【編集後記】
みなさん、こんにちは。日本を代表する漫画家の藤子不二雄Aさんが、本日7日午前、神奈川・川崎市の自宅で亡くなりました。88歳でした。「オバケのQ太郎」など数々の名作を残した藤子不二雄Aさん。本名は安孫子素雄。小学校時代の漫画絵描き友達だった藤子・F・不二雄さんとコンビを組んで、1987年にに解消するまで35年間に、共作としては前述の「オバケのQ太郎」、藤子不二雄Aさんとしては、「忍者ハットリくん」、「怪物くん」、「プロゴルファー猿」、「笑ゥせぇるすまん」などがあります。昭和の時代を彩った少年漫画界の大御所がまた一人他界した。「ゴルゴ13」のさいとうたかおさんが昨年9月に84歳で亡くなったばかり。思えば、手塚治虫をはじめ、赤塚不二夫、水木しげる、白戸三平、ちばてつやなど戦後漫画ブームを興した個性ある名人たちがみんないなくなってしまいました。「少年サンデー」「少年マガジン」「少年キング」の週刊漫画雑誌に加え「少年」「冒険王」などが昭和30年代全盛を極めていました。「巨人、大鵬、卵焼き」が当時の小学生の人気ナンバー3アイテムでした。「少年ジャンプ」が出てくるもっともっと前の時代です。あの頃、今の、世界的なアニメブームを誰が想像したでしょうか。「スーパーマン」や「バットマン」「スパイダーマン」などアメリカンコミックが実写活劇のテレビドラマや映画になって多くのファンを魅了していったのとは異なり、日本が生んだ「鉄腕アトム」は「アストロボーイ」として、桑田二郎の「エイトマン」はそのまま「8マン」でアメリカの白黒テレビの時代からアニメのまま放映されて人気となっていました。手塚治虫の「マグマ大使」みたいに人間が入ってテレビ活劇になって怪獣ブームを牽引した例はあっても、基本、日本のアニメは漫画映画の世界で生き続けることになります。それだけ、後世になっても、形を変えて妙な進化をすることなく、いつまでもオリジナルのままの姿形、時には、アニメの声優の声がそのまま心に刻まれています。半世紀以上も前、そんなに技術もなかった時代、CGもなく、今のようにお絵描きソフトで手軽に漫画が誰でも作れる時代と違って、労働集約的な地味でコツコツやる仕事でした。私も大学時代に漫画家のアシスタントをやっていたことがありますが、結構大変な仕事です。小学生時代に永島慎二の「漫画家残酷物語」3巻を読んで、自分には無理かなって思ったものです。貸本漫画時代から日本人の心に生き続ける日本漫画のスピリットは、今も世界の日本漫画ブームに脈々と引き継がれています。藤子不二雄Aさんのご冥福を心より、遠くニューヨークからお祈りいたします。長い間ご苦労様でした。それでは、みなさん、よい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)