【今週の紙面の主なニュース】 (2019年4月20日号)

今週のデジタル版はこちらから

https://www.nyseikatsu.com/editions/721/721.pdf

(1) はしか感染広がる ウエストチェスターでも8件(1面)
(2) 「花開く精神」能レクチャー公演開催へ(1面)
(3) 春夏秋冬 久保修ワールドFEEL JAPAN NOW 朝掘り竹の子(1面)
(4) ジンギスカン北海道祭り(2面)
(5) 9.11記念ナンバープレート デザインを発表 代金で遺族支援 (2面)
(6) NYラーメンコンテスト 1位は地元シンカ(3面)
(7) ザ・祭 5月5日開催 ハリソンで(3面)
(8) 語学学校が突然閉鎖 NY大手有名校 ALCC 日本人も多く(5面)
(9) 情報貧困世界会議 国連でN高紹介 ネット高校のSDGsへの取り組み(7面)
(10) トライベッカ映画祭 世界から103作品 日・タイ合作「37 Seconds」 (14面)
(11) NY生活ウーマン 沖縄県民間大使 てい子・与那覇・トゥーシーさん 沖縄のことを米国で伝える(17面)
(12) 日本の捕鯨の正当性主張する映画「ビハインド・ザ・コーヴ」コロンビア大学で22日上映(25面)
(13) 尾竹永子講演会 ドナルドキーン文化センター主催 コロンビア大で5月10日(26面)
(14) シネマ映写室MOVIE High Life 命ある限り(26面)
(15) 絵の中の女神たち 鶴田一郎NY初個展 大西ギャラリーで23日から(27面)

ジンギスカン北海道祭り

北海道の味を提供する左から笠木さん、金山さん、尾形さん
 北海道名物のジンギスカン料理のプロを招いた米国初の本格的北海道祭りが14日、ロウワー・イーストサイドのヘスター通りの公園で開催された。中心になって出店したのは今春ニューヨークに開店する北海道料理店「ドクター・クラーク(クラーク博士)」。クラーク博士は、北海道大学の前身、札幌農学校の教師で「少年よ大志を抱け(Boys, be ambitious.)」の名言を日本に残した人物として知られる。
 北海道利尻島出身のジンギスカン名人、尾形宗威さんが自家製たれを漬け込んだマトンの肉で500人前の腕を振った。新規開店する北海道料理店ドクター・クラークは、「居酒屋」を経営する金山雄大さんと笠木恵介さん(共に北海道出身者)がプロデュース。当日はバターの効いた帆立めしや焼きトウモロコシ、焼きそばも飛ぶように売れていた。

9.11記念ナンバープレート

デザインを発表
代金で遺族支援

 ニューヨーク州車両管理局(DMV)は10日、昨年8月の承認から8か月を経てようやく、米同時多発テロ記念車両ナンバープレートのデザインを発表した。
 赤と白、青の同ナンバープレートには、星条旗、救助隊員や消防隊員、米市民のシルエットが描かれ、事件発生の日付「9・11・01」、「ネバー・フォーゲット」「ユナイテッド・ウィ・スタンド」の文字が記されている。
 同ナンバープレートは今年2月から発行される予定だったが、DMVは、「初期費用として6000ドルを受領する、または最低200枚の事前注文がない限り施行はできない」としていた。その後、債券会社ペダーセン&サンズを営むニール・ペダーセン氏が名乗りをあげ、施行のための保証金を提示した。
 同ナンバープレートの料金は、1枚当たり85ドル、年間更新費は56ドル25セントで、2年毎に支払う。個人的な文字を入れるパーソナライズド・プレートの場合は116ドル25セント、更新料は87ドル50セントとなっている。
 更新料のうち各25ドルは、同テロ事件の犠牲者遺族の学費や、ファースト・レスポンダーたちとその家族を支援するニューヨーク州ワールド・トレード・センター・メモリアル奨学基金に寄付される。

故ブッシュ大統領記念切手6月に発行

 米郵政公社(USPS)は6日、昨年11月30日に94歳で死去した第41代ジョージ・H.W・ブッシュ米大統領を称え、同元大統領の肖像画の記念フォーエバー切手を発行することを発表した。
 同肖像画の作者であるミケル・J・ディーズ氏は、これまでも記念切手用に、俳優のマリリン・モンローやジェームス・ディーン、ハンフリー・ボガード、ケーリー・グラント、小説家エドガー・アラン・ポーなど著名人を描いている。同切手の発売記念式は、ブッシュ元大統領の誕生日である6月12日(水)に、テキサス州カレッジステーションの同大統領図書館で行われる。USPSは同元大統領について「米国を冷戦終結に導き、湾岸戦争ではクウェートのイラク撤退を成功させ多国間の連立を築いた」と伝えている。

NYラーメンコンテスト 1位は地元シンカ

 ニューヨークのストリートフェアで日本文化や食文化を発信しているジャパンフェス実行委員会が13日と14日の両日、ニューヨークで「ラーメンコンテスト2019春」を開催した。
 来場者の人気投票で、地元ニューヨークから出店した牛骨、シンカラーメンが585ポイントで優勝した。2位は560ポイントで横浜から参加の地獄の坦々麺、3位が549ポイントで大阪から参加したKUCHEだった。
 そのほか出店したのは沖縄のマホロバ、東京の自家製麺ほうきぼし、大阪の金久右衛門、大阪のラーメンスタイルJUNK STORY、大阪の麺処・ほんだ、宮城のらーめんくろくで、全9店。13日はマンハッタンのイーストビレッジで、14日はクイーンズのアストリアで9店が味を競い、2日間の人気投票で優勝者が決まった。和牛とんこつのシンカは昨年に続く上位入賞。地獄の坦々麺の中山健治さんは「新しい味をニューヨークの皆さんに味わってもらえて嬉しい」と喜びを語り、3位のKUCHE横山将士さんは「ニューヨーカーの口に合う味を出した」という。

語学学校が突然閉鎖 NY大手有名校 ALCC 日本人も多く

 マンハッタンにある語学学校アメリカン・ランゲージ・コミニュケーション・センター(ALCC)が3日、突然閉鎖となり、ほぼ全員が外国人である数百人の在籍学生たちが急遽対応を迫られている。
 学校閉鎖は噂は出ていたものの事前に告知されず、3日に「すべてのクラスが中止された」との張り紙が玄関入口に張り出された。学校閉鎖により学生ビザで米国に滞在している学生たちは滞在許可を失うため速やかに他の語学学校へ移る必要がある。
 3日の閉鎖告知と同時にALCCには編入手続きを得るための学生が殺到、職員はその対応に追われた。語学学校を管理しているニューヨーク州教育局はALCCに職員を派遣し学生を支援した。別の大手語学学校ゾニはALCC校舎の外で転校手続きについての案内書を配布した。
 ALCCのピーター・パッチャー代表は「すでに支払った授業料は返金されない」と述べているが、同州教育局の学校監督局に苦情を申し立てると、授業料補助プログラムを通じて返金される可能性があるという。また、同教育局は入学手続きを終えたがまだ入国していない人たちの受け入れ先としてカプランとブルーデータ英語学校を指定した。
 ミッドタウン36丁目にあるALCCは44年の歴史を持つ大手語学学校として知られていた。日本人学生も少なからずいるという。閉鎖の理由は明らかにされていないが、関係者によると賃貸契約が結べず退去命令が出ていたという。
 マンハッタンの語学学校の学生数は奨学金の拡大もあって2014年にピークを迎えたが、その後は減少。これに加え、高騰する賃貸料と不動産税、労働法による規制などで経営が苦しくなっているところが多く、学校縮小や統合の時期を迎えている。

情報貧困世界会議 国連でN高紹介

ネット高校のSDGsへの取り組み

 学校法人角川ドワンゴ学園「N高等学校」(本校・沖縄県うるま市、在籍生徒9727人、奥平博一校長)の山中伸一学園理事長(元文部科学事務次官)が12日午後、国連本部で開催された国連NGO「OCCAM」主催の「第19回 情報貧困世界会議」に登壇し、「すべての人々に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供する未来学校N高」と題して、同校のSGDsへの取り組みについて発表した。
 同校は、2016年4月にインターネットと通信制高校の制度を活用した「ネットの高校」として設立し、今年で4年目を迎える。この4月の入学者は4004人で、他通信制高校を含む日本全国の高校の4月入学者数としては日本一(同校調べ)となっている。
 在校生には、シニアデビューとなった2018〜19シーズンで四大陸選手権を含む国際大会で6連覇した女子フィギュアスケートの紀平梨花さん(高2)をはじめ、さまざまな分野で活躍する生徒が多く在籍している。授業はスマートフォンで1講義10分刻みになっており短時間で集中的講義を受ける形になっている。
 山中氏は「教育の情報貧困格差」という点を都市部と離島や山間部の過疎地での現状を使って説明し、「どこでも、誰でも、安い学費で高校卒業資格を取得することができるシステムを、国際社会における先進国と発展途上国での教育の格差是正、改善のヒントにして欲しい」と国連第12会議室に集まった各国の関係者に訴えた。
 山中氏の講演前後にユニセフの担当者や国連事務局の田頭麻樹子経済社会局オフィサーが加盟国の教育格差是正の取り組みを報告したこともあり、短期間で教育の情報貧困打破の成果をあげているN校の実績を際立たせた格好となった。
 同校卒業初年度の主な大学合格実績では九州、筑波、慶應義塾、早稲田、上智、立教、明治、青山学院、法政、中央などに進学実績を出している。海外の高校に在籍しながらネット授業により日本の高校卒業資格も同時に取得できるため、国際感覚を肌で身につけた若手人材育成の観点から、今後、邦人帰国生の教育にも注目されそうだ。
 主催したOCCAMは、ミラノに本部を置くデジタルコミュニケーション観測機関でユネスコによって設立されたNGO。国連常駐代表の村田敏彦さんは「国連が推進する持続可能な発展に貢献できる日本企業を探し、その取り組みを国際社会へ発表する場として、今後もこの会議を活用していきたい」と話している。

その1:ルート66の歴史を振り返る

魅惑のアメリカ旧国道「ルート66」をフォーカス

 ルート66ファンの皆さんこんにちは! さて、「魅惑のアメリカ旧街道ルート66」は今月よりシリーズ第3弾をスタートします。第1弾はルート66出発地点のシカゴより、終点サンタモニカまで27か月にわたり皆さんと一緒に旅をしました。第2弾では「何でもベスト10」と銘打ち、ルート66上のモーテル、お土産屋さん、レストランなど、筆者の独断と偏見で各テーマ10か所ずつ紹介しました。そして今回の第3弾は、ある特定のトピック、街、人物、そしてルート66の抱える問題点や将来のテーマなど、それぞれの内容にフォーカスして、「この場所行ってみたいな、あの人に会ってみたいな」という気持ちを持っていただけるような内容で、毎月また皆さんにルート66の魅力を発信できればと思います。
 ということで、今月はまず「ルート66」について再度おさらいをすることから始めましょう。ルート66については2016年1月の第1回掲載でも触れました。また? と言われそうですが、あれから3年3か月の月日が経っていますので、もう一回記憶のリフレッシュといきましょう。
 ルート66、いわゆるアメリカ(旧)国道66号線はイリノイ州シカゴからカリフォルニア州サンタモニカを結ぶ全長2347マイル(3755キロ)で、20世紀初頭に急速に発展した自動車産業の影響から、ニューヨークとサンフランシスコを結んだ「リンカン・ハイウェイ」に続き、オクラホマ在住の実業家サイラス・アベリー氏の計画と尽力によって、1926年「メイン・ストリート・オブ・アメリカ」の愛称のもと、完成しました。この66号線は元々ミズーリ州内の「オセージ・インディアン・トレイル」と呼ばれるネイティブ・アメリカンの古道が起源になっていますが、その後同州を東西に横断する旧ミズーリ州道14号線を経て、ルート66へと発展しました。ではなぜ「66」だったのでしょうか。
 アメリカ合衆国で初めて国道システムの設置が提唱されたのは23年で、ルート66(国道66号線)はそのわずか3年後に開設されましたが、ルート66は当初からの提案に盛り込まれていた、①「国道番号を偶数とすること」、②「番号を「60」から始めること」の2点に基づき、さらには「覚えやすい、言いやすい、聞きやすい」の三拍子が揃うという理由から「66」が割り当てられました。結構イージーですよね。
 その後、国道システムが正式に創設されると27年にはオクラホマ州タルサで国道66号線協会が発足。この協会の目的は国道66号線の舗装促進と利用者の増加に尽力することで、翌年、バニアン・ダービー(Bunion Derby)という、ロサンゼルスからニューヨークまでの大陸横断競走レースを計画しました。(ロスアンゼルスからシカゴまでは国道66号線を走るルート)このレースは名俳優ウィル・ロジャースをはじめ多くの著名人たちに支援され、国道66号線協会のプロモーションは大成功に終わります。しかし30年代後半、カンザス、オクラホマ州にかけて大規模な砂嵐が頻発し、難民と化した農家の人々は明るい未来を求めて温暖なロスアンゼルスへ向かって脱出を図りました。カリフォルニア州出身の作家ジョン・スタインベックはその模様を小説「怒りの葡萄」で描き、同小説は40年ピュリツァー賞を受賞。翌年にはジョン・フォード監督がそれを映画化し、一躍ルート66の名前は世界に知れ渡ることになりました。小説の中でジョン・フォード監督は、ルート66を「マザーロード」と呼び、その名は現在主流の呼び名の一つとなりました。
 このように未来を約束されたかのように見えたルート66ですが、56年、当時のアイゼンハワー大統領が「連邦補助高速道路法」に署名をしたことからルート66の衰退は始まります。この法案はアメリカ国内に高速道路交通網の建設を目的として成立させたもので、これ以降国内の主要な国道は次々と州間高速道路(インターステート・ハイウェイ)に取って代わられて行きました。
 そして終に84年、アリゾナ州ウィリアムズにて、インターステート40号線の最終部分が完成したことにより、国道66号線の最後の部分が置き代えられ、その翌年国道66号線は正式に廃線となりました。
 筆者とルート66との最初の出会いは、60年代前半に放映されていたアメリカのTV番組「ルート66」です。トッドとバズという2人の青年がシボレー・コルベットに乗って旅をする、軽快なテーマ曲が素敵なドラマでした。その後、アメリカ・ポップカルチャーの影響を受け、90年に手に取ったMichael Wallis氏による『Route 66 The Mother Road』という本は筆者に多大な影響を与え、「いつかルート66を走ってみたい!」という気持ちを呼び起こしてくれました。そしてそれは93年に実現し、シカゴからサンタモニカまで初完走するきっかけになったのです。(実際にルート66に関わる活動を真剣に考え始めたのは、実はそれから15年近くも経った2008年頃になるのですが)
 それでは次回からさまざまな事柄にフォーカスしてルート66のさらなる魅力をお伝えします。また来月お目にかかります!
(後藤敏之/ルート66協会ジャパン・代表、写真も) www.toshi66.com

沖縄のことを米国で伝える

沖縄県民間大使
てい子・与那覇・トゥーシーさん

 沖縄を伝えたい。「鉄の嵐」と呼ばれた激戦を4歳で体験したてい子・与那覇・トゥーシーさんの講演会が4日、マンハッタンで開かれた。
 戦時の記憶は、鮮明に焼き付いている。初めて覚えたアルファベットは、空から爆弾を落とすB29のB。壕の中で命を奪ってまでも泣く子を黙らせようとする怖かった日本兵。男の子の格好をさせられて壕を出た日。生々しい体験談が、ほとばしり出た。
 沖縄の米字新聞社に勤務、米国軍人と結婚して1964年に渡米、77年からニュージャージー州に住み、3人の子供に恵まれた。しかし、ベトナム戦争に従軍して戻った直後から内臓の慢性的な痛みに苦しんだ夫に先立たれ、医療にかかった借金を残された。他人のトラウマに取り組むことで自分のトラウマを乗り越えようと、沖縄の空手と心理学を学んだ。同州の精神保健センターで精神障害に苦しむ児童・青少年対象のケースマネジャーとしてキャリアを積んだ。
 辛さをふっきったユーモアあふれる語り口が聴衆を魅きつける。しかし、てい子さんが今なによりも訴えたいのは、過去ではなく沖縄の現状だ。2月の県民投票でも改めて明らかにされた辺野古への新基地建設に反対する沖縄の民意。それが、またしても踏みにじられ美しい辺野古の海で埋立工事が止まらない。戦後、ひもじい思いをした時、タコや魚を捕って生き延びた、命の海だ。独自の文化、ことば、魂をもつ沖縄人としての誇り、そんな沖縄の声に耳をふさぐ日米両政府への怒りを語る時の口調は力強く厳しい。「これは人権問題」。
 講演会では、辺野古での基地反対運動を描いた大矢英代監督の短編記録映画の上映や非暴力の市民の抵抗、歌や踊りにあふれる辺野古の座り込みや海上行動の現場報告の後、米シニア市民グループ「レイジング・グラニー」が作った反基地ソングやてい子さんの空手踊りが披露され、会場は大いに沸いた。
 ニューヨーク沖縄県人会会長を10年務め、現在は同会名誉顧問。2006年には沖縄県知事から民間大使に任命された。子供たちは女手ひとつで育ててくれた78歳になる母がワシントンDCはじめ各地に抗議行動に出かけるのを心配するが、「孫たちは、おばあちゃんクールって言ってくれる」。17年前に孫が「ヒットラーが部下に市民が無知なのは有利なことだと言った。日本もそうだったね」と話したことで「休火山」が動き始めたと言い、「そろそろ爆発するかな」と笑う。正義感の強さは名護市婦人会会長や女性初の名護市老人会会長になった母親譲り。最近会った幼馴染みが言った。「あなた全然変わらないね」。(大竹秀子、小味かおる、写真も)

命ある限り High Life

「ショコラ」(1988年)、「パリ、18区、夜」(94年)で知られるフランス人監督クレール・ドゥニ監督による初の英語作品だ。宇宙を舞台にしたSFスリラーともSFラブストーリーとも言える神秘さをたたえたヒューマンドラマだ。
 ドゥニ監督はキャスティングにこだわることでも知られる。「レット・ザ・サンシャイン・イン」(17年)でコンビを組んだフランス人女優ジュリエット・ビノシュをこの物語のブラックボックス的な役柄で起用したのはトゥニらしい選択だ。ビノシュが内に秘める怪しげな魅力が宇宙という不可解な空間とうまく溶け合う。
 意外性をつくのがロバート・パティンソンの主役抜擢だ。パティンソンといえば「トワイライト」シリーズでブレイクし、ギャラではA級リスト俳優の仲間入りをした人気俳優。しかしその人気を追い風にラブロマンスやアクションなどいわゆるハリウッドのドル箱路線には乗らず、クローネンバーグ監督の「コスモポリス」やサフデイ兄弟監督の「グッド・タイム」など作品のクオリティー重視のキャリアを積み上げている。彼の内面に潜む何か、にドゥニ監督は惹かれたのだろう。本作はフランスの科学研究所に在籍する宇宙物理学者オレリアン・バローの協力を得ている。共演は「サスペリア」(18年)のミア・ゴス、米ラッパー、アンドレ3000ら。
 モンテ(パティンソン)が幼い娘ウィロウをあやしている。ごはんを食べたり、お風呂に入ったりとどこにでも見られる父娘のやり取りだ。周りの様子から宇宙船の中のようだ。ウィロウはまだ「ダ、ダ、ダ」と片言にも満たない音を発するだけだがモンテはそれが可愛くてならない。
 宇宙船には当初、男女9人が生活していた。科学者のディブス(ビノシュ)以外は全員、死刑囚か終身刑の囚人だった。宇宙に新たなエネルギー源を探索するためというのが表向きのミッションで地球帰還後は無罪放免になるという約束の下で彼らは訓練を受けた。しかし、真実は違っていた。ディブスはすべてを知っていたが、科学者の好奇心は恐怖心に勝ったのだった。宇宙のロマンと特殊な環境の中での人間の心理的重圧が交差する。1時間50分。R。(明)

■上映館■
AMC Lincoln Square 13
1998 Broadway
Cinepolis Chelsea
260 W. 23rd St.
Angelika Film Center
18 W.Houston St.

絵の中の女神たち 鶴田一郎NY初個展

大西ギャラリーで23日から

 1987年から10年間ノエビア化粧品の広告に抜擢され、CMアートの先駆者として人気を博した鶴田一郎の米国初となる個展「美人画」が23日(火)から5月11日(土)まで、大西ギャラリー(西26丁目521番地)で開催される。
 鶴田は多摩美術大学グラフィックデザイン科を卒業。プロとして描き始めた当初は西洋文化に影響を受け写実的な作品を描いていたが、自分が「日本人である」という意識が芽生え、次第に淋派や弥勒菩薩をはじめとする仏教美術、浮世絵に見られる「美人絵」や「女絵」など日本独自の美意識へと傾倒した。「私は私自身のミューズ(女神)を描きたいと思っている」と言うように、それは彼の永遠のテーマであり、作品の中の女性たちは多くの人々を魅了し続けている。
 入場無料。開廊時間は火〜土曜の午前11時から午後6時まで。オープニングレセプションは25日(木)午後6時から8時まで。問い合わせは電話212・695・8035、またはメールinfo@onishigallery.comまで。詳細はウェブサイトwww.onishigallery.comを参照。

Ichiro Tsuruta (b. 1954); Beautiful Red, 2019; acrylic on canvas; h. 35 3/4 x w. 28 5/8 in. (91 x 73 cm)

春夏 秋冬 朝掘り竹の子

久保修ワールド
FEEL JAPAN NOW

 僕は、待ちわびる旬の食材の中で、特に強い思いがあるのが筍だ。
 まさに、これからが食べ頃。
 良い筍の選び方は、全体がずんぐりしていて、皮に張りとつやがあり、持って重いものが新鮮だと聞いたが、やはり掘りたてが一番。
 ということで、知人の竹林で掘らせてもらった。
 傾斜があったりして、なかなか思ったところに鍬が入らない。
 難しい。時間をかけて、何度も何度も鍬を入れる。やっと数本掘ることが出来た。
 鮮度が命なので、掘りたてを米ぬかであく抜きをして、筍ご飯や木の芽和え、煮物にしていただいた。
 あーこの味この味。春を満喫した瞬間だった。
(くぼ・しゅう、東京都在住、切り絵画家)