夫と入ったギリシャ料理店で、その日の日替わりメニューを見る。
kefalaki(ケファラーキ)と書かれている。
マンハッタンの東側を流れるイースト川を渡ると、そこはクイーンズ区だ。マンハッタンにほど近いアストリアには、今もギリシャ移民が多く住む。
一年間、ギリシャに住んでいた夫も、何の料理かわからないというので、体格のいいウエイターのおじさんに尋ねる。
羊の頭だよ。最高に旨いぞ。
夫は目をキラキラさせている。私たち夫婦の趣味や嗜好はとてもよく似ているが、これだけは大きく異なる。夫は、内臓系の得体の知れないもの、気味の悪いものを好んで注文したがる。
パリの高級レストランで、夫が嬉々として注文したのは、牛の腎臓のステーキだった。 それを料理する前に、ウエイターがご丁寧に、わざわざ大きな生の腎臓を見せに来たときには、絶句したが、夫はご満悦である。
ここでも、料理する前の羊の頭を、恭しく見せに来るのではないか、と考えただけで食欲が失せる。
お願いだからやめて、と激しく抵抗したものの、夫の意志は固い。
せめて、私だけでも、まともなものを注文しなければと、好物のカラマリ(イカ)のフライに決める。
注文を取りに来たウエイターのおじさんが、夫に向かって親指を立てる。
You know the good stuff.
通だね、あんた。
ほどなくして、店内に、バンバンバンと聞きなれない騒がしい音がこだまする。私と夫は思わず、おしゃべりをやめ、耳をそばだてる。どうやら厨房から聞こえてくるようだ。骨をたたき割っている音か。
下手物好きのくせに、夫には臆病なところがある。すでに、顔にはやや後悔の表情が見られる。
ウエイターがにこにこしながら、夫の前に皿を置く。注文どおり、羊の頭が載っている。ぎょろりとした黒い片目が、私をにらんでいる。見たくもないのに、羊と目が合ってしまい、慌てて目をそらす。気味が悪くて、直視できない。
濃厚で独特な羊の臭いが、湯気とともにお頭全体から漂ってくる。
軽い吐き気を催す。それでも、好奇心の強い私。どんな下手物であっても、ひと口、トライするべし、を信条としている。
羊の目を見ないように注意を払いながら、顔の表面にかろうじて張り付いている、よく焼けた肉を、手でパリパリはがしながら食べる。むろん、こんな野蛮な料理に、ナイフとフォークの出番はない。
やや塩気があるようだが、さらに塩コショウとオリーブオイルをかける。
夫が歯茎の辺りの肉を食べるさまは、まるで羊とキスしているようだ。心を無にして、 食べることに集中し、立派にそろった歯を極力、見ないように努めているらしい。
白く柔らかい部分は、脳味噌だ。ぼそぼそして見えるものの、口に入れるととろける感じがして、白子のようだ。
こればかりは、もう二度と注文することはないだろうな、と夫がため息をつきながら、ぼそりとつぶやく。
レストランで、私は半分ずつ互いの料理を味わいたいほうだが、夫は自分の頼んだ品が気に入ると、それを独占したがる。
どうぞ、どうぞ。心ゆくまで召し上がれ。
私に遠慮せずに、羊さんを思う存分、愛してあげてくださいな。
私はひとり、心安らかに、自分の料理を味わっている。
カラマリは、文明開化の味がした。
このエッセイは、「ニューヨークの魔法」シリーズ第5弾『ニューヨークの魔法のじかん』に収録されています。