ハンター大の川島さん死去

米国で日本語・日本文化教育に貢献

 ニューヨーク市立大学ハンターカレッジで日本語と日本文化の教師として長年勤務し、同大で米国人学生の日本語と日本文化の習得に尽力した川島敦子さん=写真=が4月10日、マサチューセッツ州 ウォルサム市の介護施設で老衰のため死去した。享年95歳。

 川島さんは1929年長野県長野市生まれ。名古屋米国領事館勤務後結婚し1977年来米。1985年コロンビア大学優等学士号取得、88年同大美術史修士号取得。95年博士課程単位取得。ハンターカレッジで1987年から2018年まで日本語教師として勤務し、同大に米国ニューヨーク市地区では初となる日本語・日本文化専攻の設立に貢献した。

 現在同大学では1300人余りの学生が、日本語や日本文化を学んでいる。日本政府から米国における日本研究の発展と知日派教育への功績が認められ、2013年在外公館長表彰、2018年旭日単光章を叙勲=写真下=。

 主な著書に『A Dictionary of Japanese Particles てにをは辞典』(1999年、講談社インターナショナル)、『Medical Communication in English ラクラク話せるメディカル英会話』(2002年、Dr. John J. Olichney, Sue A. Kawashima 共著、日東書院)、『少女の記録、あの頃1935〜1945・8・15&2001・9・11』 (2006年、講談社)などがある。葬儀は身内だけで行い、後日偲ぶ会を行う。

 同大学日本語・日本文化科ダイレクターのマーヤン・バルカンさんと日本語・日本文化科副科長の古川明代さんが連名で本紙に次のコメントを寄せた。

  「川島の自叙伝『少女の記録、あの頃』の中にセントラルパークの東側にあるハンター大学のことを『この落ち着きのあるエリアもこの仕事も私はこよなく愛している』とある。私たちも毎日その愛の恩恵を受けた。アメリカという異文化の中で家族のように接し、お互いに信頼し合い、このプログラムを大きくしてきた。私たちのプログラムではこの暖かく、深い絆を今後も継承していきたい。戦争も生き抜いたLiving Historyとして学生たちに平和の大切さを教えることを使命としていた」

JFKのTWAホテルで乗り継ぎ時間に待ち合わせの食事などいかが?

 ジョン・F・ケネディ国際空港で、出張客の知り合いが帰国乗り継ぎ便待ちの3時間で、マンハッタンに出るほど時間はないけれど、空港でお茶でもと言われたらどうしますか? 

 そんな時は、空港内ターミナル5に近い、TWAホテルでのお茶や食事をお勧めする。1960年代に建築家エーロ・サーリネンが設計したTWA航空の専用ターミナルは、ミッドセンチュリーデザインの代表的建物で、そのあまりの美しさからTWAなきあとも解体されずに残っていた。ホテルとして2019年に再オープンし、レストラン「パリス・カフェ」もロビーラウンジの2階にある。午前7時から午後10時まで年中無休で営業している。レトロなレシプロエンジンの旅客機も夏にはバーとして機内営業される。

 空港ターミナル内を無料でループ循環しているエアトレインを使ってホテルのロビーで待ち合わせれば、はぐれることもない。全日空はターミナル7、日本航空はターミナル8なので、エアトレインで2、3分。ロビーには1950年代から80年代までの客室乗務員の制服の展示や、ギフトショップでは、レトロなTWAの機内グッズなどが販売されており楽しめる。実際に50年代に機内でサーブされていたハイボールグラスのレプリカ(なんとガラス製)なども売られている。

 マンハッタンからJFK国際空港まで行く一番便利で、コストがかからない方法は、グランドセントラル駅に乗り入れているロングアイランド鉄道に乗って2駅目のジャマイカ駅からエアトレインに乗り換える方法。片道、13ドル50セントでグランドセントラル駅から空港まで約50分で到着する。地下鉄やバスよりも着くまでの時間が予測でき、渋滞の心配もなく簡単だ。


Paris Café 

TWA Hotel at JFK Airport

Terminal 5

6 Central Terminal Area

Queens, NY 11430

Tel : 212-806-9000

twahotel.com

ダラスで乳がんを語る

28日にBCネットワークがシンポジウム

ハイブリッド開催に向けて
主催団体と参加者に聞く

 乳がんの最新治療情報や早期発見の啓発活動を行う非営利団体のBCネットワークが、4月28日(日)午後1時から3時半まで(東部時間)、ダラス日本人会会議室(4100 Alpha Road, Suite 103, Dallas, TX 75244)でライブ会場とオンラインのハイブリッド形式で、第5回「日本人乳がんシンポジウム@イーストコースト・サウス」を開催する。

 当日は、乳腺外科主任教授・ロズウェルパークがんセンターの高部和明医師が「乳がんの遺伝子検査って何?—最高の治療を求めて」と題した基調講演を、一般婦人科準教授・コロンビア大学病院の常盤真琴医師が「がんの予防に使える 避妊法」というテーマで講演を行う。またBCネットワーク創立者・代表の山本眞基子氏が「38歳で突然乳がんに!治療までの軌跡」と題した経験者トークを行う。司会はFCIーNYの久下香織子キャスター。  

 講演は会場での開催のほかオンラインでも生配信され、人数制限なしでZOOM参加できる。参加希望の場合、B C ネットワークのウエブサイト(http://bcnetwork.org)から事前に申し込む。問い合わせはEメールinfo@bcnetwork.org まで。ライブ会議を前に、BCネットワークの山本代表とダラス日本人会事務局長のキャリントン純子さんにインタビューした。

     ◇

ーダラスの日本人コミュニティーについて説明をお願いします。

キャリントン ダラス・フォートワース近郊の在留邦人数は4400人ですが、実際日本人は、ダラス市内よりも周辺近郊の市に住んでいる人の方が多いようです。

ー今回ダラスでやることになった経緯をお知らせください。

山本 2年ほど前に日本テキサス医学振興会という団体から連絡があり、日本人の産婦人科、乳腺外科の医師がいないので、コロンビア大の常盤先生を紹介してもらえないかということがきっかけです。

ー今回ダラスでこのようなイベントが開催されることをどう受け止めてますか

キャリントン  大変ありがたいです。ダラスで日本語で相談できる先生がいないので、今回のように対面できていただけるとプライベートで直接相談したい方はいると思います。 

ーダラス近郊で、日本人女性はどれくらいいるのでしょうか

キャリントン ダラス日本人会の会員数だけで1000世帯くらいいます。病院に行く際の通訳の問い合わせ、付き添いの問い合わせが、私の周りだけでも十数人いるので、自分であまり意識していない人も将来関心を持つということも含めれば、実は相当数いるのではないかと思われます。

ー今回のダラス講演会で一番伝えたいことはなんですか?

山本 今回のセミナーに参加することで、婦人科検診、乳がんについての関心を高め、今後、ニューヨークや秋にロサンゼルスで開催する講習会にもオンラインで参加してもらいたいですね。

ーみなさんの反響はいかがですか?

キャリントン 皆様抱えている問題はひと様々ですが、こうやって最新の治療法を日本語で聞けること、また今自分が受けている治療が正しいのかを判断する、予防、検診、ネットワークを作るといった意識の高まりを感じます。テキサスは広いので、オンライン、対面、ハイブリッドでやってもらうのは嬉しいです。

ーこれからどんな情報を伝えていくのですか?

山本 アメリカでどんな治療と予防ができるかを日本語で年に2回、米国東西両岸で開催していますが、何よりも最新の治療法を伝えるということですね。日本よりも早くお伝えできると思います。

ーありがとうございました。

最悪なダンスのお相手     ニューヨークの魔法

私の場合

 近くの人とペアになってください、というインストラクターの呼びかけで、ラテン系の青年が私の手を取った。

 マンハッタンではときどき、誰でも参加できる無料のダンス教室が開かれる。

 昨年のある夏の夜、四十四丁目辺りのハドソン川の埠頭で行われたタンゴのレッスンに、マリーパットとモンティに誘われ、出かけていった。

 ニューヨークに来たばかりのとき、数回だけソーシャルダンスを習ったことがある。動きがまったく読めず、いつも相手の足を踏んでは、謝ってばかりいた。

 川の埠頭のダンス教室には、百人ほど集まっただろうか。ダンス用のドレスを着ている人もいるが、ふだん着が目立つ。

 まずは、前に立つインストラクターを見ながら、同じようにやってみる。見よう見まねで、何とかなる。盆踊りと同じだ。が、向き合って相手の動きに合わせるとなると、話は別だ。何年も前の記憶がよみがえる。相手の動きが、やはり読めない。踊りというより、足だけでツイスターゲームをしているような感じだ。

 青年は動きが軽快で、私とはレベルが違う。誰かと待ち合わせでもしているのか、時折、遠くをながめながらも、私に気をつかい、目が合うと不自然にほほ笑む。

 やがてラテン系の美女が目の前に現れ、ふたりはしかと抱き合うと、私を残して笑顔で立ち去っていった。

 かわいそうだと思ったのだろう。すかさずモンティが現れ、私の手を取る。そして、彼は踊り、私は踊るというより動き始める。その動きも、モンティのそれとはちぐはぐで、それでも彼は、辛抱強くステップを教える。

 あまりにもモンティが気の毒になり、せっかくの夕べだからマリーパットとふたりで楽しんで、と私はそっとその場を離れた。

 川べりにひとりたたずみ、色とりどりのライトの下で踊る人たちをぼんやりながめていた。湿度が低く、カラッと晴れたさわやかな日だった。

 やがて夕日で空が桃色に染まり、辺りはロマンチックな雰囲気に包まれた。

 と、突然、六十代くらいの見知らぬ男が、私の手を取った。丈の長い色鮮やかな花柄シャツにサングラス、鳥打帽、太いシルバーのネックレスと、ヒッピーの生き残りのような風貌だ。

 男は私の体に手を回し、陽気に踊り始める。マリーパットがモンティと踊りながら、私に気づき、眉間にしわを寄せ、なんでそんなオトコと踊ってんのよ、という顔をして見せる。私も同じような表情を、彼女に返す。男は楽しそうに、踊り続けている。

 私、踊りはうまくないので。

 踊りはうまくない? じゃ、何がうまいんだい? セックスかい?

 今にも逃れたかったが、男がアメリカの大統領についてとうとうと話し始め、機を逸してしまう。

 ジョージ・ワシントン大統領、知ってるだろ? お札になってるあの男だよ。

 なるべく彼から体を離そうと必死で、ワシントンについて彼が何を話したか、聞きそびれた。そして、話はいつしか、リンカーンになった。

 子どもの頃、学校の授業でリンカーンについて習ったとき、そいつはひどいやつだと先生に言ったら、授業の邪魔をするな、としかられた。でも、映画で描かれているような男とは、まったく違うのさ。ねえ、君。ダンスと歴史の授業を一緒に受けられるなんて、思いもしなかっただろ? あのさ、いったい、なんでそんなにクソ真面目な顔してんだい?

 Life is full of pain, so you’ve got to smile.

 人生は苦悩に満ちているんだからさ。笑わなきゃ。

 あなたが相手じゃ、笑顔にもなれないわよ。

 そう思いながら、私はさっき習ったステップをマスターすることだけに、専念しようと、精神統一をはかっていた。

 ねえ、あなたのステップ、さっき習ったのと、全然違うんだけど、と私。

 ステップなんて、どうでもいいのさ。大事なのは、楽しく踊ることだろ。ほら、夕焼けがきれいだ。もっと川に近づこうじゃないか。君、僕と踊るの、楽しんでる?

 そう言いながら、男が水辺へ移動しようとする。

 このまま、川に突き落とされでもしたら、お陀仏かもしれない。

 ありがとう。そろそろ帰るわ。

 引き止めようとする男を振りきり、マリーパットとモンティのもとへ飛んでいく。

 と、さっきの男は、もう別の女性の腰に手を当て、陽気に踊りを楽しんでいる。

 人生は苦悩に満ちている?

 Not for him.

 違うでしょう、あの人に限っては。

 このエッセイは、「ニューヨークの魔法」シリーズ第8弾『ニューヨークの魔法のかかり方』に収録されています。https://www.amazon.co.jp/dp/4167717220

奇跡のピアニスト空音 唱

カーネギーホールで23日コンサート

 作曲家でピアニストの空音 唱(くおん・しょう)が23日(火)午後8時からカーネギーホールのワイルリサイタルホールでコンサートを開く。津田裕子、JCH TOMOほか、ニューヨーク在住の演奏家が多数出演する。主催はアートクエスト・ニューヨーク・インク。空音は鹿児島市生まれ。九州大学理学部生物学科卒。11歳のとき、両肩を大型犬に噛まれ、その後遺症を克服するため、独学で独自の奏法を体得。豊かな独特の響きは「奇跡のピアニスト」と評される。入場料は23ドル。購入はウエブサイトhttps://www.carnegiehall.org/

春に流れる笛の音のごとく

人生を全うした天才

 大変お世話になった方が亡くなった。そして、そのメモリアルイベントの為、数日間だけ日本に帰国した。少し遅れて開花した桜と、私の帰国のタイミングはバッチリ重なり、繊細に咲き誇る満開の桜を眺めつつ、日本のクラシック音楽界に多大な影響を与えた彼の業績と、その濃い72年の彼の生涯に思いを馳せた。彼の持論は、分母を増やせばピラミッドの頂点が高くなると言う事。クラシック音楽をあまりよく知らない一般層に、その面白さを伝えファンを増やし、ひいては日本のクラシック音楽界の経済をも底上げする、と言うものだった。その甲斐あってか昨今の日本は、世界有数のクラシック音楽マーケットだと言われている。それは少なからず彼の影響があったと思っている。

 その彼は、あなたは日本で一番上手な歌手だと心から思っていると言い続けてくれた人で、その後にはもっと痩せろだとか、化粧をもっと勉強しろだとか色々と続いたが、その言葉はいつも励みになっていた。日本で一番上手かなど、全く考えた事すらないものの、そう強く信じている人が家族や恋人以外にいるという事が嬉しかった。そしてここ数年は、早く日本に帰ってこいと折に触れ言われていた。彼はストラテジーを考える天才だったので、きっと彼の頭の中では、私が帰国したらああしようこうしようと言うのが、あったのだろう。お別れの前にそれを聞きたかった。

 春にまつわる歌は、本当に多い。例えば日本の唱歌をサッと思い浮かべただけでも、花、早春賦、蝶々、春よ来いなど直ぐに出てくるし、オーケストラや器楽曲まで含めると、もう世界に無数に存在する。暗く厳しい冬の後に、待ち焦がれた暖かな陽の春。作曲家達が書かずにいられなかったのはよく分かる。多くの曲が、春の喜び、憧れや希望を歌ったワクワクするものであるが、今私の思い出す春の歌は、ノルウェーの作曲家グリークのものだ。「これまで何度も迎えてきた春が、また巡って来た。しかしこれが最後の春になるだろう」と言うものでこの詩の最後には、「私は自分で作った笛を吹き、その音は泣いているようだ」と終わる。でも音楽は決して暗くも重くも無い、とても自然だ。達観はしていても言葉に出来ない色々な思いで涙は出るのだろう。ノルウェー人の友人によると、自分の笛を作る(彫る)と言うのは、人生を生きるという比喩らしい。良い表現だなと思う。亡くなった彼は、間違いなく多大な功績を残した。クラシックファンを増やし、文化庁長官表彰も受けた。最愛の奥様と幸せな家庭を築き、沢山の仲間や同僚に囲まれ、次々と革命的なアイディアを思いつき、やりたい事を全てやっていた。彼は自分の作った笛を吹いた時、きっとその音が泣いていると言わなかった気がする。人の人生は色々だし、笛の音は泣いていても明るい音でも何でもいい、どんな音だって自身の音だ。人は皆自分の笛を彫りながら、最後にその笛を吹くのである。

田村麻子=ニューヨークタイムズからも「輝くソプラノ」として高い評価を受ける声楽家。NYを拠点にカーネギーホール、リンカーンセンター、ロイヤルアルバートホールなど世界一流のオペラ舞台で主役を歌う。W杯決勝戦前夜コンサートにて3大テノールと共演、ヤンキース試合前に国歌斉唱など活躍は多岐に渡る。2021年に公共放送網(PBS)にて全米放映デビュー。東京藝大、マネス音楽院卒業。京都城陽大使。

日本で活躍する38人グループ展

5月8日からトライベッカで

BREAKTHROUGH

 トライベッカ地区にあるワン・アート・スペース・ギャラリー(ワレン通り23番地)で、5月8日から2会期に分けて期間限定のグループ展「ブレイクスルー」が開催される。

 「始めなければ、始まらない。」をテーマに、日本で活躍する計38人の新進気鋭のアーティストたちの作品が集結。青のペンのみを使用して緻密に幻想的な作品を描き上げるAoi Hanane氏、日本のカルチャーを象徴するような遊び心がありつつも調和のとれたミクストメディア作品を生み出すEMI・KIBAYASHI氏、アートを通して身体的なコンプレックスの昇華を目指すAkie Abe氏など、独自のアプロ—チを開拓していく現代日本作家たちの作品が展示される。

 第1会期は5月8日(水) から12日(日)まで。レセプションパーティーは9日(木)午後6時から8時。ライブペイントイベント(書道・ドローイング)は11日(土)午後6時から。第2会期は5月15日(水) から19日(日)。レセプションは16日(木)午後6時から8時。ライブペイントイベント(書道・足跡ペイント)は18日(土)午後6時から。入場無料。開廊時間は正午から午後6時。詳細はhttps://www.eventbrite.com/e/breakthrough-new-and-rising-japanese-artists–tickets-782085056457

編集後記

【編集後記】

 みなさん、こんにちは。アメリカで日本語を学んでいる学生が多いようです。ハンター・カレッジの日本語・日本文化の専攻(マーヤン・バルカン・ダイレクター)は2023年に設立されました。同大の日本語教育プログラムは1986年に設立。現在1300人あまりの学生が日本語と日本文化を学んでいるそうです。日本語の読み書き、翻訳、会話などの語学コースに加え、日本の歴史、文学、演劇、伝統文化、現代文化、茶道などの文化コースも提供し、拡大を続けているというから驚きです。たまたま今週の月曜に、その専攻クラスで学生の皆さんとも少し話す機会があった中で、学生から「将来は新聞でどんなことをしたいですか」と聞かれたので「せっかくアメリカで日本語の新聞を出しているのだから、日本人だけでなく、日本人がアメリカで何を考え、思い、行動して活動しているかをアメリカ人にも知ってもらうために、以前あった英語版『THE JAPAN VOICE』をまた復活させたい」と答えたら、学生から「週刊NY生活は日本語の新聞だから、日本語を読む人しか読まないので、英語版より、日本語を勉強している外国人に読み易いページを作ってもらえたら嬉しい」と言われました。なんだか目から鱗が落ちたような気分になりハッとしました。日本に関心のないアメリカ人に日本のことを知ってもらうことも大切ですが、それは馬を川に引っ張って行って馬に水を飲ませること同じくらい多分難しいので、それより、確かに、日本語に関心の高い、日本語を勉強しているアメリカ人の学生や社会人が読める平易な日本語で書かれた記事のページがあってもいいのかな、と思いました。本紙には「SUTUDENT LIFE」とか「NY生活ウーマン」といったページがあるのだから、そういう人たち向けに例えば「週刊にほんご生活」なんていう簡単で、漢字にふり仮名がふってあるようなページが、月に1度でもあったら読まれるかなあ、などと思ったりして。まあ、スポンサー次第ですね。なんだか学生たちから、私も大きなヒントをもらったような1日でした。同大学訪問の記事は今週号STUDENT LIFE面14面に小さな記事ですが掲載しています。なんだか、もう少し、新聞で何か新しいことができるような、そんな気がして、まるで暗闇から皆既日食のダイヤモンドリングの眩しい輝きを一瞬見たような気分でした。それでは、みなさんよい週末を。(週刊NY生活発行人兼CEO、三浦良一)

【今週の紙面の主なニュース】(2024年4月13日号)

(1)世紀の天体ショー 全米13州で皆既日食を観測

(2)アフタヌーンティーのお供に紅茶占い 大石育子の暮らしのテーブル 

(3)環境の変化に晒される在外日本語教育

(4)能登半島地震被災地を支援 NY MBAの会が義援金

(5)NY総領事館の窓口はこれからも予約制ですか?

(6)女王蜂NY公演 「アヴちゃん最高」 ソニーホールで単独ライブ

(7)大人のバレエ留学 受け入れサービス開始

(8)日本語と日本文化学ぶ ハンター大学の学生

(9)美と平和の祭典NYで ONE STORY AWARD 2024NY 

(10)ゴジラとキングコングが作り出す新世界  シネマ映写室

世紀の天体ショー、全米13州で皆既日食を観測

ビルの谷間に歓声

白昼みるみる薄暗く

 タイムズスクエアに「ワー」という歓声が上がった。あたりがどんどん薄暗くなってくる。月に太陽が完全に隠される皆既日食が8日午後、テキサス州から始まり、インディアナ、オハイオなどからニューヨーク、そして最後にメイン州と米本土13州の広い範囲で観測され、これを見ようとする人々で各地は混雑した。

(写真上)▲ビルの谷間に差し込む日差しの下、欠け始めた太陽を見る人々(8日午後3時過ぎ、タイムズスクエアで、写真・三浦良一)

 バッファローでは部分日食が午後2時4分から始まり、午後3時18分から3時22分まで皆既日食となった。ニューヨーク市は皆既帯ではなかったが午後3時20分ごろ、最大89%が欠ける部分日食を観測した=写真=。

太陽のみを望遠レンズ1000mmで撮影(8日午後3時29分、マジソン街38丁目で、写真。植山慎太郎)

 皆既日食は皆既帯と呼ばれる幅100キロ程度の帯状のエリアに限られる。ニューヨーク州で皆既日食が見られるのはおよそ1世紀ぶりで、皆既帯に入る観光名所のナイアガラの滝、バッファロー、シラキュースなどのおもな宿泊施設はどこも埋まった。大リーグヤンキースはヤンキースタジアムでのマーリンズ戦の開始時間を午後2時5分から午後6時5分に変更した。ニューヨーク州サリバン郡にある刑務所「ウッドボーン矯正施設」の受刑者6人が観測を許可するよう求めて訴訟を起こした。

 米国での皆既日食は前回2017年8月にあり、それなりの盛り上がりを見せたが、この時の皆既帯は砂漠地帯など人口密集地が少なかった。今回はメキシコから午後1時27分(中部時間)にテキサス州に入り、米本土を斜め縦断する形でアーカンソー、インディアナ、オハイオ、ニューヨーク州などを通過しメイン州からカナダに抜けるという珍しいコースで、都市部も数多く含まれていた。メディアは連日のようにニュースで取り上げ、観測に適した地域では宿泊施設やレンタカーの予約でいっぱいになった。次に米国本土で皆既日食が見られるのは20年後の2044年だがモンタナ州とノースダコタ州に限られる。ニューヨーク州で次にこのような皆既日食を観測できるのは、50年以上先の2079年になる。

環境の変化に晒される在外日本語教育

 私事にわたり恐縮だが、1997年以来在外の日本語教育に関わって27年になる。多くの優れた生徒たちに支えられて続けてきた一方で、近年は日本語教育を取り囲む環境の変化を痛感している。ちょうど4月を迎え、企業派遣の家庭の中には新年度に合わせた異動によって来米された場合もあると思う。この機会にこうした環境の変化についてお話しておきたい。

 まず、90年代と現在を比較すると、アメリカ社会における日本語や日本文化への理解は劇的に深まった。90年代にはまだ戦争の余韻が残っており、毎年12月7日になると日本人の生徒は現地校に登校する際には緊張を強いられるということがあった。また、弁当に「おにぎり」を持参すると、気味の悪い黒い紙を巻いた塊をかじっているなどと言われていた。

 現在は全く違う。日本文化への称賛は勢いが止まらず、アニメやゲーム、食文化などへの理解は劇的に深まった。アメリカ人にとって、人気旅行先のトップは日本であり、日本のコンビニ食が普通のアメリカ社会で話題になるなど、隔世の感がある。したがって、日本からやってきた転校生が、文化の面で差別を受けることはほぼ絶無となった。

 では、全く問題がなくなったのかというと、実はそうではない。20世紀末とは全く異なった3つの問題が、子どもたちを苦しめている。

 1番目は、受け入れ側の現地校のカルチャーが変化しているということだ。90年代のアメリカはポスト冷戦時代のグローバリズムの勝者として、国として自信満々という雰囲気があった。これを受けて、現地校の子どもたちも地球の反対側からやってきたアジアからの転勤族の子どもたちに対して、ほぼ無制限に受け入れ支援をしてくれていた。

 現在もこうした美風が消滅したとは言えない。けれども、そのトーンは微妙に違う。度重なる深刻な不況を経てアメリカの中高では「少しでも良い大学へ」という受験競争が激化した。また、中国系やインド系を中心としたアジア系がその競争激化を引っ張っている。そんな中で、英語が発展途上の転校生への無限のサポートというカルチャーは明らかに変質が見られる。また一部の保守的な学区では、大人たちの中に見られる「アメリカ・ファースト」的な雰囲気が子どもたちに悪影響を与えていることもあるだろう。

 2番目は、日本人の子どもたちの「特技」が弱くなったという問題だ。具体的には野球、バイオリン、数学である。90年代からずっと見てきて、日本からの転校生の間では、野球やバイオリンといった言語の壁を超える特技で、サッと現地校の課外活動カルチャーにとけ込むケースが多く見られた。そうした特技を持つ子どもの比率が減っているのが気になる。サッカーが得意な場合などもあるが、全体としては弱くなっているのだ。

 問題は数学だ。90年代までは日本人の転校生は、数学に関しては圧倒的な進度を誇っており、数学で褒められることで現地校での居場所を確保していた。だが、日本が「ゆとり学習」カリキュラムから完全に戻っていない一方で、アメリカの数学教育は全国レベルの標準化と飛び級の制度化により変化している。そのために、日本からの転校生が不当に易しいクラスに編入されてしまうという問題もあり、転入時にしっかりと対策をして臨むことを勧めたい。

 3番目は、SNSの影響である。アメリカの若者の間でも、SNSによる濃密な「仲間うち」のコミュニケーションが発達している。短い内容に濃いニュアンスを込めるということでは、SNSの使い方としては日本の若者とは全く変わらない。だが、構造的に似通っていても、実際のコミュニケーションということでは、転校生がいきなり飛び込むのは非常に難しい。対面での丁寧な会話と比較すると、言語としては高度過ぎるのだ。絵文字は日本発祥だが、アメリカでは意味合いが異なるという問題もある。そんな中で、日本ではコミュニケーションの軸に立っていた若者に限って、アメリカでは全くそのスキルが活かせず孤立してしまうということも起き得る。

 日本の若者文化の中に色濃い「他人を信じず自分を守り切る」とか「絶対に人には迷惑をかけないし、できるだけ借りも作らない」という防衛的なスタンスが、アメリカでは全く通用しないということもある。とにかくSNSの発達が異文化間の移動を難しくしている。いずれにしても、日本から英語圏デビューする転校生の子どもたちには、過酷な条件が揃っているのは事実だ。保護者も教員も、そのような子どもたちの困難について、まずは理解することから始めたい。

(れいぜい・あきひこ/作家・プリンストン在住)

アフタヌーンティーのお供に紅茶占い

 東京は、桜の開花が例年よりも遅くなりましたが4月に入って春真っ盛り、急に温かくなりました。わが家の庭の花々も勢いを増して鉢からこぼれそうなくらい色とりどりに咲いています。今回は、沢山の花に囲まれたテーブルでおうちアフタヌーンティーを楽しみましょう。アフタヌーンティーのお供に紅茶占いはいかがですか? ヴィクトリア時代にイギリスで発祥し、19世紀後半から20世紀前半にかけてアメリカやカナダなどの北米やオーストラリアでも流行した大衆文化。あの「ハリー・ポッター 〜アズカバンの囚人〜」でも紅茶占いの授業の場面がでてきますね。 

 19世紀、誰もが気軽に紅茶を飲めるようになったこの時、飲み終えたティーカップの中に残った茶葉で運勢を占う「紅茶占い」が流行します。さぁ、今日はティータイムに願いを込めて。紅茶で占う私たちの未来は??

 ◆ネルロスカップ◆

 1904年英国のデザイナーネヴィル・ロス女史が考案。のちに英国のエインズレイ窯で制作されたネルロス占いカップ。2018年に6色展開で復刻。アンティークのものもたくさんありますが、高価なものが多いので手軽に楽しむには現行品のこちらが手に入れやすいものだと思います。本来紅茶占いのカップは記号だけでなくトランプが描かれていたりさまざまなものがあります。

◆Barns&NobleのFortune Telling Cup◆

 アメリカでは、有名な本屋さんバーンズ&ノーブル(Barns&Noble)で紅茶占いのカップが発売されていました。現在はアンティークショップやオークションサイトなどで見かけます。私が最初にこの占いを知ったのも実はアンティークショップで出会ったBarns&Nobleのティーカップでした。占いの方法を解説したミニブックがついているのでそれを見ながらみんなでワイワイと盛り上がる楽しい遊び。紅茶占いはあなたのどんな未来をみせてくれるでしょうか。

◆紅茶占い◆

 茶葉をポットにいれてストレーナーを使わずにカップに注ぐ。お茶を飲み干さずに、ほんの少し残して占いたいことを願いながらカップの中の茶葉をまわして茶葉を均等にいきわたらせる。カップをひっくり返してソーサーの上に伏せて置き少し待つ。ハンドルを持ち上げてカップの中の茶葉が残った場所の記号を読み解き占う。

◆春のテーブルポイント♬

Point1 お庭の花をテーブルに♬

 もともと英国ではティータイムのテーブルの花は作りこんだフラワーアレンジではなく、庭から摘んできたような自然な美しさがよいとされています。春は庭の花が美しい季節。自家製ハーブも一緒に飾って我が家らしさでお客様をお迎えしましょう。

Point2 アンティークの陶器のマーマレードジャーやポット♬

 英国らしさを少しだすならば、アンティークのポットに庭の花を生けるのもかわいい。ガラスの空き瓶やふちがちょっと欠けてしまってティーカップとしてはつかえなくなってしまった物を花瓶の代わりにするのも素敵。

Point3 ガラスを使って軽やかに♬

 冬は皮革や毛糸など温かみのある素材を意識して使いますが、春夏はテーブルに軽やかさも大切。カップがイエローとピンクなので同じくガラスの器もイエローとピンクをミックスしてセッティング。


おおいし・いくこ(Ikuko Oishi)インテリアコーディネーター、食空間プランナー、日本クラブカルチャー講座講師。東京ドームテーブルウェアフェスティバル2019入選、20年2部門で入選&奨励賞受賞。23年2部門で入選&佳作受賞。atelierdeikukonewyork.themedia.jp