでピンク色にまとめあげた五歳くらいの女の子が、もう一方の手にコーヒーを持った母親らしき女の人に、手を引かれて歩いている。ふたりの少し前を行く父親らしき男の人が振り返り、かがんで女の子に何やら話しかける。
左手の角では、胸の大きく開いた、膝丈の黒いドレスに身を包んだ若い女の人が、黒いスーツ姿の男の人と手をつないで、信号を待っている。
夏の夕暮れ、私はひとりでカフェに入り、通りに面したカウンターにすわっていた。文章を書いていたパソコンを閉じ、疲れた目を休めるために、コーヒーを飲みながらぼんやり外を眺める。
原稿の締切が迫っていたため、友人にもほとんど会わず、パソコンに向かう日々が続いていた。
日本にいる夫を思い出し、突然、深い孤独と悲しみに襲われた。みるみるうちに涙があふれ、窓の景色がゆがんで見える。
周りの人に気づかれまいと、私がそっと両手で目頭を押さえ、涙をふいていたとき、コツコツと音がしたような気がした。
顔を上げると、目の前に白人の男の人が立っていた。その人は、彼と私を隔てている窓ガラスを、軽くたたいたのだ。体格がよく、六十代ほどだろうか。見知らぬ人だった。
と、その瞬間、私の目の前で自分の右の親指を立て、私を包み込むような笑顔を向けた。涙もまだ乾いていないのに、彼につられて私も思わず笑みを浮かべた。
それを見ると、男の人は安心したように深くうなずき、今度は両手の親指を立てて私に向けると、笑顔のまま、ゆっくり立ち去っていった。
親指を向けながら、私に何か声をかけていた。
大丈夫かい? 顔を上げて、笑ってごらん。落ち込んでいるなんて、もったいないよ。
Life is too short.
人生は短いんだから。
窓越しの雑踏のなかで、その声は私の耳に届かなかったけれど、語りかけてくれた言葉を想像しながら、さっきまでとはまったく違った思いで、道行く人たちを眺めていた。
このエッセイは、シリーズ第5弾『ニューヨークの魔法のじかん』に収録されています。40万部突破の「ニューヨークの魔法」シリーズ(全9巻)は文春文庫から刊行されています。