常盤新平 ニューヨーカー三昧 I LOVE NEW YORKER 11
四月も半ばなのに、きょうの東京は寒い。
この冬は例年よりも寒かったように感じられて、ほとんど外出せずに家にこもっていた。
街へ誘ってくれる人もなく、冬ごもりだった。出不精になっている。
家にいても本を読むくらいしかない。
そんなとき嬉しいことに四月五日付けのニューヨーク・タイムズの切り抜きが送られてきた。有り難いことだ。
その切り抜きは週刊誌「ニューヨーカー」と編集長のデーヴィッド・レムニックのことが書かれている。
翻訳すると四百字詰原稿用紙で十枚ほどになるだろうか。レムニックと「ニューヨーカー」のオフィスの写真が出ている。
レムニックは「タウン・カー」は使わずに、毎日地下鉄で通っているという。
「ニューヨーカー」も彼も倹約を旨としている。食事なども彼は大衆レストランですましてきた。
前任のティナ・ブラウンという女性は万事に派手な人だったが、レムニックは彼女とは対照的で地味に徹しているようだ。
アメリカの雑誌は厳しい状況にあるが、「ニューヨーカー」の広告ページも昨年は二十四パーセント減ったとはいえ、ほかにくらべるとはるかにましなほうだ。
レムニックはニュージャージー州出身で、若いころは「ビレッジ・ヴォイス」を読んでいた。
大学卒業後はワシントン・ポストに勤めた。今年五十一歳のレムニックは「ニューヨーカー」入りして十一年になる。
今でも新人と思われることもあるらしいが、社内での評判はすこぶるよい。
親会社であるコンデ・ナスト社は傘下の雑誌に二十五パーセントの経費削減を一律に命じたが、「ニューヨーカー」だけは例外だ。
倹約が「ニューヨーカー」を守ってきた。
レムニックのもとで週刊誌の部数が二十三パーセント増えて百万部を超えた。ただしニューススタンドの売り上げは少し減っている。
私が「ニューヨーカー」を購買するようになった五十年前ごろは、部数は五十万にも達していなかった。部数を増やすまいとしているかのようにも見えた。
今はアメリカの雑誌は一週間遅れで読めるようになった。一か月ほどかけて届くのを待っていたころにくらべると、便利な世の中になったものだ。
レムニックは現在オバマ大統領の評伝を書いているという。早起きして書き、夕食後も週末も書いている。
オバマの本は何十冊も出ているが、レムニックの書いたものなら読んでみたい。今年中に出るそうで、初版は十三万部で、版元のクノップフ社もベストセラーになることを期待している。
「私はジャーナリストだ」と彼は言う。「毎日仕事がある。それもたいへんに疲れる仕事だ」
彼はエスプレッソが好きらしい。ダブル・エスプレッソに角砂糖を一個入れて飲む。
ニューヨーク・タイムズのこの記事は寒い春の午後に日なたぼっこをしながら読んだ。
この週刊誌を読みはじめて、私もまもなく五十年になる。その間、私の英語力はちっとも進歩しなかった。
今回だって英語辞書を十八回も引かなければならなかった。でも、辞書を引くのは厭わない。辞書を引くのが習い性になってしまった。
それにヒマもできて、辞書を引くのがむしろ楽しいくらいだ。辞書を引きながら、ニューヨークに遊んだ遠い昔を思い出したりする。
もう彼の地を訪れるのは無理だ。若いうちに行くことができてよかった。西四十四丁目に「ニューヨーカー」のオフィスを訪ねることもできた。
(2010年4月14日掲載)
(写真)乗車客で賑わうタイムズ・スクエア地下鉄駅(写真・三浦良一)
■常盤新平(ときわしんぺい、1931年〜2013年)=作家、翻訳家。岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。早稲田大学文学部英文科卒。同大学院修了。早川書房に入社し、『ハヤカワ・ミステリ・マガジン』の編集長を経てフリーの文筆生活に入る。86年に初の自伝的小説『遠いアメリカ』で第96回直木賞受賞。本紙「週刊NY生活」に2007年から2010年まで約3年余りコラム「ニューヨーカー三昧」に24作品を書き下ろし連載。13年『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』(幻戯書房)に収録。本紙ではその中から12作品を復刻連載します。