常盤新平 ニューヨーカー三昧 I LOVE NEW YORKER 10
とうに時代おくれの老人になって、冬の寒さがいっそう身にしみる。
長生きも辛いものだね、と猫のブラッキーに言ってみる。この牝猫も妻に拾われてきてから十六年が過ぎた。病気一つしないのが有難い。
机の中を片づけていたら、古いニューヨーク日記が見つかった。
大学ノートに備忘録のつもりで乱雑に書いたメモである。
一九九一年十二月二日から八日までの一週間で団体旅行だった。
ホテルは西五九丁目のエセックス・ハウス。そのころはこのホテルも日本航空に売却されていた。
十二月四日はつぎのようなものだ。
七時起床。入浴。寒い。
十時小林義昭宅へ。小林さんはNY寿司清の社長で、西五七丁目のアパートに住んでいるから、私が宿泊しているホテルからも近い。
朝ごはんをごちそうになった。じゃこと大根おろし、おひたし、納豆、白菜の漬物、里芋の味噌汁、昆布の佃煮。
どれもおいしく、これじゃあ東京にいるのと変わらない。
小林さんの案内で五番街を歩いた。小雪が舞っている。
リツォーリ、ダブルデイ両書店をのぞいたが欲しい本はなかった。
私も少しは目が肥えてきて、むやみに本を買うことがなくなった。
ティファニーで妻への土産にイヤリングと腕時計を買う。
ティファニーが銀座にもできるなんて、このときは考えてもいなかった。私はそれからいっこうに成長しなかったが、日本はちがって、バブルを迎えた。
午後はいっしょに来た人たちとヴィレッジで落ちあい、ソーホーに行ってみる。
ファネリと言う古い店で白ワインを一杯。カウンターのうしろは全面鏡で、うしろにはボクサーたちの写真がずらりと並んでいる。
今でも変わっていないだろうか。このようなバー&レストランはヴィレッジの魅力だと思った。
店はほぼ満室だ。
外は雪が風に舞っている。
初雪だという。
ソーホーからヴィレッジに戻ったが、あまりに寒いので、アングラーズ&ライターズ(釣人と文筆家)というカフェで熱いカプチーノとブルベリーのスコーン。
ウェイトレスはラテン系の美女であるが、どんな美女であったかは忘れている。
何しろ十八年も昔のことだ。
年寄りの戯れごとだと言われても仕方ない。
だが、私にはあのときの寒さと楽しさが今蘇ってくるようだ。
その帰りに、西十八丁目のブック・フレンズ・カフェに寄ってみた。
この街には古本屋と喫茶店が同居しているのだと感心したのを覚えている。
ブック・フレンズ・カフェの絵はがきがノートブックにはさんである。
奥が書棚で、テーブルでは中年や初老の男女が談笑している。
女性二人が経営する店だった。
ニューヨークの古本屋ではどこでも女性経営者らしい人が多い。
彼女たちは古本に詳しいのだろう。たんなる店番ではない。
本を何冊か買いもとめたら、名刺をもらった。その名刺に彼女はイザベル・シマーマンと名前を書いてくれた。
この店が今も健在であればよろこばしいのだが、あるいは消えてしまったかもしれない。教えてくださる方がいれば有難いのだが。
もう年末で、来年も無事であることを願っている。
(2010年1月1日掲載)
(写真)ブロードウエー12丁目にある古本屋、ストランド書店(写真・川原弥生)
■常盤新平(ときわしんぺい、1931年〜2013年)=作家、翻訳家。岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。早稲田大学文学部英文科卒。同大学院修了。早川書房に入社し、『ハヤカワ・ミステリ・マガジン』の編集長を経てフリーの文筆生活に入る。86年に初の自伝的小説『遠いアメリカ』で第96回直木賞受賞。本紙「週刊NY生活」に2007年から2010年まで約3年余りコラム「ニューヨーカー三昧」に24作品を書き下ろし連載。13年『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』(幻戯書房)に収録。本紙ではその中から12作品を復刻連載します。