昆布の力と旨味を学ぶ  ブーレー氏と奥井海生堂コラボ

Organic Duckling, Milk-fed Great Barrington Pork Chanterelles, Steamed Burdock in Vintage Aged 1989 Kombu

三菱ケミカル・クリンスイの水もひと役

 ニューヨーク屈指のセレブシェフ、デビッド・ブーレー氏が主催する料理教室で7日に2回、「昆布の力と水の重要性」を紹介するイベントがマンハッタンのブーレイテストキッチンで開催された。福井県敦賀市にある1871(明治4)年創業の高級昆布老舗「奥井海生堂」4代目主人の奥井隆社長と浄水器メーカーの三菱ケミカル・クリンスイ(本社:東京都品川区)の木下博之社長らが出席した。
 昼の部は完売で30人が参加、奥井海生堂の利尻昆布、山出し昆布、日高昆布、羅臼昆布のほか、31年蔵囲熟成したビンテージの利尻昆布などの高級昆布の出汁を飲み比べた。また、三菱ケミカル・クリンスイの和食に適した軟水に浄水できる浄軟水器「カリナリーウォーターシステム」と通常の水道水での出汁との違いを比較し、出汁の旨味を引き出すクリンスイのまろやかな口当たりを体験した。また、昆布の旨味をふんだんに使ったマルチコースメニューがワインのペアリングとともに提供された。
 同イベントはブーレー氏が今春、視察で訪れた日本で伝統的な昆布商を営む奥井社長に出会い、昆布と出汁についての知識を同氏の料理教室で共有するために奥井社長を招待して実現した。一般社団法人「和食文化国民会議」理事でもある奥井社長は、「参加した人たちには日本のものに対する知識と貪欲な姿勢を持つ人が多くて驚いた。海に囲まれ干物の技術が発達した日本で作られた昆布は健康的でカロリーゼロの食べ物、健康志向のアメリカの人たちが熱心に迎えてくれた。和食や出汁の旨味を伝えるため、今後もセミナーなどのイベントを行っていきたい」と話した。また、三菱ケミカル・クリンスイの木下社長は「美味しい水に関心を持っている人たちがいて、彼らの健康と栄養を支えながら日々の家庭料理に取り入れる、そんなライフスタイルに私たちは協力ができうると手応えを感じた」と述べた。(高田由起子、写真も)

その3:NM名物 最強のグリーンチリ

魅惑のアメリカ旧国道「ルート66」をフォーカス

 ルート66ファンの皆さん、こんにちは! 6月のNYは1年を通じて最も快適な季節のひとつと記憶していますが、こちら東京は5月中旬より真夏日和がチラホラ、6月に入っても衰えることを知らず、今日も最高33度の「猛暑」。地方では梅雨入り宣言をしたところもあるようですが、関東は梅雨の気配はまだゼロです。ことさら雨の嫌いな筆者にとっては実は暑くても嬉しいことで、このまま「今年は梅雨がなかったね」という会話をお盆頃にしたいと期待しています。 
 さて、魅惑の旧街道を行くシリーズのシーズン③第3話、掘り下げトピックは「グリーンチリ」です。
 グリーンチリと聞くと皆さんは何を想像されますか? グリーン色のチリ、当たり前ですよね。多分チリと聞けば辛いのかな、とか「チリ・コン・カルネ」を思い浮かべる方も多いと思います。ああ、そうそう日本では(理由は知りませんが)「チリコンカン」と言うそうです。同じものを意味していることに気付くまで結構時間かかりました。その「チリコンカン」は、19世紀半ばにテキサス州にてレシピができたと言われているそうです。全米規模で普及としたのは1930年代の世界恐慌、肉類が配給制となった第2次大戦がきっかけらしいのでルート66の歴史とピタリと当てはまるわけですね。チリ、いわゆる唐辛子はメキシコではハラペーニョやハバネロと呼ばれ国の代表料理によく使われますが、アメリカの場合、メキシコ領であった中南西部でよくみられニューメキシコ州はそのなかでもグリーンチリのメッカとなっています。
 今から約10年ほど前、筆者は仕事でニューメキシコ州サンタフェに暮らすことになりました。ロスアンゼルスからの引越しだったため、両都市の間を引越し本番を含め何度か行き来したのですが、ある時ニューメキシコ州アルバカーキでレンタカーを返却して空港行きの送迎シャトルバスに乗っていたときのこと。ちょうど夜遅めの時間帯だったからか、シャトルバスは運転手さんと筆者のみ、という貸し切り状態でした。運転手さんが「兄ちゃん、旅行か?」と聞くので、「いや、今度引越したんだサンタフェに、仕事で。今は荷物取りにロスへ戻って取ってくるところ」と答えると、「そうか、仕事ならまたいつかここを出て行くんだろうなあ」と言うので少々気を遣って「そうだけど、ここが気に入ればずっといるかも」と応えました。「まあいいさ、一つだけ良いことを教えてやろう」と真剣な目をしながら満面の笑顔で言うので「何?」と聞き返すと彼は雄弁に語り始めました。 
「サンタフェを、いやニューメキシコ州を出て行くときが来たら一番MISSするものはグリーンチリだ。これは間違いない。だから今からそのことを考えて、できるだけ食べておけよ。好きなレストランも見つけな。ここのグリーンチリはここでしか食べられない。ほかで食べても同じ味は絶対にしないんだ。グリーンチリはニューメキシコの宝なのさ!」
 随分大袈裟なものだ、と思い話半分に聞いてました。でもその後サンフランシスコに移住し、東京に居を構える今となってハッキリ言えるのは、彼は100%正しかったということです。ニューメキシコ州で食べるグリーンチリと同じ味のする食材・料理は本当に経験できないんです。それらしいものを買ってトライしたことも数回では済まないですが、未だ出会えていません。だから筆者はアメリカへ、ニューメキシコ州へ「帰省」するたびに必ずグリーンチリを食べます。これでもか! と言わんばかり朝昼夕と3食、グリーンチリを「食べ貯め」します。
 何となく本題が後回しになってしまいましたが、ルート66廃線時にはサンタフェはルートに入っていませんが、創設されたばかりのルート66は、ニューメキシコ州部分では当初の路線はモリアーティを通過せず、サンタローザからラスベガス(ニューメキシコ州)に向かって北上し、そこからサンタフェに向かって西に進んだ別のルートが存在しました。いわゆるサンタフェ・ループと呼ばれるものです。その理由はオザーク・トレイルという大きな街道が、ラスベガスに近いロメロビルを通るサンタフェ・トレイルの最西端にあり、そこから東に向かって行くとルート66にあたるという事実があったということ。さらにはロメオビル西部からのサンタフェトレイルは「国立オールドトレイル」の一部でもあり、これは遥かロサンゼルスまでつながっていたことと密接に関係しました。ではなぜ、その後サンタフェ・ループはなくなったのか? ということですが、これはいかにもアメリカらしい政治家の思惑によるものでした。
 1927年、当時のニューメキシコ州知事であったハネットは再選に失敗。彼はこの原因をサンタフェの政治家たちのせいと考え、仕返しをたくらんだのです。地形的なことを考えるとサンタローザからまっすぐアルバカーキを結ぶ方が距離的にも時間的にも短くすみますので、早かれ遅かれこのような配線に代わるのは時間の問題だったかもしれませんが、ハネットは自身の在職中に突貫工事を指示し、見事ルート66をサンタフェから迂回させ、ルート66を旅する人々からの恩恵を受けられなくする手段で対抗したのです。1937年、街道は完成し、その配線が正式なルート66となったのです。
今日、サンタフェはその独特な文化と歴史でニューメキシコ州を代表する観光都市となっています。皆さんもぜひサンタフェを訪れて、そのグリーンチリに触れてみてください。来月またお会いしましょう!(後藤敏之/ルート66協会ジャパン・代表、写真も)

人生の最終章を考える

ラプレツィオーサ伸子・著
青春出版社・刊

 アメリカで20年以上ホスピスケアをしてきた現役ナースの奮闘記。ホスピスは進行したがんなどの病気により余命6か月以内と診断され、かつ積極的な根治治療や延命治療を行わない人に、その人の寿命が安らかに尽きるまで身体的、精神的、社会的などの面からサポートする施設だが、著者によると現在アメリカでは基本的に在宅でのホスピスケアを行うのが一般的なのだそう。
 人生の最後をどこで迎えたいか、病状や生活環境、年齢、信仰などにより人それぞれ違うと思うが、その日はいつか必ず誰にでも訪れる。ごく普通の人たちがどのようにして「その日」を迎えたのか、どこにでもありそうでどこにもない、そんな13通りの「いのちの物語」がナースとしての優しい視線で綴られている。
 本書の最初に登場するのは、先天性疾患を抱えて生まれてきた新生児のエピソード。その女の子は生後24時間もたっておらず、まだ名前もついていない赤ちゃんで、心臓の発育が極端に未発達な先天性疾患のほかに、いつくもの合併症を持って生まれてきた。ホスピスを利用する人たちは、病魔におかされた末期患者や高齢者だけではないのだ。その赤ちゃんは家族や多くの人から愛情を注がれ、その人たちにたくさんの思い出を残して旅立っていく。16日と2時間10分のいのちだった。
 去り行く人たちが教えてくれる生きることの意味、そして人は何のために生まれて来るのか、その答えが、ナースの見解としてこの章に明確に書かれている。
 自分が人生の最終章にいることを自覚している人(患者)と短い時間のなかでふれあう著者が、「ホスピスナースをしていて何よりも気になるのは、その人が幸せか、そうでないか」なのだという。そんな彼女が仕事をするうえで感じたことは、「看取りの過程で第三者のプロの助けを入れることで、想像したよりも怖くない、思ったほど悪くない、ときには『人生で最も充実した素晴らしい経験だった』とまで思えるような時間にすることができる」ということ。また、「ホスピスは『死ぬ場所』ではなく、『最後まで自分らしく生きる事をサポートするケア』であると理解する人が増え、そんな場所で仕事をしたいと思うナースや医師が増えていったら、なんて素晴らしいのだろうと思うのです」と綴っている。
 著者のラプレツィオーサ伸子さんは米国ホスピス緩和ケア認定看護師、小児ホスピス緩和ケア認定看護師で、アメリカで開発されたエンド・オブ・ライフ・ケアの看護師教育のプログラム「エルネック(ELNEC)」の認定指導員でもある。このプログラムは日本でも「エルネックJ」として普及し始めている。現在は日本の大学や在宅医学会、在宅ケア学会においてホスピスケアなどについての講演、在宅ホスピスの専門家として活動するほか、2014年から「ホスピスナースは今日も行く」というブログ(https://gnaks.blog.fc2.com/)を執筆している。アメリカでのホスピスの現状を知ることができる本。(高田由起子)

日系強制収容の苦悩をダンスで

舞踊家・振付師
池田 薫さん

 2015年に作ったダンスカンバニー「マスタッシュキャット・ダンス」が第2次世界大戦下の日系アメリカ人強制収容所をテーマにしたダンス作品「フリーダム・イズント・フリー」を上演する。第2次世界大戦中、日系人が強制収容された苦悩から現在の米国、そして世界中で起こっている人種差別について考える作品。ただ「こんなことがあったでしょ、だから謝ってというジャジメントなピースではなくて、歴史をダンスとして構築していく」というスタンスで制作した。自身と同姓同名のイケダ・カオルという人物が、実際にマンザナの日系人強制収容所にいたということを知り、現地を訪れ、収容所を体験した日系人たちの話を聞き、自分がその場所にいたら、どういう気持ちになるのかということを、ダンサーたちに口をすっぱくして言っているという。
 一昨年、ラガーディア・コミュニティー・カレッジでこの作品を上演した時、入国が拒否されたイスラム系7か国出身の学生がこの作品を見て、自分たちより70年も先に人種差別されていた日系人の存在を初めて知ったという言葉を聞き、この作品を作って良かったと思った。そこにこの作品の意義があると。知らない人に知ってもらうことで、そこに歩み寄りが生まれて住みやすい世の中になればと。実はこの作品、昨年5月に上演予定だった。上演の直前、ダンス稽古中に左足アキレス腱を切って手術、絶対安静を医師に宣告された。怪我の翌日、出演予定のダンサーらが集まった。「1年間待つよ」と言ってくれた。劇場をキャンセルし、耐えて1年。そして今回の上演を迎えた。
 大阪府堺市出身。1999年に日本大学芸術学部西洋舞踊コースを卒業、2003年にニューヨーク大学ティッシュ・スクール・オブ・ジ・アーツに入学、05年に同大で芸術表現学修士号を取得。15年にカンパニーを設立して本格的に活動を始めた。「高校時代は国連職員になって世界平和に貢献したいと思っていたんですが全然違う方向に来てしまって。でも、自分で選んだ道ですし。ダンスを通じてそういうこともできるかなと、昔の夢と今の夢がコンバインするんじゃないかって思ってます」と話す。 (三浦良一記者、写真も)
▽公演は14日(金)は午後8時、15日(土)は午後7時開演。ダウンタウン・アート(東4丁目70番地)で入場料は一般15ドル、学生・シニアは5ドル(当日の購入も可能、現金のみ)。問い合わせはEメールinfo@moustachecatdance.orgまで。

自立した女性描きたかった メトロポリタン美術館「あさきゆめみし」展示

源氏物語展
漫画家の大和さん講演

「源氏物語」展を開催中のメトロポリタン美術館(5番街1000番地)は8日、漫画『あさきゆめみし 源氏物語』の作者である漫画家の大和和紀(やまと・わき)さんと同展共同監修者のメリッサ・マコーミック・ハーバード大学教授とのトークイベントを開催した。
 漫画について大和さんはは「印刷されることを目的に描かれるものなので、美術館での展示、しかもメトロポリタン美術館と聞いて最初は、ウソー、マジ?ってびっくりしましたが、こうして展示されているのを見て、本当に感動して光栄に思います。漫画は、一枚の絵の中に、顔、表情、ファッション、背景が同時に描かれていて、一瞬にして分かってもらうことができ、1000年の昔に書かれ、話も複雑なこの長編を描くには漫画の方が読みやすいと思いました」と話した。作品『あさきゆめみし』については、「15年かかった作品で、はじめは恋愛ものでスタートしたが、3年目くらいに考えついたのは、紫式部が描きたかったのは、女が男によって不幸になるのではなく、人生も男に引きずられて生きていくのではない、女性の自立がテーマなんじゃないかなと。だから最後は、男と女の違い、気持ちのすれ違いを描くことで、二人の男性に愛されて本当に弱かった浮舟が、一人の人間として自立していく姿を描いて完結としたいと思った」と述べた。
 時代が変わり、漫画の世界も様変わりしているなかで、仕事の日常については「パソコンは使わず、スクリーントーンも手削り。毎月40ページの作品を、自分1人でネーム(漫画のふきだし/せりふ)を考えるのに10日間、スタッフと作画に8日間、ほかは資料を見たり研究にあてます。ホテルで一週間とか缶詰になって仕事をしてると、締め切りが開けて外に出たら季節が変わっていた、みたいなこともあり、人には会わない、誰とも口をきかない、えらい孤独な仕事何です。光源氏のような人は現実にはいないので、作品には役にはたちませんが、原作を自分というフィルターを通して出していくということです。ドロドロした世界をドライに乾いて描いたことで読みやすかったかもしれません」と話した。
 メトロポリタン美術館が漫画を展示物として紹介するのは同館始まって以来初めて。展示は16日まで。

ペットたちの冒険とチャレンジ The Secret Life of Pets 2

 2016作品に続くシリーズ第2弾。飼い主がいない時にペットたちは飼い主が予想外のことをしながら彼らなりの生活をエンジョイ、という基本構図。今回も主人公マックス(ジャック・ラッセル・テリア)らが未知の世界に挑戦するアニメ・アドベンチャー。
 セクハラ・スキャンダルで降板させられたルイ・C・Kに代わってパットン・オズワルトがマックスの声を担当するが他は前作からの続投。新たにウェルシュ・シープドッグのルースターの声でハリソン・フォードが加わる。監督は前作と同じクリス・ルノー。
 マックスと相棒デュークはマンハッタンライフを謳歌。飼い主のケイティは相変わらずやさしいし、他のペット仲間たちともこれといったトラブルはない。しかし、最近小さい子供がいる家庭のペットから子供の行動は予想不可能で対応が大変という話をよく聞く。と、思ったらあっという間にケイティが結婚し、元気な男の子リアムが家族の仲間入りをした。
 最初はいろいろ振り回されマックスもデュークも辟易したが2歳近くになるとリアムもすっかりマックスとデュークが大好きになった。ケイティ一家は叔父がいる田舎の牧場へとバケーションに出かける。そこでマックスはルースターと出逢い、怖がりの自分を克服する一生忘れられない体験をする。
 マックスらとは別に、おっとりデイジー(シーズー)とスノーボール(ウサギ)コンビのサーカス・タイガー救出作戦に加え、マックスのガールフレンドで犬のギジェット(ポメラニアン)が猫に化けて猫屋敷に潜入という3つのプロット構成。個々にはおもしろいストーリーラインだが前作のようにペット全員が連携して一つの目的を果たす物語に比べ多少インパクトに欠ける。
 ずば抜けて笑えるのは白ウサギのスノーボール(声はケビン・ハート)。本来、モフモフで抱きしめたくなるのがうさちゃんなのだが、スノーボールは外見と中身が反比例。過去に相当、悲惨な目にあったため、常に斜に構えているところがあり、スーパーヒーローの衣装をまとうとさらにダミ声、早口のギャング風になり爆笑シーンの連続。かなり大人向けキャラだ。1時間半。PG。(明)

■上映館■
Regal E-Walk Stadium 13 & RPX
247 W. 42nd St.
AMC Empire 25
234 West 42nd St.
AMC Loews 34th Street 14
312 W. 34th St.

編集後記 6月8日号

第49回ニューヨーク日系人会(JAA)奨学金授与式が5月30日、ハーバードクラブで開催されました。大学生13人と大学院生4人に総額10万ドルの返却無用の奨学金が贈られました。40年前、同じく自身も奨学金を受けたというJAAのスーザン大沼会長が挨拶で「私は当時もらった奨学金は300ドルだった。それで電動タイプライターを買って勉強した。当時と比べて額が大きくなった。どうか皆さんも勉学に役立てて」とエールを贈っていました。ニューヨーク総領事の山野内勘二大使が祝辞を述べたあと、アジア系として初めてニューヨーク州裁判所判事になったデニー・チンさんがプリンストン大カラーのネクタイで記念講演しました。奨学金受給者を代表して我妻美杏さんと安間裕璃恵さんの二人がスピーチしました。安間さんは日本で両親の離婚を境に高校時代に引き蘢りになってしまい、母親が娘のことを思って母娘で渡米、クイーンズカレッジに合格して大学で日本人学生会を組織するなど積極的に社会ともかかわり、将来は心理カウセラーとして社会に貢献したいと述べると会場から大きな拍手がわき、なりやみませんでした。アメリカで大学に行くのはとてもお金がかかります。親も子供も借金だるまです。帰国が前提で滞在している日本人駐在員家庭のみならず、最近は、永住者家族のなかでも、子供を日本の大学へ送る傾向が高まっているようです。日本の私立大学が値段が高いといってもアメリカのアイビーリーグの4分の1か5分の1です。国立大学なら年間の学費も60万円以下でしょうか。日本の大学も少子化で、優秀な生徒の取り合いです。海外での学校説明会も盛んです。海外の日本人子弟の入学者が欲しい日本の大学と、アメリカよりも学費が安くて質の高い日本の大学に入れたい在米邦人家庭との双方のニーズが合致した稀なケースです。いい教育を子供に受けさせた親にとっては、新たな選択肢が増えているといってもいいかもしれません。奨学金制度など若者を応援する日系団体、日系企業の社会貢献活動を報道することで少しでも側面援助ができれば幸いです。(「週刊NY生活」発行人兼CEO三浦良一)

【今週の紙面の主なニュース】(2019年6月8日号)

今週のデジタル版は表紙をクリック↓

(1)練習船こじま来航  1面
(2)セールGP第3戦  3面
(3)ハポン・ハセクラ  4面
(4)地下鉄OMNY    5面
(5)駐在員に米国文化  6面
(6)あさきゆめみし  14面
(7)平田圭サロン   14面
(8))東京心象風景    16面
(9)ウーマン田村明子 17面
(10)映画 ゴジラ   26面

海上保安庁練習船こじまNY寄港

海の男笑顔に

 海上保安庁の練習船こじま(戸ノ崎博宣船長、2950トン、乗員87名)が世界一周航海で5か国を訪問中だが、2日、第2の寄港地ニューヨークに来航した。海上保安大学校をこの春卒業した幹部候補の練習生43人を乗せ8月4日まで101日間の訓練航海を続けている。
 真っ黒に日焼けした練習生たちは、米沿岸警備隊(コーストガード)の幹部ら招待客を艦上で歓迎し、船上では、剣道や茶道、書道や応援団などのデモンストレーションを披露、日米190人余りの招待客は、練習生たちが手作りしたおにぎりのような大きなシャリの握り寿司をほおばって海の男たちの眩しい笑顔のもてなしを受けた。
 練習生の島野凛久さん(22)は「サンフランシスコを出て19日ぶり、久しぶりの陸地でニューヨークの人もご飯もすべていい。華やかでいい街です」と語り、高木将悟さん(24)も「早く明日の休日が待ち遠しい。マンハッタンの方に行ってみたい」と日焼けした顔をほころばせていた。(関連記事5面に)

セールGP第3戦NYで

21日と22日、トップ狙う日本

セールGP(SailGP)第3戦が21日(金)と22日(土)の2日間、ニューヨークで開催される。日本チームは今年2月にオーストラリアで行われた開幕戦で準優勝、5月の第2戦(サンフランシスコ)でも準優勝し、現在、首位のオーストラリアチームと4ポイント差の2位につけている。
セールGPは米オラクル社の創始者で自らもセーラーであるラリー・エリソンと、セーリング界のレジェンド、ラッセル・クーツが2018年に立ち上げたプロフェッショナルのチャンピオンシップ。レース艇は乗員5人、全長50フィート、飛行機の翼のような形状のウイングセールと水中翼を搭載し、最高速度50ノット(時速約100キロ)のスピードで疾走する。今年はイギリス、オーストラリア、アメリカ、フランス、中国、日本の6か国が参加。総合優勝チームには100万ドルの賞金が渡される。
日本セーリングチームは吉田雄悟、笠谷勇希、高橋レオ、森嶋ティモシーら。
詳細は公式サイトhttps://sailgp.com/参照。

ハポン・ハセクラ使節団

NYの少年少女合唱団が帰国

 ハポン・ハセクラ後援会NY支部(NPO法人:9・11風の環メモリアルコンサート内)は、「風の環少年少女合唱団」のメンバー18人を3月29日から4月5日まで10日間スペインに派遣した。凱旋式が2日、ミッドタウンのリプリー・グリード・スタジオで開催された。派遣に併せた作文コンテストも行われ、表彰式が当日行われた。最優秀賞は笠間リヅさん(渡米1年8歳)、優秀賞に康はなさん(米国生まれ13歳)、池谷エヴァリーナさん(米国生まれ8歳)、佳作に進さららさん(米国生まれ9歳)、尾関友里さん(米国生まれ9歳)が選ばれた。 同後援会の白田正樹会長は「今後もこの国際交流を続けていきたい」と挨拶し、参加児童たちから感謝の花束を受けた。