広島・長崎平和式典来場者たちに聞く

■もっと知ってほしい

「熱線で焼き付けられた欄干の影や、住友銀行の石段に焼きつかれた人の影などの展示写真をなんども見た。自分自身は岡山で大空襲に遭って、一歩間違えてたら自分も死んでいたのではと思うと恐ろしい。日本人だけでなく、外国人の原爆に対する意見も聞けるので良い機会になったと思う。原爆のことをもっとたくさんのアメリカ人、そして現地の日本人に知ってほしい」(荒木道郎さん、80歳)

■すべての兵器廃絶を

「核兵器を使った戦いはとても卑怯なことで、存在するべきでは無いと思う。核兵器だけでなく、危険を及ぼすすべての兵器をなくすべきだ。すべての国々や宗教のリーダーが集まり兵器の無い世界を祝い、平和の象徴として一斉に風船を空に飛ばす、そんな夢を時々見る。自身の作曲活動でこれからも平和を呼びかけたい」(グレルモ・シルベイラさん、音楽家、60歳)

■折り紙で安らぎを

「式典を訪れる皆さんに少しでも安らぎを与えられるように折り紙の鶴を折った。原爆のことは忘れてはならない、忘れてほしくない。」(小林利子さん)

 

■花壇に溶けたビール瓶

「母が長崎で原爆に遭い、その2年後に生まれた。3年生ぐらいの時に長崎市立西坂小学校の校庭の花壇を掘っていたら、チョコのように溶けたビール瓶が何本も出てきたのを覚えている。展示の中には焼き場に立つ少年の写真があるが、彼のもやしのように細い体を見ると自分もこのように育ったことを思い出す」(竹下宏さん、72歳)

■悲劇を次世代に伝える

「9・11のテロで夫を無くしているので、広島や長崎で被害を受けた方々に同情する。このような悲劇があったことを思い出すだけではなく、次の世代へと伝えていくことが大切だ。また、私たちは自我のことを考えるのではなく、他人のことを考えられるようにならなければいけない」(デボラ・ガルシアさん)

■被爆者の証言衝撃的

「被爆者の方々のお話はかなり衝撃的だが、影響力があることを実感した。原爆のことを詳しく知る人は少ない思うので、このような機会を通してたくさんの人に知ってもらえればいいと思う」(マルシア・シルベストリさん)

マドラスチェックとホワイトバックス

イケメン男子 服飾Q&A ケン 青木 71

 暑い日が続いております。週末などオフタイム、この季節、皆様はどのような服装でお過ごしでしょうか。やはりTシャツ、ポロシャツといった軽装が多くなると思います。それはそれで全く問題ないのですが、お昼や夕方にふと「ちょっと一杯」と思われた時、また「洒落たカフェなどで軽めの食事でも」といったシチュエーションの際など、寛ぎつつも季節感があり、ほんの少し洒落た装いをオススメしたいのです。そうした装いの方が必ず思い出に残る「より良いひと時」となるはず、と思うからです。
昨今、機能性を謳った人工繊維の衣料品が増えておりますね。私個人の考えではありますが、人間の身体にはやはり天然、自然の繊維が相性が良いのではないか、と(笑)。
そこで、今回は真夏の今、おススメの装いについて、少し主観的なお話をいたしたく。その一つがマドラス・チェックを用いたシャツやジャケット、スラックス等々なんです。
御存知かと思いますが、「マドラス(Madras)」はインドの都市名で、現在正式名はチェンナイに変わっております。「綿の王国」インド、正式にはIndia Madrasと呼ばれる、植物の天然染料を用い、あえてあまり高級でないと言いますか、むしろ普段着にはちょうど良い品質の綿素材で織られた、主にチェック柄の生地のことを言うのですね。加えてアメリカ生まれの世界的な衣料、ジーンズはインディゴによって染められておりますね。インディゴだからこちらのルーツもまたインド、今でこそ化学染料のインディゴが圧倒的ではありますが、元々天然の深いブルーの染料、植物の藍が元となっており(日本の藍とは品種が違うのですが)、故郷を同じくするマドラスと相性が良くないわけがありません(笑)。
 それで、(1)マドラス・チェックのシャツにジーンズを合わせたり、また(2)半袖のポロ・シャツやボタンダウン・シャツにマドラス・チェックのジャケットを羽織られてみたり、などと。(2)の場合も下に合わせるのはジーンズでいいのですが、同じ綿の仲間ということで、ベージュやホワイトなどの綿のスラックスを合わせてみることにも是非トライされていただきたく。その際、できれば綿のスラックスにクリース、即ち折り目をしっかりと入れていただくと真夏の大人のスッキリ・カジュアルウエアの組み合わせが完成!? いやいや、まだでした(笑)。もう一つ、シメとして 「ホワイト・バックス(White Bucks)」と呼ばれる、白のスウェードでできた紐靴を合わせて完成です!! 紐靴ですが、底材は、ブリックソールなどと呼ばれており、合成ゴムでできています。ホワイトバックス、紳士の夏場の定番靴として、利用範囲はかなり広くなっています。
さて、これにて真夏の大人の、爽やかな「クラシック・サマー・カジュアルドレス」の組み合わせの完成です。マドラスの生地は、1950年代に大流行した当時はジーンズと同様、染料が落ちやすく他の衣料品に移染したりしましたが、今日では改良されて洗濯など取扱いが随分とラクになりました。
さて、「クラシック(classic)」とは古代ローマ時代のラテン語にまで語源を遡る言葉なのですが、その本当の意味は実は「古い、古くさい」ではありません。「最高の」とか「飽きがこない=定番の」というのが本当の意味なのです。ですから、例えばクラシック音楽とは、「人類がクリエートした最高の音楽」というのが正しい意味。紳士服においては「いいね!」と言われているのと同じなんですよ。ですから目指そう、クラシック!!! それではまた次回。
けん・あおき/日系アパレルメーカーの米国代表を経て、トム・ジェームス・カンパニーでカスタムテーラーのかたわら、紳士服に関するコラムを執筆。1959年生まれ

シドニーの優雅な一日

ジャズピアニスト浅井岳史のオーストラリア旅日記(5)

 もう時差ボケは無いと言える。生きた心地がする(笑)。今日は終日シドニー観光である。あるオーストラリアの作曲家とコーヒーを飲む話をいただいていたが、それは次の日を提案して今日は夫婦で遊ぶ事にした。三時間に及ぶフリーウォーキングツアーに参加すると言うので、腹ごしらえにマックに入ってビッグな朝食をとる事にした。最近のマックの傾向なのか、それともシドニーの文化なのか、マックの中にMacCafeなる別コーナーが設置してあり、ここで一杯一杯手でコーヒーを煎れてくれる。ガイドブックによるとシドニーでは独自に発達したコーヒー文化が有名だそうだ。
 たっぷり朝食をとって、集合場所まで歩く。ホテルからオペラハウスがあるシドニーハーバーまで、ジョージストリートという長い通りで結ばれている。マンハッタンで言うブロードウェイだ。イングランドの国王ジョージ3世に因んで名付けられたそうだ。映画「The Madness of King George」でも描かれた彼は、ドイツから来たハノーバー王朝の三代目で初めてのイングランド生まれの国王である。彼の治世でアメリカが独立し、植民地を失った彼は気が狂ったとされているが、今の医学でそれは遺伝で受け継いだポーフィリアという病気であったことが分かっている。息子が史上最悪の国王ジョージ4世、その姪っ子がヴィクトリアである。
 なかなか綺麗な街並みは、たくさんの中華料理屋が並ぶ。コーヒー学校もあった。ここに入学すれば、カプチーノに熊の絵を描く方法を教えてくれるのであろう。
 集合場所の市役所前にはすでに50人ほどの人が集まっていた。どうやら本当に無料なようだ。私たちのガイドは若くてぽっちゃりした可愛いオーストラリアの女性で、なんと夏にお世話になったフランス人の友達に瓜二つであった。
彼女の郷土愛は本物で、ちょっとしたトイレ休憩を挟んで三時間、途切れる事なくシドニーの中心街を歩いて歴史的な建物を見学した。ヴィクトリア女王を迎えるために建てたと言うヴィクトリア・ビルは壮大である。そう、シドニーとメルボルンはかなりのライバル意識を持ったオーストラリアの二大都市で、国の首都を決める際に大いにぶつかり合ったそうだ。あまりにも決着がつかないため、両都市の中間地点にキャンベラという新しい街を作ってそこを首都にしたそうだ。
 ツアーはオペラハウスで解散。昨夜夕暮れの中で見た建物は晴天下ではさらに白く、本当に貝殻のように見える。設計はデンマークの建築家、ヨーン・ウツソン、デザインが複雑なこともあるが、建築中に資材の値上がりもあり、なかなか完成せず、「未完成交響曲」と皮肉られながらも、着工から14年後の1973年に完成。ただ、彼はその前に亡くなって息子が竣工を見届けたそうだ。14年なんてパリのノートルダム大聖堂の600年に比べれば一瞬だと思うのだが(笑)。
 あまりにも素晴らしいツアーなので、もちろんチップをはずんだ。ふーん、世の中にタダというものはない(笑)。が、シドニーのプライドと愛を感じてほこっとさせられるツアーであった。最後に、ジャシンダという名前の彼女にフランスに親戚がいないか聞いてみたが、一人もいないという事であった。他人の空似であった。
 そこからは、彼女のオススメ、シドニーハーバーから無数に出ているフェリーで、マンリービーチに行く事にした。彼女曰く「30分で行けてお洒落な街とビーチがある」とのこと。早速フェリーに乗り込む。船はオペラハウスをぐるっと回って沖に出る。景色の綺麗な事。普段白と黒の鍵盤を見ている自分は、空と海の青さと波の白さに、心が洗われる(笑)。波止場に着くとさらに驚いた。なんと水着姿の若者たちがご自慢のボディーを見せびらかして闊歩しているではないか。ここはパラダイスなのだ。もちろん私たちは水着は持っていないし(セーターを着てるんですけど)、そろそろ夕刻なので海に入ることはないが、ビーチに出て束の間の海辺を楽しんだ。それにして、街は若者でごった返してエネルギー満点の素晴らしい場所である。お腹が空いたので、ベトナム料理のファストフード店に入ってボストン時代からの私の好物「火車式牛肉粉(牛肉の入った白いラーメン)」を食べた。こんな綺麗なビーチに中華料理屋が並ぶ、ここは一体何処なんだ(笑)。
 すっかりパラダイスを堪能してフェリーでハーバーに戻った時には、ちょうど夕暮れが訪れるところであった。オペラハウス、シドニーブリッジ、水面、行き交うフェリー、飛び交うカモメ、そしてそこに集う幸せな人々、すべてがオレンジ色の夕日に照らされて、まるで魔法をかけられたように輝いていた。言葉では言い表せない美しさである。シドニー万歳!(続く)
(浅井岳史、ピアニスト&作曲家 /www.takeshiasai.com

オーストラリアの夢見る港

麻生 雍一郎・著

新聞情報社・刊

 本書『港から見るオーストラリア・海から見る日豪関係』は、オーストラリア政府からの出版助成を受けて同国各州の港を中心にした物流の取材と調査を続けてきた、元読売アメリカ社長、麻生雍一郎さんによる調査報告書である。

DAISOがNJに開店、ミツワマーケットプラザに

 日本の百均小売店チェーン、DAISO(米国本社カリフォルニア州)は、春に開店したクイーンズの東海岸1号店に次ぎ3日、ニュージャージー初となる店舗「ダイソー・ミツワ・エッジウォーター店」(バーゲン郡エッジウォーター、リバーロード599番地)を、日系スーパー「ミツワマーケットプレース・プラザ」にオープンした。今回も店舗誘致は総合不動産会社リロ・リダックが担当した。
 DAISOの名前はニュージャージー州民の間にも知られており、SNS投稿と地元紙への折込チラシ程度の宣伝ながら、初日は開店時間前から200人ほどの客が列を作るほど盛況。翌日曜も開店直後から早速多くの客が店を訪れていた。同店は、クイーンズの店舗の約2倍にあたる167坪の売り場面積を誇り、陳列棚が低めに設定してあり、店内を広く見渡せる。下司(げし)修平店長は「買い物をしやすい店づくりに努めた」と語る。バーゲン郡の法律で一部の商品を日曜に販売できないという問題はあるが、ニュージャージーに住む日本人が多く訪れ韓国人社会や中国人社会でも名の通ったミツワマーケットの敷地に出店することのメリットはそれを上回るとのことだ。
 同店には日用品から食品まで、日本のDAISOで販売されている商品と米国で独自に仕入れた商品を合わせて約1万2000点ほどのアイテムが並ぶ。値札シールが付いている商品を除き、基本的に全品1ドル99セントで販売。下司店長のお勧めは、入口近くに設置された和小物コーナー=写真=。ちょっとしたお土産などに利用してほしいとのこと。
DAISOは今秋にはウエストチェスターにも出店を予定しており、その後も新たな郊外店出店の企画が進行中だ。

五番街からラジオでトーク発信

ベニハナ・オブ・トーキョーCEO
さくらラジオ・パーソナリティー
青木 恵子さん

五番街のオリンピックタワーに住んで今年で29年になる。3部屋をぶち抜いた4500平方フィートの自宅で一人暮らし。このビルは、海運王アリストテレス・オナシスと結婚したジャクリーン・ケネディが「夫の葬儀が行われたセントバトリック寺院を見下ろして暮らしたい」と言ってオナシスに建てさせたものだ。

女性像のリアル描く 塚本監督に功労賞(カット・アバブ)

カットアバブ賞を受賞した塚本監督(Photo: George Hirose)

日本映画NYで人気
ジャパンカッツ閉幕

 ジャパン・ソサエティー(JS)で7月19日から始まった夏恒例の日本映画祭・第13回「ジャパン・カッツ」が7月28日閉幕した。映画祭の最後を飾ったのは箱田優子の監督デビュー作品「ブルーアワーにぶっ飛ばす」。箱田監督と主演女優の夏帆(かほ)、シム・ウンギョンが駆けつけ、上映前にステージに上がった箱田監督は「クロージングに選んでいただいて光栄。でも、今回の26本の中できっと一番面白いです!」と太鼓判を押し、会場からの大きな拍手を浴びた。

「世界を救う」がキーワード Fast & Furious Presents: Hobbs & Shaw

 2001年に始まった「Fast & Furious」(ワイルド・スピード)シリーズとしては9作目だが、正確に言えば本作はシリーズの最初のスピンオフに位置付けられる。シリーズ途中から登場しているデッカード・ショウ(ジェイソン・ステイサモス)とルーク・ホブス(ドウェイン・ジョンソン)がコンビを組むスーパーアクション。独立した物語なので今までシリーズを見たことがなく、ストーリーの流れを知らない人も全く問題なし。この二人を激突させることで逆に観客の層ははもっと広がる可能性がある。
 お馴染みのカーチェイス、銃撃戦のスピード、アクション、ワイルドに加え、なぜかファミリーの絆という二人のイメージにはそぐわないテーマを正面からぶつけ、結果的にまとまりの良い物語が出来上がる。共演はイドリス・エルバ、バネッサ・カービー、ヘレン・ミレンら。監督は「ジョン・ウィック」のデビッド・リーチ。
 筋肉もりもりで荒っぽい元米外交保安部捜査官ホブスはロサンゼルス・ベース。一方、細身でクールな元MI6エージェント、ショウはロンドンで優雅な生活を送っている。その二人にCIAからの仕事が舞い込む。
 MI6の作戦チームは新型の生物兵器をテロリストから奪還したが、現場には隊員の死体が転がり、MI6エージェント、ハッティ(カービー)の姿と兵器のかなめとなるウイルスが消えていた。
 ホブスとショウは犬猿の仲。だが、「世界を救う」となれば話は別だ。しかもハッティがショウの妹で事件のうらには改造人間ブリクストン(エルバ)が動いていることが分かる。 
 ハッティはウイルスを守るためやむを得ず自分の身体にウイルスを注射し現場から持ち去っていた。ホブスとショウはブリクストンの攻撃がエスカレートしていく中で、ハッティの身体から特殊機器を使い一定の時間内にウイルスを取り出さねばならない。
 サモア出身のホブス(ジョンソンも実際にサモアの血を引くといわれる)が故郷を舞台に大型ヘリ対車のアクロバット・アクションを含むファミリー・リユニオン大暴れシーンを繰り広げる。ライアン・レイノルズやケビン・ハートらがカメオ出演で爆笑を誘う。2時間15分。PG-13。(明)https://www.hobbsandshaw.com/videos/

■上映館■
Regal E-Walk Stadium 13 & RPX
247 W. 42nd St.
AMC Empire 25
234 West 42nd St.
AMC Loews 34th Street 14
312 W. 34th St.

津軽三味線の史佳、酒蔵と茶菴で生演奏イベント

 津軽三味線奏者の史佳(ふみよし)を招いた生演奏イベントが、今月7日から酒蔵イーストビレッジ(東9丁目231番地、電話212・979・9678)で開催されていいる。9日(金)、14日(水)、16日(金)、21日(水)にも行われ、ライブ中はアサヒ生ビールを4ドル、日本酒田酒を5ドルで提供される。
 また、10月にカーネギーホールで行う単独公演のプレビューとして23日(金)午後7時から、茶菴(東9丁目230番地、電話212・228・8030)3階で特別コンサートを開催する。入場料は15ドル(シャンパン1杯付き)。
 史佳は1974年新潟生まれ。9歳から津軽三味線の師匠で母でもある高橋竹育より三味線を習い始める。音の響きを大切にする「弾き三味線」奏法を得意とし、古典をベースとしながらも伝統芸能の枠を超えた新しい音楽を模索する。現在はニューヨークを拠点に国内外で活動中。
 詳細はhttps://squareup.com/store/chaanclasses/item/japanese-traditional-music-performance-shamisenを参照。

不死身と信じていたブロードウェイの巨匠

ブロードウェイについて語るありし日のプリンス氏

惜別追悼寄稿
吉井久美子

 ハロルド・プリンス(以下ハルと記載)は、正真正銘ブロードウェイの「レジェンド」であった。1950年代からプロデューサー、演出家として大活躍。今年7月31日に亡くなるまで現役だった。享年91歳。

 「ウエスト・サイド・ストーリー」のオリジナルプロデューサーであり、「オペラ座の怪人」の演出家。その他、手掛けた名作は、「屋根の上のバイオリン弾き」、「エビータ」、「キャバレー」、「シー・ラブス・ミー」、「くたばれヤンキース」と数え切れない。同じく巨匠スティーヴン・ソンドハイム(「ウエスト・サイド・ストーリー」の作詞家)とのコラボレーション作品には、「カンパニー」、「フォーリーズ」、「スウィニートッド」、「太平洋序曲」と多々ある。そしてトニー賞を21回も受賞している。
 私がハルに最初に会ったのは、2004年、ブロードウェイで「太平洋序曲」のリバイバルをプロデュースした時だった。宮本亜門のブロードウェイデビュー作となったこのミュージカルは、元々は1976年にハルが演出、プロデュース。私のリバイバル版を観に来てくれて、その劇場での出会いだった。私が挨拶をしようとすると、席から立ち上がって「素晴らしかった」と言ってくれたのを覚えている。私は緊張していてまともな返事さえできなかった。私のような駆け出しの小物プロデューサーのために立ち上がってくれたことにも感激した。後でその時のことを話すと、「あの作品をプロデュースするのは大変だとわかっていたし、Kumikoのためなら、もちろんいつでも立ち上がるよ。」と、私を上手におだててくれた。そのお陰で、後に「プリンス・オブ・ブロードウェイ(POB)」のプロデュースをする勇気をもらえたと思っている。
 POBは、ハルのキャリアを讃えた作品で、彼の作品からポピュラーな歌や場面を抜粋し、繋ぎ合わせたミュージカル。Overtureは、何と14作品の名曲からなり全編で約4分。彼の通算70年に及ぶ実績を網羅した作品だった。トライアウト公演が日本で行われ、そのお手伝いをしたことがきっかけで、ハルと再会。いざ、ブロードウェイにトランスファー!という時、ハルからそのプロデュースを任されたのである。難役ではある、でも大変光栄なことで、悩んでいる場合ではない。チャンスは一回しかないのだから。私は実現できる当てもないまま、瞬時にYesと返事をした。この作品は、2017年8月から期間限定でブロードウェイのサミュエル・フリードマン・シアター(マンハッタン・シアター・クラブ)で、ハル自らの演出で上演。無事ブロードウェイ進出を果たした。
 この作品の準備のため、必然的に、ハルは自身の長いブロードウェイキャリアを紐解くことになった。私にとっては歴史的人物の話や、種々エピソードを、その歴史を駆け抜けた本人から聞くという貴重な体験を得た。また、失敗談も含め、経験則を惜しげもなく語ってくれた。

プロデュースのABCを教わる

 まさか、これがハルの最後のブロードウェイ作品になるとは夢にも思っていなかった。POBの準備期間、ハルが私をプロデューサーとして認めてくれたと実感した瞬間があり天にも昇る心地だった。でもその後、プロデューサーからフレンドに。ハルから「my friend」と言ってもらえる日が来るとは想像だにもしていなかった。
思いやりのある人でもあった。母がPOBを観にニューヨークを訪れた際、観劇の翌日、ハルの著書がサイン入りで送られてきた。
 ハロルド・プリンスというレジェンドから直接ブロードウェイミュージカルのノウハウを伝授してもらえる機会を得たことは、感謝の思いしかない。これからも糧にしていきたいと思う。不覚にも、私はハルは不死身だと信じていたのだと思う。彼がブロードウェイからいなくなってしまったことを、まだ受け入れることが出来ないでいる。涙が枯れてしまった。
I miss you, Hal.(よしい・くみこ/ゴージャス・エンターテインメント社長、プロデューサー)

ブルックリンに美容発信地誕生

 ブルックリンのパークスロープを拠点とするJ+Bストアとブルックリン・ビューティー・ファッション・ラボが7月27日と28日、店舗拡張のグランドオープニングイベントを行い、夏空の下、日米の来場客で賑わった。
 海外での販路を求める中小の日系企業の声に応える形で2014年10月にオープンした同店は、企業のテストマーケティングという形で、日本全国の商品に加えて、ブルックリン発の商品も取り扱っている。
 今回のグランドオープニングの目玉は、47J+Bという新企画とブルックリンを拠点とするセレクトショップ、BKLYN Larder の入居。47J+Bでは、地域色あふれる日本全国の「ご当地商品」の展示販売を始め、アメリカでの取り引きはJ+Bストアが初めてという日本企業の商品が所狭しと並ぶ。また、BKLYN Larderは、ブルックリンに根ざして良質な食材や雑貨を提供するセレクトショップ。イベント当日は、店頭で別府の竹細工職人や書道家の実演、シルクスクリーンのワークショップも行われた。(須)

【今週の紙面の主なニュース】(2019年8月3日号)

今週のデジタル版は表紙をクリック↓

(1)ブランコ作家高氏さん(1面)
(2)ケアブリッジ介護講座(3面)
(3)警察官に水ぶっかける(5面)
(4)夜市のグルメが人気(7面)
(5)三原綱木が熱唱(10面)
(6)オフブロードウェー主演女優 Ako(15面)
(7)貴乃花さん日本人学校に(16面)
(8)オンライン美術館iiwii初のNY展開催(22面)
(9)60年代ハリウッドへの讃歌 Once Upon a Time in Hollywood(22面)
(10)アニメ千年女優上映(23面)