【編集後記】 みなさん、こんにちは。日本が、世界が震撼した。もちろん安倍晋三元首相の死だ。犯人の宗教がらみの身勝手な思い込みにより、個人的で恣意的な殺人計画によって、こともあろうに選挙応援演説の公衆の面前で銃撃されて犠牲となった。しかも背後から忍び寄って自家製の銃器によって。こんなことが現代の日本で起こるのかと目を耳を疑った。アメリカのメディアは「暗殺事件」として一斉に報じた。日本の多くの報道機関は、殺害の背景が政治的なものではないことを理由に「銃撃による死亡」と、あえて「暗殺」という言葉を避けた。本紙は、今週号で、計画的に人を殺害したという意味で「謀殺」という言葉とアメリカの論調で使われている「暗殺」を同一紙面で使い分けた。犯人が歩道から車道にふらふらと歩き出して最初の一発目を発砲するまで約9秒少しあったと報道されている。思い出したのは、1981年3月30日に、ワシントンD.C.で、ロナルド・レーガン大統領が銃撃された事件だ。私はそのニュースをロサンゼルスの日経新聞社の編集部で聞いた。銃弾は大統領専用車の車体に当たって跳ね返りレーガンの左胸部に命中し、他にもジェイムズ・ブレイディ大統領報道官とワシントンD.C.首都警察のトマス・デラハンティ巡査、シークレットサービスのティモシー・マッカーシーに命中した。狙撃犯のヒンクリーはシークレットサービスや警官に取り押さえられ、逃亡しようともせずその場で身柄を拘束された。この10秒に満たない一連の出来事は複数のテレビカメラによってその一部始終が生中継されて世界を駆け巡った。一方、安倍元総理が撃たれた直後の映像は、カメラは固定位置から動かず、望遠ズームで捉えるばかり。世界に配信された写真は、共同通信のカメラマンが近くに駆け寄って撮影した地面に血を流して横たわる安倍氏の1枚の写真だった。その写真も国内では血の部分がモザイクがかけられた。公衆の面前で撃たれて一命を取り留めたレーガン大統領と死亡した安倍元総理の紙一重の落差は大きい。現場にはいなかったが、あえて言わせてもらうなら、せめて、総理の後方を警備していた2人のSPが、ガードレールの外にいれば、飛びかかることができたはずだ。政治的背景がなければ暗殺ではないとするなら、精神異常の犯人から発砲されたレーガンも、1963年にテキサスで暗殺されたジョン・F・ケネディも68年にロサンゼルスで殺害された弟のロバート・ケネディも犯人の犯行動機はうやむやだが歴史上はれっきとした「暗殺事件」であることに異を唱える人はいないだろう。政府の要人を計画的に殺害するということは、何に忖度して言葉を濁しているのかは知らないが、「安倍元総理暗殺事件」と呼んで何らはばかることはないのではないか。国内では毀誉褒貶甚だしい安倍氏だったが、海外での評価は極めて高い。安倍元総理の暗殺は、決してケネディ兄弟やレーガン大統領を狙った暗殺事件に比して決してその重大さに劣るものではない、まごうことなき「暗殺事件」だったと、事件直後に「週刊NY生活」という海外のこの小さな日系新聞社が書いたことをここに記しておきたい。それでは、みなさん、よい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)