ぼくめいた

短期集中新連載えほん

カチコチ カチコチ カチコチ・・・・

1975年 ここは ニューヨークのマンハッタン
やあ!みんな、こんにちは!
ボクの名前は めい太。
自動車のパーキングメーターだよ
パーキングメーターって、みんな知ってるかな?
道路のわきにたって、ボクたちは車の駐車時間をはかっているんだ。          
(次号につづく)
作・絵 三浦良一

Tick-tock, tick-tock….
This is Manhattan in 1975.
Hi everyone, how are you? My name is MEITA. That’s right, I’m a parking meter.
Do you know what a parking meter is?
I stand beside a car on the side of the road and count how long it’s been parked.
( to be continued)

戦後日本の姿を思う

集英社・刊
伊東 潤・著

 作者は1960年に神奈川県横浜市で生まれる。早稲田大学を卒業後、日本アイビーエム株式会社に勤務した後、外資系企業のマネジメントに従事。その後コンサルタントに転じ、株式会社を設立するなど長らくビジネスマンとして活躍後、47歳で作家としてデビューを果たす。本書は「小説すばる」2018年1月号から9月号に掲載されており、それを単行本化したものだ。
 舞台は大東亜戦争終戦から約2年後の香港。主人公の鮫島は若手弁護士で、戦犯者を弁護するため他の弁護士とともに香港に派遣されることなる。
 鮫島が担当するのは五十嵐元海軍中将。彼は、インド洋で英国商船ダートマス号を撃沈・収容し、捕虜を処刑した日本海軍巡洋艦の司令官であった。
 裁判は戦争に勝利した連合国主導で行われ、結論ありきで形骸化しており、誰もが五十嵐元海軍中将の死刑を疑わなかった。しかし戦後の日本を再建し、もう一度一等国に引き上げて見せるとの思いを胸に、鮫島は法の正義を武器として法廷で戦勝国と対等に戦おうと真摯に真実を追い求める。
 他の戦犯者が裁判で謝罪や反省の言葉を口にする中、五十嵐は敗戦国日本の代表として、勝者である欧米諸国と対峙していこうとしていた。五十嵐と鮫島のある会話がとても印象に残る。『「あの戦争は、日本が国際社会の一員になるために必要なもの、いわば通過儀礼のようなものだったんだ。明治日本は、ほかのアジア諸国と違っていち早く産業革命の恩恵を受けて近代国家へと変貌を遂げた。それゆえその後、欧米諸国に伍していけると勘違いしてしまった。その根拠のない自信が孤立を招いた。今回の対戦で、日本は外交的に孤立しては駄目だということを痛感しただろう。それが分かった今、初めて日本は諸外国の立場を重んじ、痛みを分かち合える国際社会の一員として生まれ変われるはずだ。それを思えば、戦死者たちは無駄に死んだんじゃない。彼らは、これからの日本の礎を築いたことになる」自分を納得させるように五十嵐は続ける。「今回の公判を通じて、君らは、真実を追求する大切さや法の正義への信頼を国際社会に知らしめることになる。つまり君らこそ、日本が次の戦いに勝つための尖兵なんだ」そこまで言うと、五十嵐は疲れたように天を仰いだ。「次の戦いも厳しいものになりそうですね」「ああ、実際の戦争以上に厳しいものになる。だが日本は、もう負けるわけにはいかない」その戦いに勝つことは、敗戦に打ちひしがれた日本人を再起させることにつながる。』
 終戦から74年にあたる今年、日本は31年続いた「平成」に幕を閉じ、「令和」へと歴史が引き継がれた。20年には1950年以来2度目となる東京オリンピックの開催を控えている。国際化が進み、英語教育も盛んに行われ、社会では”グローバル人材”が求められるようになったが、それでも私たちが日本人であることに変わりはない。私たちは鮫島たちの目指した、日本人として国際社会の一員になれているか、考えさせられる一冊だ。(西口あや)

編集後記 8月24日号

■【編集後記】
  みなさん、こんにちは。本紙創刊以来15年間連載された英語講座漫画『奥さまはニューヨーカー』が、今回で最終回となりました。長い間、ご愛読いただきありがとうございました。これは読売新聞の米国現地版「読売アメリカ」紙に1989年から8年間連載された同タイトルの漫画を転載したものです。英語表現は、アメリカでよく使われている日常表現であまり日本人に馴染みのない言い回しなどを選びながらこちらの生活習慣なども紹介できるように漫画と英語で工夫をこらしました。英語辞書の研究社が同社初の漫画に取り組んだのもこの単行本でした。『あめりか駐在物語』(上下2巻)、『奥さまはニューヨーカー』(上下2巻)の4冊が研究社から出版され、そのあと、幻冬舎から文庫本が5巻出版されました。幻冬舎の文庫は15万部売れるベストセラーになりました。岡田さんはニューヨークの街角での温かくユーモアに満ちた触れ合いを、粋な英語を交えて描いたベストセラーエッセイ集『ニューヨークの魔法』シリーズ(文春文庫、全九巻)や『ニューヨーク日本人教育事情』(岩波新書)などの著者としても知られています。
 漫画家の島本真記子さんは、現在はペンネームを「ぱいなっぷりん」と変えて、ブログのamebaで『60代主婦の日常をマンガにすると・・・』という中高年主婦を主人公にした日常家庭生活漫画を好評連載中です。ブログ漫画のアドレスはhttps://ameblo.jp/abekawa-maki/
引続き、2人を応援していただければ幸いです。岡田さん、島本さんごくろうさまでした。それでは、みなさんよい週末を。(「週刊NY生活」発行人兼CEO三浦良一)

【今週の紙面の主なニュース】(2019年8月24日号)

今週のデジタル版は表紙をクリック↓

(1)日本海と東海を併記 1面

(2)ダイアナ妃ミュージカルに 1面

(3)ライオン像修復1面

(4)メンズ清水 3面

(5)オバマ街に? 4面

(6)お買い得ブロードウエー 8面 (カラー写真貼付)

(7)ナンバープレート8面(カラー写真貼付)

(8)ウーマン阪上

(9)大江千里

(10)映画

日本海と東海を併記 NY教育長が勧告

 ニューヨーク州教育局は8月6日付でチャータースクール(特別認可校)を含む州内の公立学校の校長に、日本海(Sea of Japan)について「東海」(East Sea)を併記するよう勧告する書簡を送った。
 キンバリー・ヤング・ウィルキンズ副局長名による書簡で「アップデート・ガイダンス・フォー・シー・オブ・ジャパン/イースト・シー」と題し、日本と韓国の歴史的背景を教えることも盛り込まれている。ただし強制力はなく教師がこれを教えなくても処罰されるようなことはない。
 トビー・アン・スタビスキー州上院議員(民主党、16区選出)とエドワード・C・ブラウンスタイン下院議員(民主党、26区選出)が州教育局に働きかけていた。両議員とも韓国系住民の多いフラッシングなどNY市クイーンズの選挙区選出議員。
 日本海の名称をめぐっては6年ほど前から韓国系団体などが「東海」に変更あるいは併記するよう州議会などに働きかけてきた。ニュージャージー州、カリフォルニア州、ミシガン州などで「東海併記」の運動が行われ、バージニア州では2014年に成立し、州知事が署名、発効している。NY州ではこれまで数度、議会上院を通過したが下院を通過できず成立に至っていない。ブラウンスタイン下院議員は次期会期にも「東海併記」の法案を提出すると述べている。
 米国連邦政府機関である米国地名委員会(BGN)は日本海が唯一の公式な名称としている。世界の海洋名称をまとめた指針「大洋と海の境界」を刊行している国際水路機関(IHO)は1928年の初版から現行の1953年版まで一貫して日本海と記載しているが、今年1月に日本と韓国で呼称問題について協議するよう勧告している。IHO総会は来年2020年に予定されている。

ダイアナ妃 来年ミュージカルに

 不慮の死を遂げたウェールズ公妃ダイアナの生涯を描いたミュージカルが来年、ブロードウェーで上演されることが決定した。
「ダイアナ」は2017年3月にカリフォルニア州サンディエゴのラ・ホヤ劇場で初上演され、LAタイムズ紙は「ショッキングなダイアナの最期は当時のCNNの報道よりも心情に訴える」と批評している。
脚本は09年トニー賞を受賞した「メンフィス」と同じ制作チーム、歌詞はジョージ・ディピエトロ、作曲はロック・バンドのボン・ジョヴィのキーボード奏者デイヴィッド・ブライアンが手掛ける。監督は「エスケープ・トゥ・マルガリータヴィル」のクリストファー・アシュレイ、主演のダイアナはイェンナ・デ・ヴァールが務める。本公演は来年3月31日から、ブロードウェーのロングエーカー劇場で上演される。

ライオン像 108歳で 保存修復へ

NY公立図書館で9週間作業

 ニューヨーク公立図書館(NYPL)は12日、同本館の前にたたずむライオン像の「ペイシェンス(忍耐)」と「フォーティテュード(不屈)」の清掃、修復、保存作業を9月2日(月)から9週間行うと発表した。
 同作業の費用25万ドルは、ニューヨーク生命財団の助成金とニューヨーク市民からの寄付で賄われるという。2頭のライオン像は1911年、彫刻家ピリリーリ兄弟がブロンクスのスタジオで製作。当初は「アスター」と「アレックス」と名付けられたが、世界大恐慌当時のフィオレロ・ラガーディアNY市長が、ニューヨーカーたちを励まそうとそれぞれ「ペイシェンス」「フォーティテュード」と改名した。
 作業中、2体はカバーで覆われ見ることができない。アンソニー・マークスNYPL館長は「ライオンたちには、しばらくスパで時間を過ごしてもらう」と話している。

竹細工に編みこむ海外への夢

竹細工職人
清水 貴之さん

 就職氷河期だった大学在学中にインターネットで見つけた別府の竹細工職人の道。1年間無料で職業訓練校で勉強できることに惹かれて軽い気持ちで入った世界で早くも17年。竹が自分を選んでくれたと語るほどに竹に魅せられている清水貴之さんは、朝から晩まで毎日、竹と向き合って暮らしている。
 竹細工師の養成校を卒業後、4年間の弟子入り生活を送り、基礎を学んだ。修業時代の日給は500円だったため、いつも空腹でどのようにして暮らしていたのか全然記憶にないというが、「それでも竹職人を辞めたいと思ったことは今まで一度もない」と笑う。どのような形態の作品も得意という清水さんは、アクセサリーから竹籠、さらにはオブジェまで、さまざまなタイプの作品を毎日静かに編んでいる。
 5年ほど前、着物姿でアポなしでパリのお店に作品を持ち込んだことが海外進出の第一歩。フランス語は全く話せなかったが、パリジェンヌたちが温かく受け入れてくれた。少しずつ人脈が広がり、昨年末から今年春にかけてグルノーブルで開催された展覧会に招聘され、ポスターにまで起用されるご縁へと繋がった。
 ニューヨークとの出会いは2018年。別府市が企画した伝統工芸職人を海外に紹介する機会でやって来た。その後、ニューヨークでの力試しとして出展したJコラボ(日本文化紹介活動を行う非営利団体)の年次グループ展に初参加で最優秀賞を受賞。その副賞として獲得した単独個展開催のために、この夏ニューヨークに戻ってきた。
 竹細工を編むこと以外にやりたいことはないと無欲だが、誰にも勝る竹への情熱。どんなに高価でもお金で買えるものはお金を稼げば解決するが、自身が目標としている生涯最高の集中力を発揮しないとできない作品を作り上げることは、お金では買えないので贅沢なこと、と語る。
 職人としての夢は、海外のさまざまなコンペへの出展。プライベートでは世界各地のバスケットを編んでいる地域を訪れてみたいと、公私ともに竹中心の生活。今月末からブルックリンで始まる個展を前に、今日も竹と向き合っている。
(須能玲奈)
清水貴之個展=30日(金)〜9月8日(日)の期間中、木曜から日曜午後1時から6時まで、ブルックリンのOSSAMギャラリー(7丁目300番地)で開催。オープニングレセプションは31日(土)午後4時から6時まで(書道家、田中太山のライブパフォーマンスも)開催。また31日(土)、9月1日(日)、7日(土)、8日(日)午後2時から併設施設で竹籠作りのワークショップが行われる。要事前予約(各回先着10人)。参加費として30ドルの寄付推奨。申し込みはEメールjplusbcafe@gmail.comまで。

(写真左)撮影・田中太山
(写真右)フランスの展覧会でポスターに採用された作品

新潟県十日町

「清津峡の絶景×アートに触れる」新潟その2

 東京駅から上越新幹線に飛び乗れば、ほんの1時間10分で行ける意外と近い新潟、越後湯沢。湯沢温泉を舞台に描かれた川端康成の小説『雪国』の冒頭「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」のように、長いトンネルの先はそれまでとは絶対的に何かが変わるのではないかと期待し、わくわくするものがある。とにかく群馬から新潟へ抜けるときには新幹線でも高速道路でも山をぶち抜いた長いトンネルを通らなければならず、そこを抜けると急に雪景色になったり、夏は湿度が下がるためかぱっともやが晴れたように空の青さや山の緑色が鮮明になるような気がする。または、あれだけ長いトンネルを通過したんだから景色ががらっと変わって欲しいという私自身の心境も影響しているのかもしれない。「新潟その1」では魚沼郡にある秘境・奥只見について書いたが、今回の目的地は越後湯沢駅から車で30分ほど北上した十日町にある。
 近年、さまざまなアートイベントが日本各地で開催され、注目を集めるようになった芸術祭。新潟では昨年の夏から秋にかけて「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(十日町)、「水と土の芸術祭」(新潟市)、そして「さどの島銀河芸術祭」(佐渡市)が開催された。そのうちの「大地の芸術祭」では棚田や里山が連なる広大なエリアにある空家や廃校、自然を利用して約360点のアート作品を展示。地方の過疎化や少子化が進んだことで、空いたスペースを有効利用したイベントだともいえる。44の国と地域からアーティストが参加したこの芸術祭は世界でもっとも移動距離が長く、作品から作品へと移動するドライブの途中で必然的に新潟に残る日本の原風景を楽しめるものだった。そして今年も引き続き見てまわれる作品は200点もある。
 そのなかでも私が見たかったのは、越後妻有を代表する名所「清津峡渓谷トンネル」をアートにした作品だ。清津峡は黒部峡谷、大杉谷と並ぶ日本三大峡谷のひとつ。渓谷美と柱状節理(岩石の柱の集合体)の地形が見事であるため国の名勝天然記念物に指定された観光地で、清津川を挟んで切り立つ巨大な岩壁がV字型の峡谷をつくっている。以前は沢にぬける登山道があったが春先の雪崩や残雪で通行不能になったり、落石や土砂崩れが頻発して危険だったため立ち入り禁止となってしまった。これにより、もっとも柱状節理が見事な屏風岩を見ることができず、地元住民や観光客からの要望により、登山道の代替施設としてトンネルが建設された。1996(平成8)年にオープンした全長750メートルの清津峡渓谷トンネルには、途中の3か所に渓谷美を臨む見晴らし所と最終地点にパノラマステーションを設置。登山道に比べると景色が楽しめず不満の声もあったそうだが、天候や落石、足もとを気にすることもなく、バリアフリーなので車いすやベビーカーも安全に利用でき、さらに今までは見れなかった真冬の風景も鑑賞できるようになった。
 このトンネルをアート作品として生まれ変わらせたのは、中国・北京に本拠を置く建築デザイン会社「MADアーキテクツ」の建築家マ・ヤンソン氏。彼が手がけたインスタレーション作品「トンネル・オブ・ライト」は、トンネルを外界から遮断された潜水艦に見立てて外を望む潜望鏡として表現している。
 ひんやりと涼しいトンネル内にいざ入坑する。通路は赤やオレンジ、ブルーなど5色に変化し、怪しげな音楽が流れてきたりと特別な空間へ誘われるかのようだ。見晴らし所では荒々しい岩壁を眼前に「これが柱状節理か」と観察したり、次々現れる見晴らし所の作品を楽しめる。そしてパノラマステーションに到着したとき、大地の造形とアートを融合させたその作品の美しさに息をのんだ。そこには清津峡の景観を反転して映す「水盤鏡」の幻想的な眺めが待っていた。 
 床一面に峡谷から湧き出た沢の水を張り、壁面にはステンレス版を貼ることによって清津峡を鏡のように反射し、半円であった外部の風景が完全な円として光のトンネルを作り出している。ここでは水に足を浸して景色がよりよく見える窓側に歩いていくこともできる。さて、この水面はどうなっているのか、どのくらいの深さがあり、どうやって奥まで行くのか。それは、もったいぶるようだがぜひ訪れて体験して欲しい。ただし、多少濡れてもいい靴やサンダルを履いていくことをおすすめする。一番混雑する秋の紅葉や冬の雪景色もいいが、天気や時間によって見える景色が変わってくるので何度も訪れたくなる場所だ。(本紙/高田由起子)

五番街トランプタワー前 オバマ街に?

 マンハッタンにあるトランプタワー前の五番街56丁目と57丁目の間を前大統領の名前を取って「バラク・H・オバマ街」に改名しようという呼びかけが行われ、嘆願署名サイトMoveOn.orgで8月19日までに約42万人が署名した。もし実現すればトランプタワータワーの住所は「オバマ街725番地」になる。
 呼びかけたのはトランプ大統領に不満を持つエリザベス・ローウィンさん(56)で、あるコメディアンの「トランプを怒らせる」ジョークから思いついて昨年10月に嘆願を開始した。最近になってネットで拡散し8月15日に25万人を突破、大手メディアが取り上げたことからその後数日で42万人にまでになっている。
 通り名変更はNY市議会の決定が必要だが、すでにローウィンさんは市議会に改名を希望する書簡を送っており、「検討したい」との返事をもらっているという。ロサンゼルスにはオバマ前大統領にちなんで名付けられた2つの通りがある。ただ、NY市議会では亡くなって2年以上経過していない人物名は付けない規則があるため、実現させるためにはこれを変える必要がある。
 トランプタワーのある4区選出のキース・パワーズ市議(民主党)は「オバマ大統領は最高の政治制度を具現化し、顕著な遺産を残しました。オバマ大統領は、ドナルド・トランプ氏の家の隣で尊敬されること以上に価値があります」と声明の中で述べている。