外食しながら聞き耳も

岡田 育・著 岡田 育・著

  この本は、日本国内の飲食店や現在、著者が住んでいるニューヨークなど海外で外食をしながら隣席の客の会話に聞き耳を立てて、妄想をふくらませるというエッセイ集だ。東京、鎌倉、札幌、ニース、ニューヨーク。居酒屋、カフェ、蕎麦屋、とんかつ屋、ヴィーガンレストラン、大相撲の桝席、飛行機のビジネスクラス。あちこちで小耳に挟んだ、見知らぬ誰かの「パブリックなプライバシー」を著者のイマジネーションというスパイスをふりかけた味付けで読者は垣間見ることができる。
 登場する店も固有名詞が出ている店は実在のレストランで、その場に居合わせた客たちの人物描写が実にリアル。紹介されている団体・事件などと大いに関係するノンフィクションのスタイルだが、あくまで物語のフィクション。天国のような旨い食事と地獄を覗くような隣席の想像を越えた会話の数々。著者は、外食することがもともと好きな人なのだろうが、それ以上にまわりの人たちの会話から読み取れる人生や生活観の方に関心がぐいぐいと引き寄せられていくのが分かる。女性同士の婚活に関する会話など、本音トーク丸出しで街コン男の足元をすくいそうな辛らつな発言が新鮮だ。
 著者は、ニューヨークで一人で食べに行けるレストランというものが基本的に存在していないこと、社会がカップルを単位になりたっていて、一人での行動は「0・5人前、あるべき姿の半分の存在」と痛感する。それが東京は、すし屋であろうが、居酒屋であろうが、喫茶店であろうが、いかに「お一人様に優しい」街であるかも記す。本書では、女性の一人客の居場所のなさを、バーのカウンターでのバーテンダーのうざいほどの気遣いや、決してナンパではない老紳士が同情で相席を勧めたりの親切エピソードを紹介しながら日米の外食文化の違いも語る。同書を読んで思わず自分の体験と照らし合わせ、あるあると頷いてしまう。
 一人でレストランに入りずらいのは女性に限らず男性も同じ。このニューヨークで一人で入れる飲食店はうどん屋かラーメン屋くらいなものだろう。基本、一人で入って不自然でないのはファーストフードの店くらいだ。高級になればなるほど会話の声は聞こえなくなるのが普通だが、大衆食堂のような店では、聞き耳をたてなくても大声が聞こえてくるところも少なくない。バーも日本と違って騒がしい、地下鉄車両の前の端から後の端まで通るような声で隣の席で話し込まれて思わず耳を塞ぎたくなったことがある。
 著者は1980年東京都生まれ。出版社で婦人雑誌と文芸書籍の編集に携わり、退社後の2012年よりエッセイの執筆を始める。著書に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(KADOKAWA)などの著作がある。2015年夏からニューヨーク在住。      (三)