世界に羽ばたけ人魚姫

The Little Mermaid

 1989年の同名ディズニーアニメをいくぶん脚色した実写版。実際には実写とCGを使ったミュージカル仕立てで、色鮮やかでダイナミックなパフォーマンスが観客を存分に楽しませてくれる。

 元々はアンデルセンのおとぎ話がベースだが、人魚が王子さまのお妃になる、だけでなく今風に若者の探求心、冒険心そして未来に向かって突き進む挑戦と勇気が物語の柱となる。

 多様性は人魚の世界にもやってきたか、と思わせるのがシンガーソングライター、ハリー・ベイリーの起用。アフリカ系アメリカ人の主役抜擢に賛否両論が起こったが、実際に公開されてみると鈴を転がすような歌声、好奇心旺盛で聡明、時にはおちゃめな人魚姫アリエルのイメージにベイリーはぴったりはまっている。文句なしのキャステイングだ。ちなみに6月30日公開の「Ruby Gillman, Teenage Kraken」ではマーメイドが悪役になるというから固定観念の脱却は大いに歓迎だ。

 海の王国アトランティカのトリトン王(ハビエル・バルデム)には7人の娘がいる。末娘アリエルは冒険心が強く、近寄ってはいけないとされる陸の世界に大いに興味を持っている。ある日、航行中の船が暴風雨で難破し近くにある島国の王子エリックがおぼれそうになり、エリアルは必至でエリックを助ける。以来、アリエルは彼が忘れられず、一方、エリックも自分に美しい声で歌い語り掛けてくれた女性の顔がおぼろげながら心に残っていた。

 アリエルはエリックのそばに行くため、尾ひれを足に変えてもらおうと海の魔女アースラ(メリッサ・マッカーシー)と取引をする。代償はアリエルの美しい声だ。しかも「3日以内に王子とキスをする」ことが出来なければアリエルは海の藻屑となってしまうのだ。

 アリエルを中心にしたミュージカル部分の映像、音楽の素晴らしさは言うまでもないが、中でもメリッサ・マッカーシーが演じるアースラの怒りの乱舞は圧巻。監督はロブ・マーシャル。2時間15分。PG。(明)

(写真)アリエル(ベイリー)はエリック王子に町を案内してもらう Photo : Giles Keyte/ Disney Enterprises, Inc.


■上映館■

Regal E-Walk 4DX & RPX

247 W. 42nd St.

AMC Empire 25

234 West 42nd St.

AMC Loews 34th Street 14

312 W. 34th St.


山口県萩市を故郷自慢がおすすめ!

引き継がれる古き良き日本

日本のいいとこ再発見

 熊本県熊本市(5月20日号)に引き続き、私の故郷である山口県萩市を紹介する。萩市は、江戸時代から続く街並みや豊かな自然、歴史、文化など、古き良き日本の姿を今もなお引き継いでいる。その様子は、2015年に5つの史跡が「世界文化遺産」に指定され、2018年には人の営みを支える大地が「日本ジオパーク」に認定されるなど、街として再評価を受けていることからもうかがえる。私からはガイドブックには掲載されていない、地元民ならではの情報を皆さんに提供する。

その1 萩・明倫学舎 ~日本近代化の礎を築く

 萩は明治以降の新時代を牽引した多くの偉人を育んだ街であり、その人材育成の中心的存在が萩藩校明倫館であった。跡地に建てた木造校舎4棟では、近年まで現役の小学校として伝統が引き継がれ、今ではその校舎を、観光の拠点「萩・明倫学舎」として保存活用している。一部は「復元教室」として、当時の様子を再現しており、昭和の小学校の授業を懐かしむことができる。また、4棟目では、国内有数のIT関連企業が集まり、地元の高校卒業生を中心に、次世代教育をすすめている点も、街の魅力といえる。(写真上:萩・明倫学舎本館【写真提供・萩市】)

その2 菊ケ浜 自分自身を見つめなおせる時間 

[パワースポットとなっている菊ヶ浜]
【写真提供・萩市観光協会】

 日本の歴史を学んだ後は、美しい日本海を眺めながらゆっくりと物思いにふけっていただきたい。特に「菊ヶ浜」は、海に浮かぶように佇む「指月山」を背景に、沖合の島々の影響で波も穏やかなため、心を落ち着かせるのに最適のロケーションである。また、日本の海といえば「かき氷」は欠かせない。菊ヶ浜沿いにある「やまざきや」では、今では日本国内でも珍しい、昔ながらのふわふわとした触感を楽しめる絶品のかき氷を提供している。ぜひ、かき氷を頬張りながら、自分自身を見つめなおす内省の時間を過ごしていただきたい。

その3 萩の食、萩の酒 豊かな大地に裏付けされた味

フグの女王と称される萩の真フグ
【写真提供・萩市】

 萩沖は暖流と寒流が交わる好漁場であり、年間250種もの魚介類が水揚げされる。また、多様な火山活動で生まれた大地により農畜産物が育まれるため、一年中、四季を感じさせる食材が楽しめる。山口県といえば、真っ先に「フグ」が挙げられるが、トラフグはもちろんのこと、地域ブランド「真フグ」など、旬に応じてさまざまな種類のフグが「朝獲れ」で楽しめるのも、萩の魅力の一つである。また、萩地域には6つの酒蔵があり、米の生産、精米、加工を行い、地元の水を使って人の手で丁寧に仕込まれるため、食に寄り添う高品質な酒を楽しむことが出来る。ただし、生産量が限られている上、その多くは、萩の食の玄関口「萩の酒・萩の肴MARU」を始め、魅力的な萩の飲食店で消費されてしまうため、ぜひ訪れて、旬の食材と地酒に酔いしれていただきたい。

その4 城下町を散策 ~旅の思い出を探して

 世界文化遺産に指定された「萩城城下町」は、江戸時代の古地図が使用できるほど当時の佇まいが残されており、全国公募の結果、「きものの似合う街大賞」に選ばれるなど、その美しさは一見の価値がある。また、この町には、「萩焼」の店が連なっている。400年以上も前から愛される「萩焼」は、山口県下で100以上の窯が営まれる伝統工芸品であり、第十三代「三輪休雪」を筆頭に、熟練の作家たちによって作られている。特徴は、地元の柔らかな土味を活かした経年変化であり、年月を経て深まる「侘寂(わびさび)」の美意識とも通じるものである。萩城城下町を訪れた際は、ぜひ「彩陶庵」を始め、多くのお店を巡る中で、歴代の名作を鑑賞したり、新進気鋭の作家の作品の中から、好みに合ったものを選んで頂き、旅の思い出として連れ帰っていただきたい。

その5 萩の魅力が行き着く先

 観光目的で訪れた旅行者の中には、移り住んでしまう人たちも年々増えている。ゲストハウスを開業し、海外からの来訪者と地元市民の交流の拠点を作った方や、歴史的な建造物が保存される地区として指定される「浜崎」地区の空き家をリノベーションして活性化を図る方など、街の魅力はさまざまな形で再発信されている。また、中にはこの街に魅了され、本物の「侍」となった方さえも存在し、その方が営むお好み焼き屋「萩侍」は、旅の目的地となり、海外からの訪問者が絶えない。萩を訪れた際の最後の夜には、彼の美しい動作と丁寧に作られる絶品のお好み焼きを堪能しながら、月代(さかやき)を眺め、次回の旅行計画を立てていただきたい。

 (村田直之/一般社団法人自治体国際化協会NY事務所所長補佐/山口県萩市派遣)


●ご帰国観光のご案内コーナー

■NPO萩・明倫学舎公式サイト:http://hagimeirin.jp/

■萩市公式プロモーション動画:

https://www.city.hagi.lg.jp/soshiki/12/h38163.html

■萩市グルメ公式サイト「はぎGochi」:https://hagi-gochi.jp/

■萩陶芸家協会公式サイト:https://hagi-tougei.com/

■萩市観光協会公式サイト:https://www.hagishi.com/

■移住・定住関連サイト(山口県萩市ページ):https://smout.jp/areas/1551


アイビーリーグに5校合格

【編集後記】

 みなさん、こんにちは。アメリカの大学の中でも最難関と言われる米東部アイビーリーグ全8校のうち、なんと5校から合格通知をもらった日本人女子学生がいます。この人はクイーンズ区アストリアに住む延原伶さん(17)で、ブロンクスサイエンス高校を今年卒業。3月9日に、コロンビア大学と3月15日にコーネル大学から、受験者の0.3%に事前に通知される合格内示書が届いたそうで、3月30日にはプリンストン大学、ブラウン大学、ペンシルベニア大学の3校からも相次いで合格通知が届きました。将来医学部に進むことを希望している延原さんは、大学卒業後の大学院で医学部のあるコロンビア大学に進学することにしたそうです。NYで生まれ、小学校1年生から高校2年生までニューヨーク補習授業校LI校に在籍していた延原さんは、補習授業校に通ってよかったことは「日本語を話し続けることができたこと、日本の文化、日本語の大切さ、日本とアメリカの文化の共通点を日本人の目線で学ぶことができたこと」だそうです。本紙今週号では、一体どうやったら5つのアイビーリーグから合格通知をもらうような子供が育つのかを知るために、主に幼少期にどういう育ち方をしたのかに焦点を当てて一問一答形式でインタビューしました。仕事柄、多くの成功者、ひとかどの有名人になった人物にインタビューをすることが多いのですが、勉学に限らず、スポーツや芸術など分野を問わずに自分の目標に向かってそれぞれ実現した人には、ある共通するものがあることに気がつきました。それは、ほとんどの人が、一様に小学校低学年の時に、人生を決定づける何かに出会っていることです。何かをしたことが先生に褒められた、親に褒められて嬉しかった、友達から褒められた、親に連れて行ってもらったお芝居に、音楽に魅了されたなどなど。小さなきっかけが、親の何気ない言葉が、先生の一言が、子供の生きる道を作ります。そんな思いを抱き、話を聞きました。本紙今週号の1面と5面に掲載しています。子育てに関係ない人でも、自分の胸に手を当てれば、ははーんと思い当たることがあるかもですよ。ちなみに延原さんのご両親は共に日本人で2人とも元歌手です。それでは皆さんよい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)

アイビーリーグに5校合格

【編集後記】

 みなさん、こんにちは。アメリカの大学の中でも最難関と言われる米東部アイビーリーグ全8校のうち、なんと5校から合格通知をもらった日本人女子学生がいます。この人はクイーンズ区アストリアに住む延原伶さん(17)で、ブロンクスサイエンス高校を今年卒業。3月9日に、コロンビア大学と3月15日にコーネル大学から、受験者の0.3%に事前に通知される合格内示書が届いたそうで、3月30日にはプリンストン大学、ブラウン大学、ペンシルベニア大学の3校からも相次いで合格通知が届きました。将来医学部に進むことを希望している延原さんは、大学卒業後の大学院で医学部のあるコロンビア大学に進学することにしたそうです。NYで生まれ、小学校1年生から高校2年生までニューヨーク補習授業校LI校に在籍していた延原さんは、補習授業校に通ってよかったことは「日本語を話し続けることができたこと、日本の文化、日本語の大切さ、日本とアメリカの文化の共通点を日本人の目線で学ぶことができたこと」だそうです。本紙今週号では、一体どうやったら5つのアイビーリーグから合格通知をもらうような子供が育つのかを知るために、主に幼少期にどういう育ち方をしたのかに焦点を当てて一問一答形式でインタビューしました。仕事柄、多くの成功者、ひとかどの有名人になった人物にインタビューをすることが多いのですが、勉学に限らず、スポーツや芸術など分野を問わずに自分の目標に向かってそれぞれ実現した人には、ある共通するものがあることに気がつきました。それは、ほとんどの人が、一様に小学校低学年の時に、人生を決定づける何かに出会っていることです。何かをしたことが先生に褒められた、親に褒められて嬉しかった、友達から褒められた、親に連れて行ってもらったお芝居に、音楽に魅了されたなどなど。小さなきっかけが、親の何気ない言葉が、先生の一言が、子供の生きる道を作ります。そんな思いを抱き、話を聞きました。本紙今週号の1面と5面に掲載しています。子育てに関係ない人でも、自分の胸に手を当てれば、ははーんと思い当たることがあるかもですよ。ちなみに延原さんのご両親は共に日本人で2人とも元歌手です。それでは皆さんよい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)

【今週の紙面の主なニュース】(2023年6月17日号)

(1)アイビーリーグ5校に合格 NY補習校卒の延原さん

(2)「最後の乗客」NY独立映画祭上映 主演女優の岩田さん来米

(3)ニューヨーカーはひたすら歩く 岡田光世

(4)大江千里NYライブ Class of ’88

(5)東洋と西洋を縫合 木嶋愛がNY個展

(6)ぶらっくさむらい武内 剛  自身の映画米で映画祭に

(7)坂本龍一を映す VRコンサートNYで

(8)五嶋龍さんの空手道場 日米武道館創立1周年

(9)NYで小津安二郎の映画伴奏 松村牧亜さん

(10)活動弁士の片岡氏来米 小津安二郎映画NY上映で

アイビーリーグ5校に合格

ブロンクスサイエンス、NY補習授業校LI校

医師目指す延原伶さん

 米国では卒業シーズンもほぼ終わり、9月からの新学期に向けて長い夏休みに入る。それぞれが進級や進学で思いを新たにしている時期だ。クイーンズ区アストリアに住む延原伶さん(17)もその一人。ブロンクスサイエンス高校を今年卒業し、9月からコロンビア大学に進む。米東部に8校あるアイビーリーグの1校だが、延原さんはなんとそのアイビーリーグの5校から合格通知をもらった。どのようにして勉強したのか、将来は何をしたいのかを聞いた。(写真上:体験を語る延原さん(本紙編集部で))

 3月9日に、コロンビア大学と3月15日にコーネル大学から、受験者の0・3%に事前に通知される合格内示書が届いた。3月30日にプリンストン大学、ブラウン大学、ペンシルベニア大学の3校からも合格通知が届いた。将来医学部に進むことを希望している延原さんは、大学卒業後の大学院で医学部のあるコロンビア大学に進学することにした。目指すは司法精神科医だという。高校生の時に冤罪の話や講演を聞いて間違った判断で有罪判決を受けた人の精神的責任能力を司法と医学両面から救う精神科医に興味を持ったという。それ以前に、小学校低学年の時に日本の祖父が脳内出血で倒れ、その後、帰国するたびに祖母の介護でリハビリをして祖父母が明るくなっていくのを見て中学生くらいの時に「医学の力って強いな」と思ったことが動機の遠因にあるようだ。

 2005年にマンハッタンの病院で生まれた延原さんは、アストリアの公立小学校PS085に入学、小学3年の時にルーズベルトアイランドスクールのギフテッド部門に転入、中学はマンハッタンのアッパーイーストサイドにある公立ロバート・F・ワグナーミドルスクールへ進み、高校は市内に8校あるエリート公立高校ブロンクス・ハイスクール・オブ・サイエンスに入学した。

 また延原さんは、小学1年生から高校2年生までニューヨーク補習授業校LI校に通い、先ごろ卒業したばかり。補習授業校に通ったことでよかったことは「日本語を話し続けることができたこと、日本の文化、日本語の大切さ、日本とアメリカの文化の共通点を日本人の目線で学ぶことができたこと」だという。中学生から始めたテナーサックスの演奏は、高校ではメンバー20人限定のジャズバンドで演奏した。父親の功さんが、日本でレコードデビューもした歌手で、母親の由美さんも日本でライブ歌手だったことから、小さい時からNYでジャズの演奏に連れて行ってもらうなど、音楽は身近な存在だったという。勉学の一方で、延原さんの心の支えとなった。現在アストリアで家族3人で住んでいる。

 延原さんは小学校の頃、塾へ通い始めた時、算数のテストの塾内ランキングで上位を数回取ってから、勉強を競争のように思えるようになり、その時からランキング上位を取るために勉強しているうちに、気がついたら勉強が好きになっていたという。大学進学で、米国の名門校を受ける場合の心得を聞くと、「目標を高く持って、自分にはできないかもと思うことにも進んで挑戦することが大切。夢は大きく設定することで自分の最大限の力で頑張ることができる」と話した。

アイビーリーグ5校に合格の延原さん

私はこうやって合格した

母親の由美さんと延原さん(本紙編集部で)

本紙 子供の頃、親と何か学習や漢字の書き取りドリルとか毎朝、学校に行く前に一緒にする習慣はありましたか?

 NY州全体のテスト(State Exam)の算数のテスト前には、過去問題の中から母が問題を作り一日数時間かけてしていました。日本人の家庭で育ったので第一言語は日本語でした。なので、毎日少しずつ母と英語の勉強をしていたのを覚えています。例えば、読書感想文の宿題が出た時、母と一緒に本を読み、どういうストーリーだったのかなど日本語で話し合い、日本語で感想文を書き、それを英語に変えていました。宿題は必ず時間がかかってもすべて終わらせて、わからないことがあれば聞くことを心掛けていました。

本紙 小さい時はどんなことに興味がありましたか?

 小学校低学年の頃の将来の夢は日系女性初のアメリカ大統領になることでした。当時黒人初のオバマ大統領に強く興味を持ち、私の友達や両親の友達に「将来私がオバマみたいになったら、voteしてね」と言っていたのを覚えています。ビデオゲームなどは全く興味がなく、遊びはcrosswordや数独をすることでした。なので、そういったパズル系の本を母にいつも買ってもらっていました。塾に通い出してからは、少し大袈裟ですが遊びが算数の勉強をすることに変わりました。

本紙 勉強が面白いと思ったきっかけはなんですか?

 小学校の頃塾へ通い始めた時、算数のテストの塾内ランキングで上位を数回取ってから、勉強を競争のように思えるようになりました。小さい頃から負けず嫌いだったので、その時からランキング上位をとるために勉強していたら、気づいたら勉強が好きになっていました。

本紙 小さい時に親から言われたことで今でも覚えていることはなんですか?

 小さい頃からずっと礼儀作法(座り方、靴の揃え方、目上の方への話し方等)やお箸の持ち方をキツく教えられていました。また、わからないことは必ず理解するまで聞くこと、そして人の話をよく聞く事の大切さもいつも言われていました。親から言われたことではないのですが、祖母から言われて今でも大事にしている言葉は「自分に正直になれる人になりなさい」ということです。

本紙 子供の時に一番嬉しかったことはなんですか

 中学1年生の時からテナーサックスを始め、両親はジャズ好きだったので、小さい頃はよくジャズクラブへ連れて行ってもらいました。そして中学校のジャズバンドに入ることが夢になりました。中学1年の時はピアノで、そして中学2年・3年ではサックスでオーデションを受けました。そして、中学3年生の時にやっとオーデションに合格しジャズバンドに入る事ができました。その事が子供時代1番嬉しかったことでもあり、両親に1番近づけたと実感した経験です。その後ブロンクスサイエンスに入学してからも、1年生から4年生の全校生徒の中で20名だけが入れるジャズバンドにも入ることができました。

本紙 小学校高学年になったとき、自分はどんな方向に向いているのか、どんなことが好きだと思って熱中しましたか?

 小学校の高学年になってからは、自分のアイデンティティを誇りに思えるようになりました。以前まで英語が第一言語の家庭に生まれてきたかったと思っていましたが、この頃やっと日本人でよかった、日本語が話せてよかったと思うようになりました。そして、アメリカにいる数少ない日本人の一人だからこそ外国人やアメリカ人に日本の魅力を伝えていけるような人になりたいと思うようになり、その頃の私の将来の夢は日本語を教える大学教授でした。

本紙 少女時代に影響を受けたことを3つあげてください。

 私の祖父は13年前脳内出血で倒れ、今も右半身が不自由でうまく話せません。毎週2〜3日スピーチセラピーを受けているおかげで、まだうまく話せませんが少しずつですが言葉も戻ってきました。そして少しずつ明るくなっていく祖父母を見てから私は医者を目指すようになりました。

 祖母はそんな祖父を毎日一人で介護しています。側で見ていてとても大変そうですが、このような細かいケアが出来るのも祖母が祖父のことを大切だからこそなんだと思っています。そして、大切だからこそ祖父がリハビリで出来ることが少しずつ増えていくたびに、祖母も嬉しいのだと思います。そんな祖父母から人間関係の大切さや、どんな困難があっても人を好きでいて大事に思うことが大切なんだと学びました。

本紙 父親について今、どう思っていますか?

 小さい頃から今もずっと父のことを尊敬しています。父は昔日本でプロの歌手をしていました。今ではその経験を活かしNYのライブハウスやゴスペルなどを観光客に紹介しています。また、5校のIVYに受かり、コロンビア大学とプリンストン大学で迷ってから最終的にコロンビア大学に決心した時に、父と話し合いました。その時に、父は「本当にコロンビア大学で後悔しない?」と聞いてきたので、「そう言いたいけど、それは分からない。でも、プリンストン大学に決めても同じことが言える」と返信しました。父は、「ダサいなぁ、パパは後悔したことなんてないよ」と言っていて、改めて父のかっこよさに直面しました。

本紙 母親に今言いたいことはどんなことですか?

 母は父の仕事を手伝いながら、主に専業主婦だったので、小さい頃は宿題が終わるまで側にいてくれました。私はアメリカで生まれながらも英語の上達が遅かったので、母は早くクラスの子たちと同じレベルまで英語が理解でき、クラスで不自由な思いをしないで良いようにと私と一緒に頑張ってくれました。その経験で毎日の積み重ねがとても大切だと言うことを学び、その考えは今の私の全てに繋がっていると思います。母とはよく喧嘩もしましたが、私にとって良き相談相手でもあり、1番の理解者だと思っています。母がいなければこれほどの大学から合格通知が来るとは思えません。母には「ありがとう」では伝え切れないほどの感謝をしています。

本紙「名門校」を受ける場合の心得、心構え、アドバイスをお願いします。

 目標を高く持って、自分にはできないかもと思うことにも進んで挑戦することが大切だと思います。失敗を恐れて、自分が確実に合格しそうなところを目標にせず、夢は大きく設定することで自分の最大限の力で頑張ることができると思います。私はそのおかげで多数の名門大学から認められたと思います。また、夏休みからアプリケーションの準備やエッセイを書き始めることも大切だと思います。

「最後の乗客」NY独立映画祭で上映

主演女優・岩田さん来米

 ニューヨーク在住で宮城県出身の映像ディレクター、堀江貴氏(51)が監督した映画「最後の乗客」が11日、ニューヨーク・インディペンデント映画祭で上映された。主演女優の岩田華伶さんが来米し、会場となったブロデューサーズ・クラブで堀江監督と共にステージで舞台挨拶した。

 作品は、東日本大震災から10年目の2021年3月の公開を目指して制作を進めてきた作品で、ドキュメンタリーではなく、震災で引き裂かれた父と娘の絆を描いたドラマ。すでに、サンディエゴ芸術映画祭で「最優秀インデペンデント映画賞」、またカンヌ世界映画祭の最優秀インディペンデント映画(低予算部門)ファイナリスト、スウェーデンの映画祭ボーデン・インターナショナル映画祭(BIFF)の初長編映画ノミネート、モントリオール・インディペンデント映画祭の最優秀フィクション映画など数々の映画祭で受賞やノミネートの発表が続いている。

 今回NYでの賞は逃したが、上映後、堀江監督は「賞を取れなかったのは残念だが、この無名の映画を海外の人々にニューヨークで見て貰える機会を頂けたことは大変よかったです。そして、宮城の被災地を舞台に震災をテーマにした映画が、こうして海外で上映され、いろんな国の人たちに見てもらえたということが、少しでも被災地の人たちの夢や希望に繋げられたら嬉しいです」と語った。 

 岩田さんは「映画祭というこういったタイミングで人生で初めてニューヨークに来れたことは、この映画が私をNYに呼んでくれたんだなと思えるし、今回は残念だったけれど、また、必ず女優としてしっかりと実力をつけてこういった場所に戻って来れたらなと、もっともっと高みを目指して行けたらなと思っております」と話した。

(写真)岩田さん(左)と堀江監督(11日午後7時過ぎ)

ニューヨーカーはひたすら歩く

 ニューヨーカーはよく歩く。とにかく歩く。碁盤の目のマンハッタン。東西に走るストリート間は、徒歩で一ブロック一分ほどかかるといわれる。

 歩くべきでない時も歩く。赤信号なんて待っていられない。ひたすら歩き続ける。赤信号で足を止めるのは、おのぼりさんだ。

 車が来なければ、青信号なのだ。考えずに突き進む。車が何台も走ってきても、その合間をぬって歩く。

 本来なら歩かなくていい所も歩く。日本の都会のように、どこでもエスカレーターがあるわけではない。エスカレーターがあっても、動いていればラッキーだ。しょっちゅう、故障している。乗ってもうんともすんとも言わないエスカレーターを、二階分だろうと三階分だろうと、ひたすら歩いてのぼる。

 そして、ニューヨーカーは歩くスピードが速い。その速さは全米の都市で第一位、というデータがある。スニーカーやビーチサンダルで、すたすた歩く。ハイヒールは夜の特別なイベントのためにある。

 速くたくさん歩くから、足が丈夫になる。ニューヨーカーが全米一、長生きなのは、それも理由のひとつだといわれる。

 でも、私はもっと速い。 

全米オープンテニスの会場で、試合を観戦するコートに足早に向かっていたとき、追い抜いた男性に声をかけられた。 

 You don’t have to run.

 走らなくても大丈夫だよ。 

 私はふり返り、笑顔で答える。

 You know what? For me, this is walking.

 あのね。私的にはこれ、歩きなの。 

 このエッセイは、シリーズ第9弾『ニューヨークの魔法は終わらない』に収録されています。

https://www.amazon.co.jp/dp/4167717220

Class of 88ライブ、大江千里デビュー40周年

ポップス時代もJAZZに編曲

 大江千里がポップス歌手としてデビューしてから今年で40周年。11日夜、ジャズピアニスト転身後8作目のニューアルバムとなる「クラス・オブ・88」リリース記念公演が、バードランドで開催された。当日のライブはコンサート自体をフルコースの食事にたとえ、前菜、メイン、デザートの3構成で演奏した。第二部の最初は「Akiuta」「ボーイズ・マチュア・スロウ」、続いてメインとなるポップス歌手時代からのクラス・オブ88(1988年卒業同窓)という今回のテーマのボディとなる「竹林をぬけて」「君と生きたい」「魚になりたい」など耳に覚えのある青春の曲をジャズにトランスフォーム(変身)させ、デザートには「アドベンチャー・オブ・アンクル千里」「オレンジ・デザート(砂漠)」「YOU」を演奏。客席最前列のテーブルで森美樹夫NY総領事が「ノリに乗った演奏で最高。私とほぼほぼ同年代なんで」と笑顔で絶賛するまさにあの時代のリスナー同窓会の面目躍如の一夜となった。 

ニューアルバム「Class of ’88」

 大江は「バードランドは3回目の公演、それも3年半ぶり。パンデミックを超えてのNY公演だけに感激もひとしおでした。始まるとお客さんの熱に包まれあっという間の2セットでした。積み重ねてきたことが報われる瞬間でした。バードランドの持つものすごいエネルギーとお客さんの熱気そして拍手の大きさを全身全霊で感じながら、無我夢中で演奏しました。最高の時間を本当にありがとうございました! 新しい章がまた始まりました!」と興奮気味に話した。(三浦)

(写真)演奏を終えて観客に両手をあげて感謝する大江(11日夜バードランドで。 Photo: Christopher Drukker)

ぶらっくさむらい武内 剛

自身のアイデンティティ探る映画上映へ

 東京で芸人として活動する武内剛(芸名はぶらっくさむらい)が監督を務めたドキュメンタリー映画『パドレプロジェクト』が、ニューアーク国際映画祭に選出され、23日(金)正午12時から、NJ州ニューアークにあるシティプレックス12シアター(Cityplex 12 Theater :360-394 Springfield Ave)にて世界初上映される。

 武内さんは日本人の母とアフリカ人の父との間に生まれ、父とは2歳の時に1度だけイタリアで会って以来、疎遠になり、母子家庭のもと名古屋で育った。保守的な日本社会で自身のアイデンティティに悩んだ末、2004年ニューヨークに留学。演劇学校に通った後、12年に帰国、芸能事務所に入り、芸人として活動する。コロナ禍で人生を見つめ直した時に「一度でいいから父に会いたい」という思いが膨らみ、父が住んでいるというイタリアへ旅立ち、自ら監督・プロデューサーとして父探しの旅を撮影し完成させた。武内さんは「親子の関係とは何かを模索している人、社会に生きづらさを感じている人へこの映画が人生を動かす勇気を与えられればと思います」と話している。

 入場料は10ドル+手数料2ドル51セント。チケット・詳細は公式サイトhttps://www.newarkiff.com/

東洋と西洋布で縫合

木嶋愛がNY個展

  ニューヨークを拠点に活動するアーティスト、木嶋愛が、マンハッタンのプロジェクト・アート・スペース(マジソン街99番地8階)で個展を開催している。木嶋は世界中を旅して集めたテキスタイルを丹念にキルティングした作品を制作している。東京で生まれ育った彼女は、幼少期からテキスタイルに魅了されたという。着物、絣、型染めの藍、子供用の絵入り寝具、5年間暮らしたヨーロッパ、インド、アフリカ、トルコの民芸品やビンテージファブリックなどのボキャブラリーを融合させた没入感のある作品を展示している。

 子供向けのテキスタイルを使ったポップな作品の前で木嶋は「キャラクターやポップアイコン、パターンなどの大胆で目を見張るようなイメージが大好きなんです。私の中では、捨てられる社会の中で、特別な歴史的重要性を持っています。消える前に救い出したい。私にとっては、保存する価値のある現代の文化的な芸術品なのです」と話す。

 この作品はアート活動を支援しているジャノメ・アメリカ・インクのミシンを使って丹念に仕上げられている。縫い目が細かくそれ自体が芸術品的仕上がりを作品のインパクトに与えている。どれもこれもが一点ものの切り抜きでコラージュされ、オムニバスな独自の世界を作り出している。

 木嶋はこれまで、アリゾナ州立大学美術館、ウィーン、ミュンヘン、ソウル、ニューヨークで展覧会を開催してきた。シカゴのスクール・オブ・ザ・ビジュアル・アーツとニューヨークのスクール・オブ・ビジュアルアーツで学んだ。

 キュレーターのミッシェル・ワインバーグさんは「伝統クラフトと現代歴史とのマリッジ(結婚)だ。ポジティブなエネルギーを感じる」と語り、同じくキュレーターのレスリー・カービーさんは「情熱的なパッションを感じるアートの新しい発明」と話している。

 ジャノメ・アメリカ・インクの関伸一郎社長は「木嶋さんは古着やペットボトルのキャップなどを使ったSDGsな作品ながら、独特のセンスでそれを感じさせない創作活動と人柄に共感して、彼女を応援しています」と話す。

 展示は8月末まで。開廊時間は月曜から金曜まで午前11時から5時。要予約電話212・271・0664。(三浦)

(写真) 同展のキュレーターであるワインバーグさん(左)とカービーさん(右)と作品の前で談笑する木嶋さん

坂本龍一を映す、バーチャル公演スタート

 ニューヨークに長く拠点を置き、今年3月28日に71歳で亡くなった坂本龍一さんの複合現実(バーチャルリアリティ:VR)コンサート『KAGAMI(鏡)』が7日から、ハドソンヤードにある劇場ザ・シェッド(西30丁目545番地)で始まった。

 坂本さんとVRコンテンツ制作スタジオ「ティン・ドラム」によるKAGAMIの会場に入ると、80ほどのイスが円形に並べられ、観客はVRヘッドセットを装着。すると中央にピアノと鍵盤に向かって座る坂本さんが浮かび上がった。超リアルというよりはフォノグラムのような坂本さんが演奏を始めると、その周囲が宇宙空間のようになったり、古いNYの街並みがモノクロ映像で映し出されたりと曲に合わせた立体的アートも登場。観客は席を立ち自由に歩き回ることができ、ピアノを弾く手や顔を覗き込んだり、坂本さんに重なるようにその場に座り込んだりして1時間のコンサートを楽しんだ。演奏曲は坂本さんの代表作品である「エナジーフロー」や「メリー・クリスマス・ミスター・ロレンス」など全10曲。7月2日(日)まで。詳細はウェブサイトhttps://theshed.orgを参照。 

 坂本さんは今年の初めに「現実としてバーチャルな自分も存在します。そのバーチャルな自分は年を取らず、ピアノを何年も、何十年も、何百年も弾き続けるのです。その頃、まだ人間は存在しているのでしょうか?」と語っていた。KAGAMIはNYのあと、マンチェスター国際芸術祭、シドニーのオペラハウス、テネシーのビッグイヤーズフェスティバル等で公演される予定。坂本さんの演奏はテクノロジーの力を借りて今後も世界中で上演され続ける。(高田由起子、写真も)