SOHOの板張りアート バスキアを見た思い再燃

アーティストと語らい撮影に応じる海老原さん(中央)

温かく見守ったギャラリー91オーナー

海老原 嘉子さん

 ソーホーで1983年以降、デザイン専門のギャラリー91をオープンし、オーナー、キュレーターとして活動、88年にはニューヨークのデザイン界の発展に大きく貢献したことが評価され、日本人初の名誉ある賞「ブロンズ・アップル・アワード」を受賞した海老原嘉子さん。

 ギャラリーの目の前で起こったBLACK LIVES MATTERの黒人差別抗議デモから勃発した暴動と略奪。その傷跡の深さは、今なお、ソーホーの目抜き通りであるブロードウエーが板張りバリケードで閉鎖されていることからも伺い知ることができる。

 そんなソーホーの壁を選り抜きのアーティストたちがウエストウッドギャラリーの支援を受けて描き始めた。アートが街角に並んだのを温かく海老原さんは見守ってきた。「なかなか楽しい壁になって、フィルムを撮ったり、昔のバスキアやキース・ヘリングの活躍した頃を思い出すようなエネルギーを感じて面白くなって来ている」とソーホーがアートの震源地であることを彷彿させるハプニングが続いた3か月でもあった。

 ニューヨークが経済再開のフェーズ4に20日から入るのに先立ち18日夕、ソーホーで板張りアート参加アーティストたちの打ち上げ反省会集会が開かれた。

 「毎日代わり番こに描いていたので、それぞれのアーティストとも知り合い、これは良い題材と思いますが、趣旨が最初の暴動の後の板張りアート「Black Lives Matter」とはかけ離れていって、アーティストがキャンバスを与えられて、描きたくて発散したいエネルギーをぶつけていたような感じですね。そして皆に見てもらい将来を探したいといっていました。私はバスキアやキース・ヘリング達を最初から見ていたので、時代が違っても、2020年のストリート・アーティストとして、この動けない世界でアートにぶっつけてるエネルギーみたいなものを感じ、残したいと思って見ていました。84、85年頃、ソーホーのギャラリー91の前をウロウロしていたバスキアが、NYタイムズにピックアップされたと喜んでいたのを知り、その後レストランの入り口で、アンディーウォーホルを待っているのに何度か出くわしたり、バスキアのバースデイ パーティーに呼ばれ、ポスターにアンディーウォーホルと2人のサインをしてもらったり、その頃、ブルックリンのデザインセンターで行われたアートやデザインイベントの帰り、たまたま2度ほど、バスキアを車で、グレート・ジョーンズストリートのロフトまで送ってあげた事など40年近く前のあの頃を思い出す様なエネルギーを、このSOHO PUBLIC ARTIST達に重ねて見ています。このコロナの息を潜めて暮らしている様な時期、絵を描きたいという情熱で、描ける板塀があると夜遅くまで、描き続けているアーティスト、ほとんど死んでる様なソーホーの街の一角に、皆足を止め、写真をとったり、笑顔で見ている人々。未来に何か光を見つけれる気がしたのは私だけではないのではと思いました」。