チェルノブイリ(1)

国連アート探訪 ⑦

よりよい世界への「祈り」のシンボルたち

星野千華子

 東日本大震災から九年がたちました。

 押し寄せる真っ黒な津波の映像、多くの命を含めすべてがのみこまれ、その上想像もしなかった福島第一原発の事故。まるでこの世の終わりをみているようで、現実なのか?と、ただ混乱し、全身を流れる血液がまるで凍っていくようなあの感覚が、3月11日が近づくにつれ蘇ってきます。

 しかし、福島の原発事故より25年前に、人類史上最悪といわれる原発事故が旧ソビエト連邦のチェルノブイリ(現在のウクライナの北部の都市です)でおきていたのです。

 国連の総会議場近くの三階には、1991年にベラルーシから贈られた、アレキサンドル・キシュチェンコ氏による、その名も「チェルノブイリ」という横33フィート縦12・6フィートの壮大のゴブラン織りのタペストリーがあります。作品には、原発事故の恐怖と復興に向けての努力、また国際社会からの支援への感謝が込められています。

 中央にデーモンと10匹の赤い舌を突き出した蛇。向かって左には、十字架にかけられたキリストと大きくクローズアップされた瞳に流れる涙、右には智慧の象徴であるフクロウが描かれています。

 川の流れと風向きの関係で隣国であるベラルーシへの放射能汚染が最も深刻で、30キロ圏内に住む40万人の人々は、事故の実態を知らされることなしに、避難を指示され、何もわからないまま家、故郷、日常を追われました。

 この事故で放出された放射能は広島の原爆の数百倍ともいわれています。

 IAEAの報告では、4000人の犠牲者となっていますが正確な数はわかっていません。爆発を起こした4号機をコンクリートの「石棺」に丸ごと封じ込める活動中に亡くなった多くの作業員たちの遺体を確認できるのは、その放射線量の高さから数万年後と報告されています。

 私たち日本人は広島、長崎に落ちた原爆の被害を通して、その恐ろしさは身に沁みた、と思っていました。そしてこのチェルノブイリの事故は、平和目的の原子力エネルギーも大きなリスクを伴う諸刃の剣の教訓となったはずでした。

 にもかかわらず何故、私たちは「安全、安心、安定提供」といった自分たちに都合の良い情報だけに惹きつけられてしまったのでしょうか。

 資源のない日本では、便利で快適な生活のためにも、もちろん経済活動のためにも、何から電力を得るかは死活問題です。もはや、ろうそくで灯りをとり、薪を焚いて生活することなどできないのです。とはいえ、私たちが享受している利便性の裏で、どんな対価を払って、どんなリスクのもと電力が生み出されているのか、一度立ち止まって考えてみませんか?

 昨年の夏に福島第一原発の廃炉作業を見学させていただきました。

 何台ものクレーンが並ぶ現場は、子供のころに見た「眠れる森の美女」のなかで、マリフィセントが変幻したドラゴンにフィリップ王子が挑んでいる場面を思い出しました。子供っぽいとお叱りをうけるかもしれませんが、剣と盾で火を吐き怒り狂うドラゴンに挑んでいるシーンです。このチェルノブイリのタペストリーでもデーモンの周りには蛇がうごめいています。しかし、このデーモンもドラゴンも、実は私たちが平和利用の名目で「手なずけられる」と思いあがって生み出し、飛びついた「禁断の果実」だったのではないでしょうか。   (つづく)

(筆者は国連日本政府代表部幹部の配偶者でニューヨーク在住)