お茶の心得 北米伊藤園が米高校生に

 北米伊藤園のお茶梱包施設があるブルックリンのインダストリアルシティーで3月21日昼、マンハッタンの名門校スタイブサント高校の生徒15人がお茶についての基本的な知識と煎れ方について講義を受けた。
 講師は、同社エグゼクティブ・バイス・プレジデントのロナ・ティソンさんとプロダクト・マネージャーの桜川麻木さん。お茶に関する歴史解説やお茶の種類が紹介され、生徒たちは「和敬静寂」というお茶の心得についてなど興味深そうに聞き入っていた。講義の後は、実際にお茶の煎れ方を指導してもらいながら体験して日本文化の茶の味を楽しんだ。最後は同社が取り組む俳句についても紹介を受け、実際に俳句を作って鑑賞した。同社では数年前から、ニューヨークの学生向けにお茶啓蒙活動の一環としてこうしたイベントを過去数回実施している。
 生徒たちが作った俳句から次の3句が紹介された。

  夕方の電車 私も太陽も 家に帰る(シェリル・チェン)
  嵐去り 水たまりにのこった サンダル一つ(ジェシカ・パーク)
  山あいに 弧を描く虹 梅雨終わる(フィーニックス・ザン)

アンティークとレストランの街 コールドスプリングへー。

日帰り遠足シリーズ

 ようやく春めいてきた今日この頃、天気が良い休日に家でじっとしているのはもったいない。ハドソン川沿いの小さな町コールドスプリングはホワイトプレーンズから車で約45分、グランドセントラル駅からメトロノースでも行け、駅から徒歩で散策ができるため、マンハッタン在住の人や車が無い人にもおすすめの日帰り遠足スポットだ。

【歴史】19世紀初頭、材木や農産物の商取引きのための小さな集落が出来たのが始まり。やがてハドソン川の対岸にウエストポイント(米陸軍士官学校)が創立するとコールドスプリングに銃器や砲弾を製造する鉄工場が建設され住民が増加、1846年に村となる。南北戦争時に軍需産業で栄えた後、美しい景観と豊かな自然がニューヨークの富裕層に愛され、郊外に邸宅が数多く建設され、町にはアーティストや文筆家が住むようになる。1911年に鉄工場が閉鎖されると町は廃れたが、第2次世界大戦後にその立地の良さから再注目され、徐々に活気を取り戻した。1973年、古い街並みが残るメインストリート一体が連邦歴史地区に指定された。因みにコールドスプリングの地名はかのジョージ・ワシントンが近隣の湧き水を飲んだ時、予想外の冷たさに「コールド スプリング!」と言ったことから名付けられた、という説があるが真偽のほどは不明。

【街並み】メトロノース駅を降りて線路脇の道を進むと間もなくメインストリートに出る。右手(東)に進むと町の中心へ、左(西)に進むとハドソン川に出る。東側の通りにはアンティークショップや雑貨屋、昔ながらのカフェに小洒落たレストラン、モダンなセレクトショップなどが並び、ぶらぶら歩きにもってこい。連邦歴史地区に指定されているだけあって古い建物を見て歩くのも楽しい。どの家も手入れがされ、チャーミングに飾られている。背の高いビルディングは一軒もなく、マンハッタンからたったの1時間の立地にこういう町があることに驚く。通りの片側をぶらぶら歩いて、店が少なくなった辺りで通りの反対側に渡って引き返す。途中の店で買い物しながら歩いても3時間もあれば十分だ。町を散策した後は線路の下をくぐる地下道を通って西側に行くことも忘れずに。川沿いの公園からは季節折々のハドソン川の景色が楽しめる。

【カフェ&レストラン】数は少ないがそれぞれ個性的な店ばかり。
(1)Foundry Cafe (55 Main St.) 味のあるインテリアに、大雑把だがフレンドリーなウェートレスのおばちゃんがいて、田舎のカフェの雰囲気満載。ダイナー風のメニューはどれもボリュームたっぷりだが、コーヒーとマフィンだけでも歓迎してくれるのがうれしい。
www.facebook.com/ColdSpringFoundryCafe
(2)Le Bouchon (76 Main St.) 外観は青と赤と黄色、店内は真っ赤な壁と、赤白のギンガムチェックのテーブルクロスが印象的なフレンチビストロ。サービスも料理も良い。フレンチオニオンスープが好きな人は是非お試しを。週末は混むので予約した方が良い。www.facebook.com/pages/Brasserie-Le-Bouchon-Restaurants/
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(3)Cathryn’s (91 Main St.) イタリア中部、トスカーナ料理の店で、コールドスプリングでは一番の高級店。値段も高いがワインや料理の内容充実、ただし料理が出てくるまでに時間がかかる。季節が良い時には屋外のテーブル席がとても美しい。
www.facebook.com/cathrynstuscan/
(4)Hudson Hill’s Cafe(129-131 Main St.) 町で一番人気のカフェ、待たずに着席できたら超ラッキー。ボブ&ヒラリー夫妻が2011年にオープンしたカフェで、ハドソンバレー産の新鮮なオーガニック材料を使ったシンプルな料理が売り。朝8時から夕方4時まで、ディナーは営業していない。
www.hudsonhils.com

*コールドスプリングの詳細はウェブサイトhttps://coldspringliving.com/を参照。

老後の幸せとは? 日米の違いを実感

日本の介護・帰国支援合同セミナー

 日本の介護・帰国支援合同セミナー(主催・ケアブリッジ株式会社、内山公認会計士事務所、後援・週刊NY生活)が3月22日夕、グローバルラボで開催された。参加募集定員30人のところ65人の応募があり、当日は50人以上が参加する盛況となった。前半は、日本の介護事情や幸せな老後の過ごし方について、日本全国でかざぐるま式有料老人ホーム、在宅介護事業を展開するケアブリッジ株式会社CEOの青木幸司さんが解説。後半は、日本帰国後の財産管理や税務処理などお金のことに関することについて、公認会計士/税理士で30年以上にわたり日本と海外の顧客の相談に答えてきた内山典弘さんが詳しく解説した。
 続いて、ケアブリッジ株式会社COOの平田裕也さんが介護の日米比較について具体的に紹介。最後に日本で訪問看護/リハビリステーションの看護師、加藤千春さんが介護保険の利用の仕方などを紹介した。

■「やりたいことリストを作って、すぐに実行を」
 青木さんは昨年1月、父親が脳硬塞で倒れた時に偶然その場に居合わせた。親が倒れてはじめてもっと早く親孝行をすればよかったと後悔したという。リハビリが奏功し、その後父親の切望したハワイ旅行も家族で実現でき、親孝行することができた。
 「人生はロックンロール」という青木さんがセミナーで伝えたのは「心が震えるような感動のある生き方」の提言だった。緩和医療医・大津秀一の著作『死ぬときに後悔すること25』を紹介しながら「人生の時間は有限。誰にも等しく死は訪れる」そのために、やりたいことのリストを作り、それをできるところからすぐ実行することをジャック・ニコルソンが主演した映画「最高の人生の見つけ方」を引き合いに説明した。

■「お金の管理で悩む問題は専門家に相談を」
 内山さんは、お金の世界で成功した人の共通点、ハッピーリタイアの成功例と失敗例などを説明して相続や事業継承の仕方をアドバイスした。「お金の世界は、知らないだけで数億円単位でお金を失うこともある。人生を棒に振ることもある」と警告した上で、お金の世界で成功した人の共通点を、セミナー一番のポイントとして紹介した。成功者の共通点は(1)本業できっちり儲けてきた(2)本業を極め、全くブレない(3)本業でビジネスモデルをしっかり持っている(4)若い時に貧乏のどん底を経験している(5)目利き力、先見力を持っているとし、さらに、個人と法人を国内運用と海外運用に区分し、世界レベルで最適化を目指す。リスクへの備えがないと財産を失う危険があると述べ、お金の管理は専門家に相談することを奨励した。

■ニューヨークと日本でのシニアライフの比較
 平田さんは、人が亡くなるまでに平均して約10年間は介護が必要というデータを示しながら、10年間介護を受けた場合の生活費のシュミレーションを日米で比較して披露した。
 ニューヨークで、円換算にして時給3000円のヘルパーを1日12時間雇うと諸経費込みで月額126万円。年間で約1500万円、10年間で1億5000万円が医療費とは別にかかる。米国では病気になると高額な医療費がかかる。子供が経済的負担を被ることもあり自己破産のリスクがある。一方、日本は、同条件で介護保険を利用した場合、月額の介護料負担は14万円から34万円。年間170万円から400万円で、10年間だと1700万円から4000万円と、日米の介護費用に1億円以上も差が出てくる。「その分を家族旅行や相続に使うことができる」などと比較の現状を報告した。日本の介護保険料は平均月5000円。

■日本での介護保険の加入の仕方
 看護師の加藤さんは、介護保険に関するよくある質問について答えた。介護保険の利用は基本的に65歳以上の人が、介護保険申請を行い、認定審査会で介護度が決定し、担当のケアマネージャーがつく。その担当ケアマネージャーと相談して介護サービスが利用開始になるなど状況を説明。在米の高齢者を日本に帰国させる場合にかかる費用は、住まいや病院を探す帰国準備のための一時帰国(3回)と滞在費用が合計で460万円、準備期間として早くても1年から2年が必要との例を紹介した。

応援する子育てのススメ

松村亜里・著
WAVE出版・刊

 著者の松村亜里さんは、一般社団法人ウェルビーイング心理教育アカデミー代表理事を務め、ニューヨークライフバランス研究所代表。この本の巻末にある著者、松村さんの経歴をまず紹介したい。それによると記載されている内容をそのまま書くと「母子家庭で育ち中卒で大検を取り、朝晩働いて貯金をしてニューヨーク市立大学入学。首席で卒業後、コロンビア大学大学院修士課程(臨床心理学)、秋田大学大学院医学系研究科博士課程(公衆衛生学)修了。医学博士。臨床心理士、認定ポジティブ心理学プラクティショナー。
 ニューヨーク市立大学、国際教養大学でカウンセリングと心理学講義を10年以上担当し、2013年からニューヨークで始めた異文化子育て心理学講座が好評で、同州各地に拡大。ニューヨークライフバランス研究所を設立してポジティブ心理学を広めている。
 2017年に一般社団法人ウェルビーイング心理教育アカデミーを日本で設立。幸せを自分で作り出す人を増やすために、エビデンスに基づいた理論とスキルを紹介し、実践に落とし込む講座を展開。世界中の親に向けて18年に開設した「世界に通用する子供の育て方オンライン講座」「グローバル・ペアレンティングサークル」も開催中だ。
 第1章で「世界に通用する子どもとは・・・」では、子どもの幸せと、子どもの成功のどちらを望むかという設問から、幸せについての松村さんの持論が展開される。成功するから幸せなのではなく、幸せがまずありでこそ成功につながるのだと。人工知能(AI)の発達により、現在世の中にある仕事の半分近くが10年以内なくなるという仮説に立ち、自立した子ども育てること、機械にはできない人間の頭脳でしか太刀打ちできない分野での仕事に就くことこそが、これからの世界に通用する生き方であると導く。人間の心理を分析しながら、筆者が培ってきた理論をマーカーでなぞったような凝った印刷で解説してゆく。
 同書は子育てによる子どもの幸せをいかに導くかということと同時に、子どもを育てる親の心理がいかに子どもに伝わっていくかを理論的に紹介していく。威圧的な親よりも、子どもを応援する目線で育てる支援型が、最終的には高学歴になり高所得になっていくとの分析もする。
 海外での子育てで筆者が直面した異文化と多様性のカルチャーショックの中から、子どもに対して皆と同じでなくていい、優劣をつけなくていいという人と違って当たり前という環境が子どもに与える影響の大きさについても触れている。子育てに絶対という言葉はない。子どもは一筋縄ではいかない。子どもの適正や性格、その時々の英知を両親が出し合ってその家庭にとってのベストな選択をすればいい。子どもが幸せになるかどうか、幸せを感じられる人間に育てることだと説いている。子育て教育論ではなく、人間力、どんな状況になっても前向きに生きていけるポジティブな考え方を持つことが大事だとこの本は教えてくれる。(三)

桜祭りと日本庭園で日米文化交流の歴史を学ぶ

フィラデルフィア、フェアマウント公園

 毎年恒例の「スバル・桜祭り」がフィラデルフィアのフェアマウントパークで4月6日から14日にかけて行われる。桜の見どころは、スクーキル川沿い、フィラデルフィア美術館から川の両側を挟む、ケーリー・ドライブとウエスト・リバー・ドライブ。桜祭りは1
週間かけて開催され、会場では、日本食を中心とした出店、日本映画上映会、クラフト・ワークショップ、コスプレ・コンテスト、創作寿司コンテストなどの催しが行われる。13日土曜には、満開の桜の木の下を走る、10キロ、5キロコースのスプリングジョギングを実施。最終日14日の「サクラサンデー(SAKURA・SUNDAY)」では、太鼓、ダンス、お茶などのパフォーマンスが園内の「Horticulture Center」で行われる。(大人15ドル、12歳以下無料、subarucherryblossom.org)。
 フィラデルフィアと桜の歴史は長く、米国独立150周年を記念して、1926年に数百本の桜の木が日本政府からフィラデルフィア市に対して贈られた。その後もフィラデルフィア日米協会が1998年から10年間にわたり植樹を続け、2007年には1000本の桜並木となり、桜祭りは、地元はもとより、郊外からも数万人が訪れるフィラデルフィアの風物詩の一つとして楽しまれている。公園には彼岸 (ヒガン)、染井吉野(ソメイヨシノ)、関山(カンザン)、寒桜(カンザクラ)など4〜5種類の桜が植樹されており、それぞれ開花の時期が少しずつ異なるため、お花見を長期間楽しむことができる。
 会場の中心となるのはフェアマウントパーク内にある、世界万博の跡地。1876年にフィラデルフィアで開催された万博には、開国間もない日本も参加した。日本パビリオンの跡地には、1958年に松風荘が移築され、その庭は米国では指折りの日本庭園として知られている。
 松風荘はもともと、1954年にニューヨークの近代美術館(MoMA=Museum of Modern Art)で行われた展覧会「House in the Museum Garden」シリーズの一環として建てられた。16世紀から17世紀に日本の住宅建築様式として定着した書院造を基本として、日本の近代建築家、吉村順三がデザインし、宮大工伊藤家の第十一代目棟梁、平左エ門が施工に携わり、庭園は京都竜安寺の六代目佐野旦斎が担当。1953年に名古屋で一旦建てられた後、解体し、檜皮屋根、柱、畳、庭園用の石材に至るまですべて梱包され、ニューヨークに運ばれて近代美術館で再度組み立てられた。近代美術館のフィリップ・ジョンソンとアーサー・ドレクスラーのキュレーションによって、書院造の松風荘は世界のモダニズム建築の発想の源の一つとして、マルセル・ブロイヤーのバタフライ屋根の住宅、グレゴリー・エインによる集合住宅のデザインと共に比較展示された。
 吉村順三は、同時期1955年に、前川國男、坂倉準三と共に東京都六本木にある国際文化会館(International House) の設計をし、この建物は2006年、文化庁が指定する「登録有形文化財」に登録されいる。また、ニューヨークにある現在のジャパン・ソサエティーの建物も吉村によるデザイン。愛知県立芸術大学(1966年)、奈良国立博物館新館(1972年)、長野県八ヶ岳高原音楽堂(1988年)、など、日本の伝統とモダニズムの融合を図った設計が高く評価された。浜田山の家(東京都杉並区 1965年)、田園調布の家・猪熊邸(1971年)、井の頭の家(東京都三鷹市 1970年) 軽井沢の山荘B・脇田山荘(1970年)など、環境に自然とたたずむ住宅の設計も多く手掛けている。吉村は生前、自身の建築に対する思いを、「建築家として最も嬉しいときは、建物ができ、そこへ人が入ってそこで良い生活が営まれているのを見ることである。日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき、家の中に明るい灯がついて、一家の楽しそうな生活が感じられるとしたら、それが建築家にとっては最も嬉しいときなのではあるまいか。」と1966年に語っている。
 現在、松風荘は、庭園のみならず、建物内にもガイド付きで入場することができる。歴史文化的建築物として地元で親しまれながらも、米国各地から、また日本からも建築・庭園ファンが訪れている。松風荘の縁側から見る日本庭園には、しだれ桜が植えられており、桜祭りの見どころの一つになっている。(横山由香/フィラデルフィア日米協会プロジェクト・マネージャー)

空中で魅せるポールダンスの肉体美

ポール・スポーツ・アスリート・ パフォーマー

チェルシー真野さん

 イーストビレッジのアベニューAにある劇場型クラブ「ドロム」で毎月第4金曜、土曜に開催される「シュティック・ア・ポール・イン・イット」は、ニューヨークタイムズやAMニューヨークからも取材が入るニューヨーク唯一のポール・アクロバットとスタンダップコメディを同時に楽しめるイベントで今年6周年を迎えた。
 オーガナイザーであるジョアンナ・ロスとダン・グッドマンが厳選したポールダンサーとコメディアンしか出られない仕組みになっている。ここで唯一の日本人ポール・スポーツ・アスリート・パフォーマーとして出演しているのがチェルシー真野さんだ。過去6年で、オーガナイザーが採用した初の日本人ポールダンサーだ。愛知県一宮市出身。2018年に2つの全米主要コンペティションで入賞している。4年制大学を卒業後、広告会社の制作部門で働いていたが3年で退職。12年末までニューヨークに滞在、学生時代にジャズダンス部で鍛えた身体でプロベリーダンサー・インストラクターとしても活動する。拠点を4年間日本に移したあと17年に再びNYに。現在はプロのポール・スポーツ・アスリート・パフォーマーとして活躍している。
 白人女性のコメディアンがステージを終えてカーテンの奥に消えると、3人目のポール・パフォーマーとして真野さんが登場した。  銀色のステンレス棒に柔らかい身体が巻き付くように吸い付いたかと思うと、4メートル近い天井までスルリスルリと上っていき、足だけで身体のバランスを取ったり、小脇に鉄棒を挟んだだけで全体重を支えたり、宙を蹴ったり、その演技はまるで空中のシンクロナイズドスイミングのようだ。身体の曲線美のシルエットはフィギュアスケートのようでもある。見ているだけでは分からないだろうが、相当の筋力と技術を必要とする舞台だ。3分間の持ち時間一杯に空中演技を繰り広げる。ステージに足が着いたのはほんの数秒だ。身長5フィート2インチの小柄な身体が空中では大きくダイナミックに見える。規定をこなす空中演技は2024年開催の五輪競技種目入りを目指す。
 真野さんは言う。「日系企業のパーティなど、ポールダンスをエンターテインメントとしてもっと気軽に呼んでほしい。ベリーダンスはやっとその域まできたが、ポールダンスは、ストリップと同じだと誤解されているケースがまだ多い。
そういった状況を変えるためにも、日本人で、ポール・スポーツ&ダンスを楽しんでくれる同世代の仲間を男女を問わずもっとニューヨークで増やしたい」と。 (三浦良一記者、写真も)

ナベサダNY公演

ブルーノートで再び
ドラムス竹村一哲米デビュー

 渡辺貞夫カルテットのコンサートが3月21、23、24の3日間ニューヨークのブルーノートで開催された。出演は渡辺(サックス)のほか、ラッセル・フェランテ(ピアノ)、ベン・ウィリアムス(ベース)。ドラムに初めて米国で共演する竹村一哲が加わった。
 初日ファーストセットではバタフライ、プラムアイランドで始まり、アイム・オールド・ファッションド、ユー・ベター・ゴー・ナウなどビバップサウンド時代の演奏から80年代、最近の曲までを網羅して時に激しく時にささやくようなサックスを聴かせた。ドラムスの竹村は、日本で8年間渡辺とレギュラーで共演している札幌出身の新進気鋭のドラマーで、その才能は渡辺が「お聞きの通りです」と太鼓判を押すだけあって、会場で大喝采を浴びた。
 演奏直前に新しいサックスを楽屋で床に落としてしまって楽器の一部が曲がってしまった。そのことをステージで渡辺が口したのは、音には影響はなかったものの「演奏直前だったのでまいったなあって思った」その少し動転した自分気持ちをステージで落ち着かせるための自己暗示みたいなものだったのか。今回のニューヨークのブルーノート公演は4年ぶり。「僕の思いが全部含めて伝わればいいね。年内のスケジュールはどんどん決めているので、あとはかっこ良く消化していきたいな。レコーディングは演奏活動の方が忙しくて特にいまスタンバイはしていない。ニューヨークは、僕にとっては62年以来の町ですからね。いつ来てもエキサイテイングな、格別な町ですよね。ニューヨークの若いジャズメンには、大変だろうけど、頑張れというしかないんじゃないか」と楽屋で語った。(三浦良一記者、写真も)

大切なものは心の中に Dumbo

ディズニーのクラシック・アニメ「ダンボ」(1941年)の実写版。空飛ぶ子象ダンボのオリジナル・エッセンスはそのまま残し、現代にマッチした新しい物語を作り上げた。もちろん主役はダンボだが、登場キャラクターはダンボを取り囲む人間の方がはるかに多い。
脚本は「トランスフォーマーズ」シリーズのアーレン・クルーガー。耳が大きいために皆に笑われたダンボが空を飛べるようになり、サーカスの花形になってめでたしめでたしでは、今の時代にも社会認識にもフィットしないのは明白で、クルーガーはこの点を納得のいく物語展開でうまくまとめている。
監督は「ビートルジュース」や「アリス・イン・ワンダーランド」などのティム・バートン。出演はコリン・ファレル、マイケル・キートン、ダニー・デヴィート、エヴァ・グリーンら。動物は実物とCGの混合で抱きしめたくなるようなかわいいダンボはむろんCG。
なお、ディズニーは今年、「ダンボ」を含め、ディズニー・アニメ3作の実写版を公開する。5月には「アラジン」、7月には「ライオンキング」のほか、来年以降も「ムーラン」「リトル・マーメイド」など目白押しだ。
1919年。マックス・メディチ(デヴィート)率いるサーカスは巡業を続けミズーリ州にやってきた。ちょうどその頃、昔サーカスの花形で馬乗りが得意なホルト(ファレル)が戦争から帰ってきた。娘ミリーと息子ジョーは大喜びだがホルトは左腕を失っていた。元の仕事には戻れず、マックスはホルトらに生まれたばかりの子象の世話を任せた。
耳が地面に着くくらい大きい子像はどこか滑稽でサーカスの目玉にしようとしたマックスはがっかり。しかしミリーとジョーはダンボと名付けられた子象が空中を飛べることを発見する。空飛ぶ像なんて前代未聞だ。これに目を付けた大手のサーカス運営者ヴァンデヴァー(キートン)が陰謀を仕掛けてくる。
家族や仲間の絆の大切さが込められた物語だ。ダンボが華々しいサーカ舞台で飛んだ時、ミリーやジョー、観客が拍手喝采をするシーンがなんとも悲しく見えるのがバートンのダークな演出だ。1時間50分。PC。(明)

■上映館■
AMC Empire 25
234 West 42nd St.
AMC Loews 34th Street 14
312 W. 34th St.
AMC Lincoln Square 13
1998 Broadway

編集後記 3月23日号

みなさん、こんにちは。本紙「週刊NY生活」を発行するニューヨーク生活プレス社のオフィスは、マンハッタンの5番街と6番街に挟まれた47丁目にあります。この通りは、通称「ダイヤモンド街」と呼ばれる宝石商店街になっていて、宝石、貴金属、時計、コインの店がひしめきあっています。防犯カメラがいったいどれだけ設置されているのか分からないほどカメラだらけ。まあそれだけ安全ということです。で、反面、新聞社としては極めて不便なのですが、ビルが午前零時でシャットダウンされてしまうことです。仕事が途中でも午前零時1分前にはビルの外に出なくてはならない。午前零時を越えてエレベーターが動いたり、非常階段でセンサーが人影を察知したら、すかさず、警察と警備会社が飛んでくるという厳しさです。で、仕事を終わった先週のある日、ビルのすぐ外で、小さいライトを口にくわえて、ブラシとちりとりで、歩道の溝を掘っている男がいました。ラフィ・ステパンテインさん(50)。2011年から8年間、深夜のこの通りで2、3時間歩道の土をブラシで集めて、その中から1ミリ以下のダイヤモンドのかけらや金や宝石のくずを集めているそうです。いままで拾ったダイヤモンドで一番大きかったのはハーフカラットのダイヤ。金は44オンス拾って既に換金したそうです。総額にして時価1万3000ドル分の金を含む加工金属を収穫したというから塵も積もれば宝の山です。この通りは路面店だけに限らず両サイドのビル全体が宝石の工房になっているため、昼も夜も宝石商や職人の往来があり、ビルの出入りが激しいのです。ダイヤモンドをカットしたあとに出るダイヤモンドダストが靴について歩道に、運び出す時に落とした宝石など収穫はさまざま。8年間で警察に不審に思われ職務質問を受けたことも4回あまりあるそうですが、説明すると、空き缶を道路で拾っているのと同じ行為として黙認してくれるそうです。今週号の5面の記事になりました。47丁目、ダイヤモンド街で宝探しする男、今度はいつ会うことになるのか。それでは、みなさんよい週末を。(「週刊NY生活」発行人兼CEO三浦良一)