日本の不条理描いた天才画家、故・石田徹也展NYで開催中

チェルシーのガゴシアン・ギャラリーで21日まで

 ガゴシアン・ギャラリー(西24丁目555番地)では、9月12日から故石田徹也(1973〜2005)の絵画展「My Anxious Self」を開催中だ。セシリア・アレマーニのキュレーションによる本展は、ガゴシアンによる石田徹也エステートの世界的な代理権取得の発表に続くもので、同エステートは、著名な個人コレクションや静岡県立美術館とともに、本展に80点以上の作品を貸与した。同展は、石田哲也の作品の中で最も包括的な展覧会であり、日本国外では初のニューヨークでの開催となる。

(写真上)Prisoner, 1999, Acrylic on board, 14 5/16 x 20 1/4 inches (36.4 x 51.5 cm)

 最初は自画像だった。弱い自分、情けない自分、不安な自分など、自分自身をジョークや笑いのネタにしようとした。それは、現代人に言及したパロディや風刺として見られることもあった。

Cargo, 1997 Acrylic on board 40 9/16 x 57 5/16 inches (103 x 145.6 cm) 20 21, Untitled

 そうして考えていくうちに、消費者、都市生活者、労働者、そして日本人へと広がっていった。石田はわずか10年の間に、人間疎外をテーマにした印象的な作品を発表している。彼がアーティストとして頭角を現したのは、1990年代まで続いた日本の「失われた10年」と呼ばれる不況期であり、彼の絵画は、この時期の日本社会を特徴づけていた絶望感、閉塞感、断絶感を、急速な科学技術の進歩の後でも捉えている。2005年に31歳の早すぎる死を迎えるまで、石田はカフカのような不条理を湛えた絵画や紙作品によって、現代人が直面する課題を寓意的に描いてきた。

 弟の石田道明さんは展覧会カタログの序文で、「哲也が最期まで持っていた財布には、アメリカの1ドル札が何枚も入っていた。いつか現代アートの中心地であるニューヨークに行きたいという彼の願いだったのかもしれない。ようやく彼がそれを使う機会を得たことに感謝しています」。ラリー・ガゴシアン氏は、この出版物の序文で、石田の作品は「人間の条件に対する壮大な探求であり、緊急性を感じさせ、時代を超越し、これほど若いアーティストとしては異例である 」と述べている。「失われた10年」を描いた石田が逝ってからさらに20年の失われし歳月が続いている。今、もし彼が生きていたらどんな絵を描くのか。それを見ることができなくて残念という気持ちと見れなくてよかったという安堵の気持ちが相半ば交錯する。21日まで。詳細はウエブサイトnewyork@gagosian.com   (三浦良一記者、写真も)