ニューヨークの魔法 ⑯
岡田光世
ドアを開けると、すでに店内は朝食をとる人で活気にあふれていた。土曜日の朝、アッパーウエストサイドでブロードウエイを、「ゼイバーズ・カフェ」(Zabar’s Cafe) に向かって私は歩いてきた。
カフェのショーウインドウの前に立ちはだかるように、七、八人がレジの順番を待っている。焼きたてのべーグルやマフィンがぎっしりと収まっているショーウインドウを、 一列に並んだ人の間からのぞき込み、ブルーベリーにしようか、と少し悩んでから、バナナのマフィンとコーヒーを頼む。
カフェの真ん中に長いテーブルがあり、九人ずつ、向かい合ってすわれるようになっている。私はカウンターのほうを向いて、中央の右寄りの席に落ち着く。斜め前でカウンターを背に、六十代後半くらいの男の人ふたりが、大きな声で世界経済について語っているようだ。ひとりが話しているのに、相手がさえぎって話し始めると、さえぎられたほうが抗議する。
Hey, let me finish my thought.
おい、話の腰を折らないでくれよ。
高齢の女の人が、私の右斜め前の席に腰を下ろす。黒のウールのコートに茶色の帽子を身につけている。運んできたトレイには、全粒粉パンのようなものにスモークサーモンとクリームチーズをはさんだサンドイッチと、ダイエット・スナップルのジュースがのっている。
彼女はサンドイッチをひと口ひと口、ゆっくりと食べ始める。やがて、食べかけのサンドイッチを皿の上に戻すと、空いた手でジュースの瓶の蓋を開けようとしている。力を入れて、何度もやってみるが、なかなかうまくいかない。
その人の前にすわっている四十歳くらいの男の人が、黙って手を差し出す。そして、 女の人から瓶を受け取ると、いとも簡単に蓋を開け、これも黙って、彼女に返す。知り合いではないのに、ごく自然に、まるでその人の母親であるかのごとく。女の人もごく当たり前のように、何も言わずにただほほ笑み、瓶を受け取る。
その男性と私の間に、ヒスパニック系らしき女の人がすわった。コーヒーを飲みながら、マフィンを食べている。帰りに食料品を買いたかったので、この辺りに「ホールフーズ」はありますか、と尋ねてみる。
この辺りにはありませんよ。前はあったけれど、もう今はないわ。
彼女の目の前にすわっている男の人が、私たちの会話を聞いていたようだ。話に加わってくる。
What do you want to know?
何が知りたいんだい。
そして、近くではないけれど、と別の二店舗の場所を、まるで私がこの街を初めて訪れた観光客であるかのように、事細かに説明し始める。
私たちがやりとりしている間に、高校生だろうか、十五歳くらいの少女五、六人の集団が入ってきて、右手奥に固まって立ち話をしている。
カフェの中ほどにすわっている別の男の人が、高校生たちに向かって声をかける。
Would you please pass me some napkins?
そこのナプキンを、取ってもらえるかい。
Sure.
もちろん。
高校生のひとりが答え、ナプキンを手渡す。
しばらくすると、その男の人が、食事を終えて立ち上がった。
エクスキューズ・ミー(Excuse me.)と言いながら、高校生の脇を通り過ぎるとき、 彼女たちに声をかける。
Thank you for the napkins.
さっきはナプキンをありがとう。
マンハッタンの片隅で、朝から他人同士が関わり合っている。
このエッセイは、文春文庫「ニューヨークの魔法」シリーズ第6弾『ニューヨークの魔法をさがして』に収録されています。